ベトナム(2) : 15−10
ホーチミンの1年は南方の一般的な気候である雨期と乾期の2季で雨期は5月〜10月、乾期は11月から4月というところです。

気温そのものは雨期も乾期も殆ど同じですが雨期は激しいスコールが毎日のようにあり、今回も1日だけ街をぶらついている時に遭いました。スコールは日本の傘が殆ど役に立たない激しいものでした。

一般的な観光旅行には乾期がいいのは言うまでもありませんが、スコールに遭うのも南方の旅の風情(?)、ものは考えようです。

言葉は英語だけで何とかイケます。年配者はフランス語とかロシア語を理解する人もいるらしいのですが若い世代は英語。でもベトナム人の英語、かなり聞きにくい。

私の方はジャングリッシュですからベトナム人も頻繁に「???」となります。でも最終的にはキチンとコミニケーションできますから心配はいりません。

衛生面はやはり注意しないとダメです。
しかし日本人はあまりにも衛生にシビアな環境で生活しすぎていると思います。
何年か前にバリ島で日本人200人が食中毒か何かに集団で罹って大問題になりました。

でも罹ったのは日本人だけ、地元の人は全く罹っていないし他の国から来ている連中(そちらの方が人数はうんと多かった)も一人も罹らなかった。とにかく日本人だけ、だったそうです。
これはどういう事か?やはり日本だけ特殊過ぎる国だと言うのは間違いありません。

ベトナム人が日本に来て1ヶ月くらい過ごした後にベトナムに帰り、元の生活に戻ると腹をやられる人が結構いるそうです。
田舎道走るバイク

バイクはホンダのWAVEだと思うのですが、バイクのデザインで一番の特徴は2人乗りとか荷物が積めるようにシートが長い事です。

バイクは何人まで乗っていいのか?
大人2人+子ども2人まではOKだそうです。

交通事故死は年間1万人、トラック・バスなどの大型車に巻き込まれての死亡がダントツだそうです。
クチの鉄の三角地帯

ホーチミンから車で1時間半、カンボジア国境際にある、ベトナム戦争当時の難攻不落の地下要塞のある、クチに到着します。

ここはベトコンの拠点で地下深くに穴を何十キロも堀り、ここから出撃、アメリカ軍と戦ったそうです。

見学するエリアは公園のように整備されています。
地下への入り口

入り口は普通の人間が出入りできるだけの非常に狭いもので、ズバリアメリカ兵の巨体は入れない大きさです。

白人のグループがやたらと目立ったのでひとりのオジさんに、どこから来たのか聞いてみたところ”イスラエルから”、という返事でした。

あとはロシア語(多分)。
ネイティブの英語も聞こえましたが、アメリカ人ではないと思います。
トラップ

人が歩くと回転して下に落ちます。
深さは約2m、下には長さ80cmくらいの槍が何本も突き立ててあります。
従って落ちると一気に全身串刺し、絶対に助かりません。

戦車、装甲車のキャタピラでは反転しませんので後ろから徒歩前進して来る歩兵だけがこれに引っかかる、という仕組みです。

その他様々なトラップが実演されています。
不発弾の利用

砲弾、爆弾などの不発弾は信管を外し、中の火薬を抜いてそれで地雷などを作った、とありました。

車両のタイヤを加工してゾウリを作った、というのは有名な話でこの作業風景も再現されていました。

地下壕にも実際に入ってみましたが、その狭さと息苦しさ、それに暑さには驚く他ありませんでした。
軍服を縫ったミシン

これは電動ミシンです。電源は220V/250Wです。中国製でラベルには簡体漢字が刻まれていました。

ゲリラ戦で戦ったとは言え、近代戦ですから大量の物資が必要で、これらは全部ソ連、一部中国から送られていました。

日本のベ平連もソ連からの資金で活動をしていた事はソ連崩壊で文書が公開され、明るみに出ています。
クチからミトーへ

クチの地下壕は複雑極まりなく、中に入ったアメリカ兵・南ベトナム兵は火攻め、水攻め、生き埋め攻撃を受けたそうです。

また枯れ葉作戦、爆撃も行ったが効果はなく、とうとう攻略できなかったそうです。
これらは実際に来て見て、よくわかりました。

こういう場所の見学は何となく気持が重くなります。
次に行くのははミトーのメコン川下りです。
昼食のレストラン

クチからミトーまでは高速道路も含めて2時間ちょっと掛かります。

高速道路の左右はずっと水田が拡がっています。
ちょっと興味深かったのは水田の中にお墓と思われる石碑がいくつもある事でした。

途中で昼食のためにレストランに入りました。
象耳魚のから揚げ

30cm近くある大きな魚で木の棒に挟まれて立って出てきます。
丸いのは米と緑豆を混ぜたものを揚げてありますが肉厚は1cm以下で中は空洞です。

魚はライスペーパーに巻いて食べますがなかなか美味しかったです。

この日のメンバーは私とカミさん、それに横須賀から来た若い女の子2人でした。
メコン川下り

ミトーに着いて直ぐに機動船に乗ります。
船頭は50才くらい(もっと若いかも)のオバチャン、傘を被った後ろ姿は”ジス・イズ・ベトナムおかあさん”、という雰囲気をたっぷりと出しています。

メコン川の水は茶色で川幅は広く、静かな流れです。
この川は正確に言うとメコン川の支流でティエン川と言うそうです。
ニシキヘビのお出迎え

機動船は中州のひとつ(確かフーン島という名前)に到着します。
土産物屋の前に休憩所があり、コーヒーと何種類かのドライフルーツを頂きました。

横を見ると檻の中に巨大な錦織、じゃなくて錦蛇です。

島のオネエサンが昼寝をしてりるこのヘビを叩き起こして引きずり出し、私達に「首に巻け」、と仰るのであります。
顔が引きつっています

ヘビは嫌々だと思うのですが愛想を振りまいてグニャグニャと動きます。

時々細くて長い舌でペロペロと手とかあちこちを舐めて歓迎の挨拶もします。

顔を見ると割とカワイイ顔をしています。
あまりジッと見詰めて勘違いされても困るので、みんなは目をそらせます。

でもこのニシキヘビ、結構重かったです。
メコン川の風景

みんな(と言っても3人)はあれこれと土産物を物色している間、私は静かな風景を楽しみます。

こういうところでボーッと過ごすのもいいだろうな〜、、、昼間からビール飲んで音楽聞いて昼寝をする、、、。
理想の退職後人生ではないか、、、。

と考えていたら、「早く、出発よ」、とカミさんの無慈悲な声が飛んできました。
水路下り

ニッパヤシの茂る細い水路を手こぎの船に乗って下ります。

水路はそれ程深くはありません。
ベトナム戦争の映画に出てくるようなシーンです。

こぎ手はみんな私と同じくらいの年代のオジサン、現役を退いた人達で第二の仕事でやっている人が多いそうです。
再び機動船に乗って)

先程のオバサン船頭の船が待っていたのでそれに乗ります。ココナッツの実を1個づつもらってこれを飲みます。
実に美味です。

再びミトーの船着き場に戻り、車に乗ってホーチミンに向かいます。
1時間半のドライブ、ベトナムの田舎街の風景を堪能しました。
バイクの群れ

3日目。4日目は市内をブラブラ歩いて散策する日です。
朝食をゆっくりと頂き、ドンコイ通りまでホテルからタクシーで向かいます。

09:30頃、既に通勤時間帯ではないと思うのですが、信号のある交差点では見渡す限りバイク、バイク、バイクです。

何百台のものバイクのド、ド、ド、というエンジン音が街中に響いています。
ホーチミン市博物館

初日の1日観光で来る予定だったのですが、入り口まで来たら、「月曜日は休みです」、と言われて入れませんでした。

月曜日は休みを知らないで連れてくる1日観光、ちょっと酷すぎます。

そんな訳で「入れない」、と言われると余計に見たくなるもので3日目の朝、ここにやってきました。
南ベトナム解放の瞬間

共産党は国の武力制圧・占領・共産国化を「解放」、という言葉を使います。
共産党は基本的に暴力主義です。

旧大統領官邸の正面ゲートにソ連製T54戦車が突っ込んだ瞬間が「解放」の瞬間です。

ほぼ同時にラオス・カンボジアも「解放」されており、解放はイヤだ、と言っていた人の多くは国外脱出をはかりました。
その数何と150万人だそうです。
統一会堂(3)

館内は1階がベトナムの民芸、工芸などに関する展示、それに関係する外国との経済交流についての説明がありました。
日本との関係については特に説明はありませんでした。

2階は抗仏戦争、ベトナム戦争についての説明、例のアメリカの戦利品の展示などがありました。
建物の横にはアメリカ軍のM41戦車が置いてありました。
ドンコイ通り(1)

東京で言えば銀座、NYで言えば5番街、四日市で言えば一番街、、、。

高級品店、近代的なデパート、ホテル、レストランなどが建ち並んでいます。

この通りの土産物屋に入って自分用のお土産を買ったのですが、同じようなものはベンタイン市場で半額くらいで買えます。
観光客が多い、と聞いていたのですがあまり見ませんでした。
ドンコイ通り(2)

銀座、もとい、ドンコイ通りにもちゃんと路上販売はご開帳しております。
ちゃんと日本語で声を掛けられます。

ここで英語で声を掛けられたら、その人は日本人には見えなかった、という事です。

通りから路地に入ると更に様々な店があるのですが、今回はそこまで覗く余裕がありませんでした。、
ユニオンスクエア

ホーチミン市最大のショッピングモールです。
中は確かに日本の一流デパートと変わらない雰囲気です。

日本円で1足が2万5千円の靴、ベトナムでもこれを買う人がいる、という事ですね。
(一般的な会社員の初任給は大体2万円)

地下も3階まであり、清潔できれいなレストランなどもありました。
品定め

私達より2日遅れて日本からSTさんご夫妻もホーチミンにきており、食事をしてこの日の午後は一緒にドンコイ通りをブラブラ。

STさんの奥さんとカミサンが何やらゴチャゴチャやっています。

STさんの奥さんは確か7カ国語だったかしゃべるのですがベトナム語はダメ。
ベトナム語はネコの鳴き声のように聞こえるそうです。
バイク販売店

メーカーのオーソライズした販売店ではありませんが、結構規模の大きな店です。

中国のメーカがホンダWAVEと全く同じデザインのものを半額以下で売りまくりましたが、耐久性が低く、故障だらけ。
結局売れなくなりました。

ホンダのベトナム工場は確か毎日1万台くらいのバイクを生産していたと思います。
歩道が通れない

ホーチミンのど真ん中の歩道でこういう作業が堂々と行われます。

完璧に歩道を塞いでいますが、誰も文句は言いません。

カミさんがちょっと疲れたというのであるビルの前の植え込みに腰を掛けたら警備員が直ぐに来て、ここはダメ、と言われました。

でも高圧的ではなく、笑いながら申し訳なさそうに言うところがベトナムらしい。
おっ、結婚式だ

マイクロバスから着飾った男女がゾロゾロと出てきました。
結婚式のようです。
カメラマンがビデオ回しています。コリャ金持ちの家だな、、、。

やはり両親とおぼしき人達は日焼けしていないし色白でベトナム人にしては逞しい体つきでしたので、裕福な一族と見受けました。
コーヒーショップ

ブラブラと9月23日公園の北側を東に向かって歩いてきます。汗だくです。
たまらずニューワールド・ホテル近くのコーヒーショップに飛び込みました。

アイスコーヒーが55000VDN(約300円)です。
社会主義国なのにこの金額以下が1日の生活費の人はベトナムに4000万人近くいるそうです。
ファングーラオ通り

9月23日公園の南側の通りで、ここから南側1ブロックはバックパッカーエリアです。
バンコックで言えばカオサン、東京で言えば山谷、ですかね。

路地の通りを入ると安いホテル、レストラン、観光会社がズラリと並んでいます。

何人かわかりませんが白人の姿が結構目立ちます。日本人も何人か見ました。
タイビン市場(1)

ファングーラオ通りの外れの方来ると市場があります。タイビン市場です。

この横で若いベトナム人達が食事をしたり、お茶を飲んだりしています。
みんな楽しそうです。

実に庶民的な風景ではありませんか。
何を食べているのかしばらくそれとはなしに見ていましたが例のベトナム定食でした。
タイビン市場(2)

ドンコイ通りの近代的なデパート、レストラントは全く違った庶民の生活を垣間見る事ができます。

旅行者らしい人の姿は見えません。思い切ってかなり中の方まで入ってみました。
特に変な目で見る人もいないし、みんな優しい目つきをしています。

こういうところをぶらぶらすると、「ああ、ベトナムに来たな」、と感じます。
タイビン市場(3)

新鮮な魚の匂いがしています。
私は漁師町で生まれましたので見た目の身の具合は他の人よりよくわかると思います。

種類は何なのかよくわかりませんが川魚と海魚が半々くらいの感じでした。
このでは貝類を大量に売っていましたが、これも新鮮そうでした。
スコールです

5〜6kmも歩いたでしょうか、ホテルまで500mくらいのところでスコールになってしまいました。あっという間に降り出します。

皆さん、慣れたものでバイクに乗っている人はさっとカッパを出して身につけてそのまま運転です。

私は目に入った店に飛び込んだらアイスクリーム屋さん。お陰でMOCHI ICEを4つも食べちゃいました。
スコール後のホーチミン

スコールは1時間くらいで止みました。
ホテルに帰ってダウンタウンを見ます。
ここにはいくつもの高いビルがあり、ほどんどが韓国系の会社のものです。

ホテルはダウンタウンの西側2.5kmくらいのところなので先程歩いてきたところがよくわかります。

汗だくになりましたが、ブラブラと歩いてみてよかったと思いました。
ホテルのラウンジ

ラウンジはL字型にテーブルが並べられており、他のニッコーホテルと同じように快適な空間を提供してくれていました。

17:00からは液体燃料も提供されるので、先ずサイゴンビール、その後ワインをしこたま頂きました。
寿司とかベトナムの薩摩揚げ(何と言うのか聞くのを忘れました)とかもあって結構おいしかったです。
ホテルのレストラン

ここでは朝食を頂きました。
いろいろなサイトの口コミでは、「このホテルは朝食がよかった」、とありました。

しかし所詮朝食はそんなに差の出るものではないと思うのですが、皆さんの”よかった”、というのが具体的に何を言っているのかイマイチわかりませんでした。

このホテルの宿泊客の70%以上は日本人でした。
タンソンニュット空港

国際線のチェックインカウンターです。
ここもベトナム戦争当時は米軍、南ベトナム軍の重要な基地で、”タンソンニュット”、という名前はニュースでよく出ていたものです。

空港まではタクシーで約40分、150000VDN(約900円)でした。
タクシーの運ちゃん感じよかったので、少しチップをあげました。
大いに喜んでくれました。
エアーラインラウンジ

あちこちの会社の共用ラウンジです。
ベトナムだな〜、と思ったのはここでもホーを食べれる事。
それと例のお皿の上にご飯とお総菜を乗っける定食もありました。

ここに座っていると実にいろいろな言葉が聞こえてきます。
台北に向かいます

帰りの機体は新しい対応の座席で180°水平になり寝るには最高です。
JALのような個室タイプではないのですが、これで十分です。

ビジネス席は30隻ありましたが、ほぼ満席でした。
CAは少しだけ日本語ができる人でした。
機内食

3時間のフライトでの食事ですからこんな感じです。
簡単ですがお腹は一杯になります。

液体燃料は定番のビールとワインを頂きましたが美味しかったです。
チャイナエアーの食事についてはいろいろ言う人がいますが私はこれで十分です。
桃園空港

出発が40分遅れたのでラウンジには行かないでそのまま乗り継ぎのゲートに行きました。

桃園空港に着くとタンソンニュット空港とは比較にならない規模と免税品店などの充実の度合いの違いを実感します。

セントレアまでのフライトも順調、ほぼ予定どおり到着、娘の車で鈴鹿まで帰りました。
STさんの「ベトナムに行く」、に連れられて行った初めてのベトナム。
スリとかひったくりも多く細心の注意が必要、タクシーはぼったくりがあるので要注意とかネガティブな情報があって、ちょっと緊張していましたが幸いそういうトラブルはありませんでした。

今回は5泊6日の旅でしたが、実際に動けたのは4日間しかなく、主要なところも一杯見逃しています。今度は乾期を狙って十分な日数をとって再度ベトナムに行ってみたいと思いました。

アジアはとにかく手軽に行けます。年明けはマレーシアにでも、、、、と思っています。
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