12−06−18 オハイオから丸2年
オハイオから帰って2年が経ちました。帰った直後は仮の住まいで生活を始めざるを得ず、これからどこにどうやって住むのか、これから考えなくてはなりませんでした。
車も電気製品も家具も一から揃えなくてはなりませんでした。そして帰国1ヶ月ちょっとで定年を迎え、様々な手続きをしなくてはなりませんでした。

会社では引き続き働くことになったものの、24年ぶりの鈴鹿の工場は全く新しい職場と言ってもよく、退職によって立場も変わり大いに戸惑いました。いろいろな変化が一斉に身の回りで起きました。
本当に光陰矢のごとし( Time flies like an arrow. )を実感した2年が過ぎました。

既に生活は日本のペースに慣れました。
日常生活とか会社でのほとんど意味のない細々とした決め事というか規則もあまり気にならなくなりました。

毎日の通勤の平均10MPH(約16km/h)のノロノロ運転もあまり気にならなくなりました。
会社では出勤しても朝のもあいさつをほとんどしないのも気にならなくなりました。

交番の前を毎日定期的に暴走族がすっ飛ばしても交番のお巡りさんは何もしないのも気にならなくなりました。

市役所に行くと山のように多くの職員がブラブラしている姿を見てもあまり気にならなくなりました。

政府の大臣が評論家みたいな事を言っているのを見ても気にならなくなりました。日本を外国に売ろうとしているとしか思えない国賊政治家が一杯いるのもわかりました。
日本では国民は働かなくても、国が何とか生活の面倒をみてくれると思っているのもわかりました。

この2年間で随分と勉強をさせてもらいました。SHINはもう何があってもほとんど驚かなくなりました。現状を認識する事に抵抗を感じなくなりました。

そんな中オハイオの総務のある人から帰国した駐在員に対してこんな意見募集のメールが届きました。
「駐在が終わって日本に帰ってから、アメリカでこんなことをもっとやっておけば良かった、というのがあれば教えて欲しい。ゴルフ以外の話題でお願いします。」、というものです。

目的は駐在社員に仕事以外(ゴルフ以外)で活き活き生活をするための情報探し、とありました。そこで14年のオハイオ生活を終え、そして2年の日本での生活を経た今、この質問に答えてみます。
1.オハイオ人の家に行ったり家族ともっと多く知り合いになっておけばよかった。

駐在をしていてもオハイオ人の家に行って彼らの生活を垣間見たり、家族と話をしたりする機会って意外と少ないものです。私の場合、14年間で15人くらい、20人はなかったと思います。

会社のオハイオ人がどのような暮らしをしているのか、どんな家に住んでいるのかこういう事は旅行では絶対にできない事で、「オハイオを知る」、という観点から実に得難い経験をさせてもらった。
いろいろな趣味を持っているオハイオ人は多く、それを見せて欲しい、という口実でもっと行っておけばよかったかな〜、と日本に帰ってから気がつきました。

2.南北戦争の古戦場を見ておけばよかった。

アメリカの歴史と言えば何はさておき、南北戦争である。古戦場はあちこちにありゲティスバークにも行こうと思っていたがとうとう行く機会をなくしてしまった。

彼の有名なゲティスバークはコロンバスから車で簡単に行けたのに。
ケンタッキーとかノースカロライナ、サウスカロライナには古戦場が一杯あったのにナゼか一つも行ってない。

南北戦争を知らずしてアメリカを語るなかれ、帰国してからアメリカ史に詳しいある友人から言われました。
ナゼ、北部は奴隷解放をしようとしたか?これも多くの日本人は間違いをしていますが、南北戦争の研究は日本でもできるが実際の古戦場を見ておくのと、見ないのではやはり実感が伴わない。

3.アメリカンなレストランにもっと行っておくべきだった。

これは私の場合だけかも知れないが、14年間の駐在生活の後半は日本食レストランに行くことが多かった。
今思えばカジュアルないいレストランが一杯あったのにあまり行ってなかった。駐在当初はあちこち行っていたが、家族を連れて行ったのは少なかった。

現地では現地の食い物をを食え!
それと多民族国家であるアメリカ、中華、韓国、ギリシャ、インド、ドイツ、イギリス、タイなどのレストランが自宅から車で15以内にあった。もっと行っておくべきだったな〜、、、。今、日本のクソ田舎に住んでみてつくずく思う。

4.ステートパーク巡りをしておけばよかった。

オハイオは緑に囲まれたきれいなところだった。州内にはキャンプをしたり、湖(と言っても周囲が10kmも20kmもある)でボートを走らせたりできるステートパーク(州立公園)が確か30くらいあった。

駐在3年目くらいの時にこのステートパークを全部廻ろうと計画したが計画倒れになってしまい、10くらいで終わってしまった。

あのオハイオの自然は日本では絶対に味わえない。オハイオにいて自然を楽しまなくて何を楽しむのか。夏のオハイオは最高だった、、、。

5.もっと気軽にNYとかボストンとかDCに行っておけばよかった。

日本に帰ってしみじみ思ったことの一つに、コロンバスってNYの隣にあったのだ!ということである。
NYもボストンも飛行機でたった1時間ちょっとで行けた。自宅からコロンバス空港までは車で20分、NYのラガーディアに着けばバスで30分ちょっとでマンハッタンのど真ん中。

今で言えば東京に行くより簡単に行けたことになる。DCなんか車で6時間で行けたのに。いつでも行ける、、、と思っていたのが間違いだった。日本からNYとかに行くって、結構大変。

6.世界のビール、ワインをもっと飲んでおけばよかった。

日本でも世界のビール・ワインは飲めるが、アホらしいくらいに高い。何でメキシコのコロナが1本400円もするんだ!今思うとアメリカのビール、世界のビール・ワインがコロンバスでは非常に豊富にリーズナブルな値段で手に入った。

もっと味比べしておくべきだった。別に酒飲みになっておけばよかったという訳ではない。念のため。
こんなことをやっておけばよかった、それは今考えるといろいろありますが、それ程変ったことでもないし、突拍子もない事ではないのがわかりました。

その国と人を知るためにはやはりその国に住んでみないとわからない事がほとんどです。
私は企業の駐在社員としては長い、14年間をオハイオ州で過ごしましたので全体としてのいろいろな経験は多いと思います。
それでも今思えば、、、というのがありますから結局はキリがない、という事かも知れません。

よく聞かれる事の一つとして、「その国と人を知るためにはどうすればいいのですか?」、というのがあります。
「日本の事を良く知っておく」、というのが私の答えです。

外国で何か、「変った事があった」、場合、自分の中に比較する基準(日本)がしっかり存在しないと違いが違いとして理解できません。
つまり、「その国を知る、人を知る」、までに至らないのです。

さて、2年前の今日の夜、オハイオから日本に帰ってきました。帰国直後に帰国前の出来事を簡単にまとめたページ(クリックして下さい)があります。

これを見るとオハイオが本当になつかしく思い出されます。来年くらいにオハイオに行ってみるかな〜、、、。
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