15−10−10 越南の風(1)
4日(日)から9日(金)までベトナム(越南)に行ってきました。
ベトナムに行こうと思ったきっかけは私の先輩であるSTさんが安いパック旅行を見つけたので行ってみる、というメールをもらった事で、STさんが行くならじゃ行ってみるか、という具合で決めました。

我々の世代はベトナムという国名を聞くと"ベトナム戦争"、"ドイモイ"という言葉が頭に浮かびます。
私の場合はこれに"ホンダのバイク"、というのか加わるかも知れません。

ベトナムに行くに当たってふと気が付いたのが、私はベトナムについてはベトナム戦争以外何も知らない、という事でした。

国の生い立ちは勿論、人口も通貨(単位は知っていましたがレートは知らなかった)も食べ物も何にも知らないのです。
そこで行く前に少しだけ調べてみました。

19世紀までは中国の影響を強く受けた政治・文化であった国でした。

そして19世紀以降現在までの歴史は実に興味深い、波瀾万丈と言うか波乱曲折と言うか、とても言葉では表せない興味深いものでした。

日本とは太平洋戦争直前から深いものになり、ベトナム戦争後の南北統一ベトナムに対しては経済的に大きく寄与している事がわかりました。

ベトナムの行き先は今はホー・チ・ミン(HCM)シティーと呼ばれている、元南ベトナムの首都サイゴン。

日程は初めての訪問国という事もあり5泊6日、実質的な滞在はたった4日しかありません。

行き方はセントレア空港09:50離陸のチャイナエアー、台北でワンストップ乗り換えてHCMのタンソンニット空港には予定より少し遅れて17:30に到着しました。
空港で携帯電話のSIMを買い、お金を両替して、タクシーでホテルまで。
今回のホテルはニッコー・ホテル(日航ホテル)、ホテル自体は悪くはないのですが次からは泊まらないと思います。ロケーションが悪いからです。

着いた翌日はお決まりの"お上りさん1日観光"に参加しました。
参加者は私とカミサンの2人、これにガイドのターさんという50才のオジサンの全部で3人のツアー。

しかしこのツアーは多いに不満ありで、あとで強烈なクレームを旅行会社に入れておく予定です。

ツアーは0845に開始、ホテルを出て見たものはHCMに来た皆が驚く道路を埋め尽くすバイク軍団。

子供の頃近所の田んぼの上を飛ぶイナゴの大群を見た事がありますが、まさにアレ。

私はアジアのバイクについては詳しくはありませんが"WAVE"というモデル、それに"AIR BLADE"というモデルが非常に目立ちました。

道路を見ているとホンダ車のシェアーは80%はいっているのではないかと思うほどです。

道路を埋め尽くすバイク、1時間後には私達もこの道路を歩いて横切る事ができるようになりました。
”走らず、止まらず、戻らず”。
横断するときはこの3つの基本を絶対に守る事、とガイドに言われました。

最初は、「オイオイ、こんなところ渡るんかいな」、という感じでしたが2〜3回やのれば何とか横断できるようになりました。

しかし汗が噴き出てきます。お天気は薄日で気温がうんと高い、という訳ではありませんが汗が噴き出てきます。

ハンカチは役に立ちません。数回使ったら汗を拭き取る能力はゼロになります。

何を使うか?
風呂で使うタオルです。これも1時間でダメになります。そこで汗を絞ります。
汗はタオルからボタボタ落ちて道路を濡らします。

全身汗まみれです。
風呂から上がってそのまま服を着て、その後頭からお湯をかぶっているという状態になります。

長く滞在すればこういう気候に慣れるのでしょうが、街中をブラブラと散策するときは1時間ごとにコーヒーショップか何かに入って休憩しないと保ちません。
幸いな事にHCMには街のあちこちにコーヒーショップがあって休憩できます。

シンガポールへ行った時シンガポーリアンに、「セカセカ歩いては行けません」、と言われました。
ナゼか?
汗をかいて体力を消耗するからです。タラン、タランとゆっく〜りと歩きます。
これは南方での歩き方のコツのようです。
HCMではあちこちの博物館に行ってきました。
"戦争証跡博物館"というところにも連れられて行きました。ここはベトナム戦争(実質的にはアメリカとの戦い)の歴史についてかなり詳しく説明がされていました。

ベトナム戦争はアメリカに支援された南ベトナム政府が反政府勢力の軍事組織であるベトコン(南ベトナム民族解放戦線)、それを支援する北ベトナム政府と戦った戦争です。

北側は国土統一(共産化)の実現、これに対抗する南側。
ベトコンと北ベトナム政府はソ連からの強力な援助を受けていました。

1975年4月末のアメリカの撤退(実質的な敗北)によって南ベトナム政府は崩壊、北の勝利で戦争は終わったのでした。

北側が勝利した理由は、3つあると理解しました。
・ 一般大衆を”恐怖で支配”
・ アメリカに対する巧妙な心理戦
・ ソ連・中国からの強力な支援とジャングル戦(戦車、火砲、航空機が有効に使えない)

HCM市博物館、その他の博物館などにもベトナム戦争についての詳しい説明展示がありますが"戦争証跡博物館"の説明・展示は異様でした。
戦争中のアメリカ軍の残虐行為がこれでもかと延々と説明・展示されているのです。

残虐行為についてはアメリカ軍だけではなく参戦していた韓国軍の方が激しかったと言われており、これの説明も少しありました。

ベトナムは1954年に植民地化されていたフランスとの戦いに勝利し、1975年にアメリカとの戦いに勝利し、その後の中国との戦いにも一部勝利している国です。

戦勝国であるベトナム、しかしHCM市を見ても地下鉄は工事中、南北に細長い国土を結ぶ鉄道網も貧弱、電力不足は危機的だそうです。

小学校・中学校の義務教育さえ共産国家であるにもかかわらず有料で、学校不足の地域は半日の交代制授業です。

日本はアメリカとの戦争に負け、国土は焦土と化しました。
しかし20年後には新幹線が走り、オリンピックも行われました。

道路も整備され、戦後30年も経つ頃には個人の多くが車を持つようになりました。

ベトナムはアメリカを海の向こうに叩き出して戦争に勝って40年も経っています。
しかし未だに開発途上国で、国民の生活は貧しく見えます。タイなどとは比較になりません。

頼りにしていたソ連は崩壊し、同じく頼りにしていた中国とは領土・国境問題で対立しています。
戦勝は国民を幸せにしたか?答えは単純ではなさそうです。

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