14−11−19 少年の地 |
しばらくの間会社のOB会の"あるこう会"に参加できていませんでした。旅行に出かけたり、いろいろな用事と重なったりしたためです。 アメリカ旅行から帰ってきたら11月度の案内が来ており、既に締め切り日を過ぎていましたが世話人のONさんに電話を掛けたところ、まだバスの座席に余裕があるという事だったので参加させて頂くことになりました。 11月の行き先は熊野古道です。 熊野古道というのは熊野三山へ通じる参詣道の総称で、三重県、奈良県、和歌山県、大阪府に跨がる結構長い道を指します。 今回も"あるこう会"では世話人達がきちんと下見をしてくれ、バスを手配してくれ、バスの中では詳しい案内と注意事項を伝えてくれ、お茶のペットボトルも1本くれ、個人負担3000円でこの熊野古道に連れて行ってくれました。 いつもの事ですが世話人の皆さん、本当にありがとうございます。 |
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大吹峠からスタートです バスは波田須というところにある大吹峠の入り口に停まり、ここで降りました。 アップダウンの道を歩くので少し体操をしてからスタートです。 峠の道は結構険しく、登り坂が続きます。 最初は元気に歩いていたカミさんも段々ペースが落ちてきます。 私は普段の鍛錬の成果を遺憾なく発揮、全く問題ありません。。 |
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やっと下り坂です 大吹峠の登りも1kmくらいで終わり、後は下り坂です。 私達はレクレーションとしてのハイキングでここを歩いている訳ですがこの道を昔の人も荷物を背負ってお参りをするために歩いたのでしょう。 山賊はいなかったのかな〜、、、朽ち果てた小屋を見ながらそんな事を考えながら歩きました。 |
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松本峠の展望台 大吹峠の後、今度は松本峠を越えます。2つ目の峠なのでかなりハードに感じます。 峠からちょっと外れたところに展望台があり、そこから見ると木本の街、それに七里御浜が一望できます。 ここでお弁当を食べます。 大汗をかいたあと景色を眺めながらの昼食、最高です。。 |
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木本側の入り口 松本峠の入り口です。 伊勢方面からここの木本に来るには歩いてきた大吹峠、そしてここの松本峠のようなところを幾つも、幾つも超えて来なくてはなりません。 近代になっても昭和35年くらいまでは電車もなく、道路は未舗装の山道であり、この辺りの木本以南は日本のチベットと呼ばれたところです。 |
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サメの解体(1) 峠を越えて木本の街に入っていきます。 先を歩いていたグループのメンバーが軽トラックに群がっています。 近づくと漁師達がかなり大きなサメの解体をやっています。 「親方、これは蒲鉾にするの?」 「蒲鉾にはもったいないですよ。ミリン漬けにして食べます」 ナルホド、、、。 |
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サメの解体(2) 私はこういうものを見るとものすごい興味が湧いてくる方です。 サメの歯を見せてもらい、少し触ってみました。鋭い歯が何重にも並んでいます。 「これは網に掛かったのですが、夏に出たら大騒ぎですよ。これくらいの大きさでも手や足はかみ切られます。」 親方(船頭かも)は言っておりました。 |
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JR熊野市駅 みんなの歩くコースから少し離れ、熊野市駅の方に行ってみました。 実は、、、私は50年前に父親の転勤でこの熊野市に2年弱住んだ事があるのです。 この角度から見る駅のシルエット、その向こうに立っているNHKラジオの放送アンテナ、風景は何も変わっていませんでした。 |
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獅子岩 獅子巌は木本の街の外れで50年前と同じに、太平洋に向かって吠えていました。 中学生だった私はこのを自転車で通り、木本の片岡書店に行って本の立ち読みに耽りました。 当時の熊野市はテレビの電波が受信できず、ラジオはNHKと民放1局だけが受信できるという状況でした。 向こうに見えるのが鬼ヶ城で、これも熊野市の観光の目玉です。 |
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七里御浜 木本から和歌山県の新宮の手前の紀宝町までの実際は20km弱の海岸の事です。 ここの浜は砂ではなく砂利です。人工的に作ったのではないか、と思うような浜です。 世間で言う「那智黒石」は実は和歌山県那智で採れるのではなく、三重県熊野市の七里御浜で採取されているのです。 この浜は今では熊野の花火で有名です。 |
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50年前の通り コールの花の巌には予定より早く到着しましたので50年前に住んでいたところに行ってみました。 私はこの薬局の前にあった官舎に住んでいました。 官舎を出るとこの通りに出ました。 少し家などが新しくなっていますが、基本的に何も変わっていません。 |
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官舎の跡地 住んでいた広かった官舎は既になく、土地は売却されたらしく一般の家が建っていました。 自分の部屋の机の前から見えた風景を見つけようと官舎の跡地と思われる辺りを歩いてみました。 この方向で見える景色が多分そうだと思います。 当時は松林までの間は畑になっており、小さな家が一軒だけ建っていただけでした。 |
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花の巌神社 伊弉冊尊(いざなみのみこと)と軻遇突智尊(かぐつちのみこと)を祀る神社です。 話しを聞くと様々な言い伝えのある神社で、そういう事を知ったのはずっと後に成人してからでした。 熊野市は産業もなく、観光地として売り込もうとしたのですがこれにも失敗し、今では人口も1万8千人を切って、老人ばかりの限界部落になろうとしています。 |
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今回のコースは全部で7kmという事でしたが、万歩計の測定結果は9km1万5千歩でした。 |
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