14−10−14 再びコロンバスへ |
昨日の夕方ラスベガスに帰ってきてツアーは解散、そしてホテルにチェックイン、簡単に夕食を済ませ1Fのカジノに直行です。 グランドサークルの旅行に行く前に貯金をしたお金を下ろすため、スロットマシンをしばらくやってみたのですが、貯金の金額が増えただけに終わってしまいました。 この夜は珍しく日本人の若い2人がスロットマシンに熱を上げている姿を見掛けました。 ガンバレヨ、、、。 ![]() 私が実際にやったのはビール3本を飲む間でしたから1時間ちょっとくらいでしょうか、それでお開きにしました。 今回も暴力バーも真っ青の値段で、ビールを飲んじゃいました。 今日の朝食はホテル内のフードコートで済ませてチェックアウト。 このホテルは日本人の団体客も多いホテルで、ネットでうまく予約すれば100ドル以下で泊まれるホテルです。 私が7年前に泊まった時は確か75ドルで泊まれたし、今でもそれよりも安く泊まれる日があります。 ラスベガスのホテルは宿泊代を安くして客を呼び込み、カジノで儲ける、というビジネスモデルでやっているのでこういう値段になるのです。 今回は予約が遅かったからなのか、それともそういう時期だったからなのか、かなり高い料金で泊まる事になってしまいました。 今回の旅行ではいろいろな反省点があるのですが、ラスベガスのホテルは一部のホテルを除き予約方法を工夫すれば100ドル以上払うことはない、というのは肝に銘じておきたいと思いました。 ホテルから空港までのタクシーの運ちゃんはシカゴから来たという白人で、オハイオはよく知っていると言っていました。 ![]() コロンバスまでのフライトは10:15発、17:10着のサウスウエスト航空、3席の隣に座ったのオバサンは4時間のフライト中ずっとパワーポイントでプレゼンの資料を作っていました。 それとはなしにちらちら見ると不動産投資関係のプレゼン資料でした。 資料はキャッチフレーズのオンパレード、図・絵はほとんどなし、数字は資料の上にはなるべく載せない、という典型的アメリカンスタイルでした。 コロンバスは雨が降っており、着陸の時も下の風景は見えず、残念でした。 レンタカーを借りて空港からホテルまで。丁度夕方のラッシュ時間帯でI−270に入る前のI−670は大渋滞です。 こういう時間帯にこの付近を運転した事はあまりなく、以前の事はよくは覚えていませんがここまで酷くはなかったと思います。 コロンバスは全米の中でも何番目かに人工が増加している地方都市である、というのを聞いた事があり、この渋滞を見ると納得です。 ホテルに着いたのが19:00ちょっと前、さて今日の夕食はどこに行くか、カミさんはあまりお腹がすいていないというので、こういう時は日本食にします。 日本食は注文の品数・量の調整が楽だし、私も久しぶりに日本酒で一杯やりたいと思っていましたので。そんな訳で行き慣れていたレストランYに行くことにしました。。 |
![]() |
ここで思いがけないサプライズ。 私とカミさんは寿司カウンターで食事をしており、ちょっと奥の席に座っていたアメリカ人のカップルの男性の方がカミさんに手を振ったというのです。 カミさんはよくわからないが好意的な感じだったので会釈をしたところ今度はウエイトレスが、「あそこのお客様が何かごちそうしたいと言ってみえます」、と伝えてきました。 ![]() エーッ、何だろう、、、と思いつつそのアメリカ人をよく見ると、あれ〜!、ドクター・リパスキーではありませんか。 そうです、14年間通い詰めた歯科医院のドクター・リパスキーです。 いや〜、びっくりしたの何のって。 4年ぶりに顔を見たドクター・リパスキーは殆ど変わっていません。 ドクター・リパスキーには私も時々診てもらっていましたが、カミさんの主治医でした。 私とカミさんはドクター・リパスキーの席に行って今回は旅行で日本から来ている事、そして長年お世話になった事にお礼を言い挨拶をしました。 そして私の主治医のドクター・ライトについてどうしているか聞きました。ドクター・ライトは元気で以前と同じように医院にいるとの事でした。 ドクター・リパスキーは40才半ばくらいでしょうか、名前(RIPASKY)からいくとロシア系アメリカ人だと思います。 (名前の最後のスペルが"・・・SKY"となっているとロシア人、"・・・SKI"となっていると非ロシア人、とポーランド系のアメリカ人が言っていました) 一緒にいた女性は奥さんではなさそうで、ま、こう言っちゃ何ですがドクター・リパスキーには似合わない人のように見受けました。 余計な事ですが。 ![]() コロンバスには明日もう1日いる予定なので、ドクター・ライトに会いに行ってみるか、、、。 しばらくしてドクター・リパスキーは店を出ていきました。 そんな訳でこの日は思いがけない人に会って嬉しくなって、お銚子を3本も開けちゃいました。 オハイオにいた頃このレストランには土曜日の夜によく来ていました。 土曜の午後はカミさんと私はフィットネスに行くことが多く、終わってからシャワーを浴びてこのレストランで寿司をつまんでお酒を頂く、という生活でした。 いつもカウンターで一杯やりながらオーナー・シェフのYさんといろいろな話しをしました。 Yさんは日本に帰ってからも手紙をくれました。 この日は帰るとき、Yさんは外まで見送りに来てくれました。Yさんは68才、もう日本に帰る事はないと仰っていました。 どうぞいつまでも元気でやって下さい。また来ます、、、。 |
![]() |
グランドサークルの旅が終わり、これで今回の実質的な旅行は終わりました。 |
![]() |
![]() |