02−01−01 2002年の元日
だまっていても年は経つもの。2001年も終わり、2002年を迎えました。
年末は上の娘とカミさんと3人でシカゴ美術館、そしていつものように買い物。ちょっとマンネリ化しているものの、まあ年中行事と思えばいいか。

本当は下の娘も呼びたかったのですが、来てくれませんでしたので3人で大晦日と元日を迎えました。
シカゴから帰ってきたのが30日の夜、31日は娘とカミさんは朝からおせち料理作りに大童。

私はというと、自分の部屋でPCをいじくったり、メールで年賀状を送ったりで、なるべく目立たないようにします。台所付近でうろつくと、必ず声を掛けられて手伝いをさせられます。

手伝いがイヤとかではなく、私の信念としまして「女の事」には口を出してはいけない、別な言い方をしますと「敬意を払って手を出さない」、という事なのです。

娘に言わせると、「何を時代錯誤な!」という事らしいのですが、イエ、私の信念なのです。
でもやっぱりダメかな?本当は面倒なだけなのです。実は。
アメリカで正月におせち料理というと、まず材料をどうするの?という疑問がわいてきます。
コロンバスあたりですと全部がさっと手に入るという訳にはいきません。日本食材店は2軒あるのですが、最近はおせち料理を作る人が少なくなっているせいもあって、やはり材料入手には限界があるようです。

そこでオハイオですとシカゴの大きなスーパーマーケットに行くか、日本から送ってもらうか、2つの方法に頼ることになります。今年の場合、私が年末に一時帰国休暇をとり、日本に行きましたので小さなスーツケース一杯の食品、その他を持たされて帰ってきました。

以前にダラスで日本から来た若い女の子がスーツケースを税関で空けられ、中からインスタント食品とか、昆布とか調味料とかがどっと出てきて、税関で取り上げられているのを見たことがありました。

女の子は必死で抵抗しておりましたが、言葉もあまりうまくない様子で、結局全部没収!
かわいそうに、半泣きになっておりました。きっとお母さんが持たせてくれたものだったのでしょう。

アメリカ人如きに、日本人の高等な食生活のための食材の理解ができる訳がない! ハンバーガーとジャガイモしか食ったことのない奴らに、イカの塩辛の風味と味がわかるもんかい!!
ちなみにスルメを焼いたにおいを嗅いだアメリカ人は、人間を焼いた匂いがす、と言って逃げ出したそうです。

とにかく私は家の中でブラブラしている間に無事おせち料理も出来上がり、大晦日のソバを賞味しながら一杯。娘とカミさんには感謝しております。
オハイオの2002年1月1日。
我が家のファミリィールームには日本から持ってきた座卓があります。

8畳用のそこそこの大きさの座卓なのですが、アメリカの家のファミリィールームにおくと、こじんまりしたただのテーブル。

正月はこの座卓でおせち料理をつまみながら、シカゴで仕入れてきたお酒をしっかりと頂きます。
別に着物を着てかしこまる訳ではありませんが、これがないと正月を迎えた気持ちにならないから、不思議なものです。
外は雪で真っ白。部屋の中は23度くらいで快適そのもの。

それと肝心のお雑煮のお餅ですが、これはもち米は簡単に手に入るので問題はありません。
大晦日の朝にこれも娘とカミさんが餅つき機でさっと作ってできあがり。

これだけは私も手伝うつもりでしたが、2人とも私を当てにしている様子はなく、声も掛けてくれませんでした。

私は娘のお酌で結構飲んでしまいました。
娘はというと、手酌で飲んでおります。大丈夫かな?そんなに飲んで。冷酒なのでグイグイと入っていくようです。
そんな途中で、日本のちょっとした知り合いのフリーのライターの方から、新年の電話がかかってきました。

ご挨拶がてらいろいろと話をして電話を切り、再び部屋に戻ると娘は真っ赤な顔。
吐き気がするとか言ってそのまま絨毯の上にゴロリ。
アーア、とうとうダウンです。そのまま夕方まで寝ておりました。

娘はこの日以来、13日に帰るまでビールさえ口にしなくなってしまいました。
私は以前から、お酒は自分の限界を知っておかなくてはダメだよ、と言っていましたが限界を知る暇もなくイッキに天国に行ったようでした。

何合飲んだのか良くは知りませんが、私と2人で1.5リッターの瓶が殆ど空っぽになっていましたっけ!

私は翌日の2日から出勤。せめて三が日は休みを取りたいところなのですが、ここはアメリカ、贅沢は言えません。

会社に行くけど、心の中では15日まで松の内だい! 2002年が明けました。さあ、今年もがんばるぞ。
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