冬の伊勢志摩:07−12
三重県志摩半島は伊勢神宮という超有名なスポット、リアス式海岸等の素晴らしい景色、そしておいしい海の幸を満喫できる一大観光地のあるところです。(伊勢神宮を観光地という言い方をする事には問題があるのは承知しています。ここではご容赦。)
この地域は私にとっては地元と言える場所ですが、それ程頻繁に訪れているわけではありません。

今回の一時帰国、普段は離ればなれに生活している2人の娘を連れて、不足しているコミニケーションを少しでも補う意味もあって、1泊の旅行をしてみました。本当はカミさんも参加できればよかったのですが、カミさんはオハイオに残ったので参加できず、携帯電話で3人の状況を実況中継して、それで我慢をしてもらいました。

1泊2日の日程で無理をせずにどの辺りを廻ればいいのか、そしてどこに泊まればいいのか、日本にいるMさんにアドバイスを頂き、お陰で満足のできる旅となりました。
さあ、出発です

上の娘は仕事の関係で午後からの参加なので、私と下の娘の2人で9時過ぎに出発しました。
近鉄特急で鳥羽まで向かい、そこでレンタカーを借りてこれで2日間行動をするという計画です。

土曜日の朝の電車は意外というか、かなりガラガラの空き状態です。でっかい声でしゃべるオバサン2人が前の席にいたので離れたところへの移動もいとも簡単でした。

心配したお天気も上々です。鳥羽までは1時間余りで到着します。
朝熊岳展望台

鳥羽で予約したレンタカーを借りて、伊勢志摩スカイラインを上って朝熊岳展望台に向かいます。
ここまでは私が運転、以降運転は結局2日間、下の娘が全部やってくれました。

菅島、答志島、それに神島、伊良湖崎まで見えます。風がかなりあって、気温も12℃程度なので外に出ているのはちょっと辛い気候でしたが、眺めはなかなかのものでした。


私達以外は数台の乗用車と、観光バスが2〜3台来ているだけでした。
赤福餅?

展望台にはレストランとか土産物屋があります。
伊勢名物の赤福は賞味期限改ざん等の問題で、どこの店にも駅の売店にも売っていませんでした。

赤福は類似商品(包装の色とかが似ていて、やはり餅にアンコをまぶしたもの等々)が昔から出回っていましたが、ここでもそれを見つけました。

一度間違って赤福の類似商品を買った事がありますが、はっきりと違いがわかる味でした。
朝熊岳金剛証寺−1

展望台から1kmも行かないところにあり、伊勢神宮の鬼門を守る寺という事で、伊勢神宮にお参りをしたらここにも来ないと片参りになると言われているそうです。

私達は車であっという間にここに来ましたが、地図を見ると伊勢神宮からは10km以上有り、標高も600m近くあります。
ここにお参りをしろと言っても、結構大変そうです。

でも、昔の人は健脚だったから、そんな事あまり関係がなかったかも知れません。
朝熊岳金剛証寺−2

このでっかい猫の顔を撫でて、黒い箱に賽銭を入れると家内安全、無病息災が叶うそうです。

お賽銭は入れませんでしたが、鼻の頭は念入りにしつこく撫でてきましたので、御利益は期待できるのではないかと思っています。

このお寺には30分くらい居たと思いますが、私達2人以外に見掛けたのは数人でした。
昔は展望台までケーブルカーあったので、訪れる人はもっと多かったのかも知れません。
再び鳥羽駅まで

パールロードから伊勢道路に入り南に向かって、志摩磯部から再度鳥羽に向かいます。
上の娘が鳥羽駅に着くので、迎えに行くという訳です。
道路は空いているというかガラガラ状態で、対向車も稀でのんびりとドライブです。

助手席に座って、ああでもない、こうでもないと指図だけするってラクチンですね。
この辺は当然の事ながら土地勘が殆どないため、ナビが大変役に立ちました。
生浦湾

上の娘を鳥羽駅でピックアップ、さあフルメンバーで行動開始です。
鳥羽から海沿いに南東方向に12〜3kmくらい走ったところできれいな景色に巡り会ったので、車を停めてしばし眺めを楽しみます。

海沿いの道路なので駐車場が割と少なく、秋とかの観光シーズンだと駐車場を探すのが大変な感じですが、今回はどこの駐車場もガラガラ。

眺めがいいなー、と思ったら即停止、天気もいいしラッキーでした。
海の博物館−1

生浦湾から2〜3km程行ったところに博物館があるというので行ってみました。
博物館は大きな建物が3つあり、結構見応えがあり、入場料が800円でちょっと高いなー、と思いましたが十分にその価値はありました。

これを見ると三重県のこの地方は昔は漁業で成り立っていたというのがよくわかります。
海の博物館−

昔のカツオの一本釣りを模型で再現しています。
一本釣りはかえしのない針を付けた竿で釣るので、竿を上まで上げると釣ったカツオは自然に外れるのだそうです。
子どもの頃、テレビで見た一本釣りが格好良くて、密かに漁師に憧れた事もありました。

今は人間の代わりをする一本釣りのロボットがあるそうで、驚きです。
新鮮な生のカツオの刺身で熱燗一杯は最高ですが、オハイオでは生カツオは手に入りません。
海の博物館−

博物館には昭和30年代の町の魚屋さんの風景も再現してありました。
私が子どもの頃、母親にくっついて行った近所の店の雰囲気そのものです。
魚屋の親父さんが手品のような手つきで、魚を捌いていくのをいつまでも見ていたのを思い出します。

私が子どもの頃はどういう風だったか、娘2人にあれこれ話しをしながら博物館を見学します。
娘達はじっと聞いていてくれているようですが、「このお魚、本物みたい!!」、って叫ぶ声を聞くと私は少々悲しくなってしまうのであります。
海の博物館−4

9サンチ(ナゼか急に海軍流の呼び方になる)捕鯨砲。何が9サンチかというとモリの直径が9サンチで、モリは鯨の胴体深く打ち込まれて、4本のスパイクが開く仕組みになっています。

先日オーストラリアが日本のザトウ鯨の調査捕鯨に反対をし、軍艦を出動させて日本の捕鯨船を監視する、と日本を恐喝しました。

日本政府は、「ではその軍艦がどのような監視をするか、これを監視するために自衛艦を出動させる。」と言うものばかりと思っていたら、あっさりと調査捕鯨を諦めるという発表をしました。
海の博物館−5

博物館の裏には、カキの身を殻から取り出す実演を見せてくれる小屋があります。
先が曲がったドライバーのような道具を使って一瞬で殻を開き、身を取り出します。
そして身のサイズに応じて区分されたボールに放り込んでいきます。

私は酢ガキが大好きで、これで熱燗は最高の冬の味です。
鳥羽展望台

ここからの眺めも素晴らしいのでしょうが、夕方になってちょっと視界が悪くなってしまい、水平線が見えなくなってしまいました。サンネン。

南南東のこの方向の海は伊勢湾ではなく、太平洋です。この90度左方向は伊勢湾から出ていく船、入っていく船が何隻も見えました。
国崎の民宿−1

友人のMさんに紹介してもらった源海という民宿の夕食です。8畳の寝る部屋の隣の8畳の部屋を使って料理を頂きました。
海の幸のてんこ盛り、という感じです。上に見えるのは鯛の活き造りです。

先ずビールで一杯、その後日本酒に切り替えてチビリチビリです。下の娘はビールを1、2杯だけでしたが、上の娘は日本酒を飲んでいました。

結構酔っぱらったところで、2人からおねだりをされ、不覚にもYESの返事を出してしまい、後でエライ目に遭ってしまいました。
国崎の民宿−2

3人で料理を突き始めたら、上の写真以外にアワビと伊勢エビ(3匹)のお造りを持って来られてびっくり。
それにもう一皿、これはMさんからの差し入れです、という事でイカの刺身が大皿てんこ盛り。

イヤー参りました。イカは娘達に大半食べられましたが、私はアワビを殆ど頂きました。

民宿ですから宿泊設備はホテルとは比較にはなりませんが、1泊2食で1人1万1000円ですから、申し分ありませんでした。
国崎の民宿−3

娘2人を相手に相当飲んだのですが、翌朝は割とすっきり。
起きると隣の部屋には朝食が準備されておりました。左下はウニ飯で、これがまた何とも言えない味でした。
Mさんによるとこれを出されると、どうしても液体燃料を再注入したくなるそうで、納得の朝食でした。

娘2人はこの料理を40分近くかけて、おしゃべりをしながら隅から隅まで全部平らげてしまいました。
国崎の民宿−4

女将さんにお礼を言って、民宿を出て国崎の港に来てみました。お天気は快晴に近い晴れ。気分爽やかです。

ここから西に大きな観光ホテルがあり、昨夜は夕食前にこのホテルの温泉・大浴場に行きました。

が、私は下着を包んだ風呂敷包みをこのホテルに忘れてきてしまいました。
これに気付いたのが一杯を始めてからだったため、今日ホテルに寄ってこの風呂敷包みが保管してあるかどうか聞かなくてはなりません。
国崎の民宿−5

漁港の横は広くはありませんが夏は海水浴もできそうな素晴らしい海岸がありました。
この左手は突堤になっており、何十人もの人が魚釣りをやっておりました。

この後、温泉に入ったホテルに寄って、下着が入った風呂敷包みの忘れ物はなかったかカウンターで聞いたところ、ちゃんと保管されておりました。

私:「よかったよかった。でもホテルの人、中を確認したのかなー。」
中にはシャツとパンツと靴下が入っていた訳ですが、、、。
大王崎−1

国崎から鳥羽阿児線を通って、パルロードに入り、大王崎に向かいます。
大王崎はいつかは行ってみたいと思っていたところで、灯台で有名な場所です。

私が興味を持ったもう一つの理由は吉村昭の「朱の丸御用船」、という小説の舞台がここであるという事です。小説はオハイオに来てから日本出張で文庫本を買って読みました。

この小説は「波切騒動」、という史実に基づく話で、自分の故郷の近くで昔あった事件という事で興味を持ったのです。
大王崎−2

車で行けるところまで行って、土産物屋の有料駐車場に車を停めて、灯台まで坂道を歩いて行きます。その坂道の途中には何軒もの土産物屋があってアクセサリーとか、魚の干物を売っていました。

娘達には私がナゼここに来たかったのか、簡単に説明をしましたが、分かったようなわからないような顔をしていました。

灯台とその周辺は非常に狭いスペースしかないので、観光客が押し寄せれば、身動きのできない所のように思えました。
大王崎−3

灯台に上るには200円の入場料が必要です。灯台の見張り台のスペースも15人も上れば、一杯になってしまうくらいしかありません。この日は天気も良く、最高の見晴らしでした。

灯台の沖には小説にあるように岩礁がいくつも見え隠れし、小説の内容が生き生きと実働として浮かぶような気がしました。

一般の人が訪れる事ができる灯台(参観灯台)は全国に14カ所あるとパンフレットに書いてありました。
大王崎−4

ここは「絵かきの町・大王」、とも言うらしく灯台横の小さな公園には絵かきの像がありました。

絵かきの町と言われる理由は、昔から有名な絵かきがここの町を訪れ、絵をたくさん残しているからだそうです。

白亜の灯台、紺碧の太平洋、抜けるような青空と白い雲、緑の灌木、茶色の岩のコントラストは確かに感動を覚えます。
大王崎−5

灯台横の波切港では観光客相手に、いろいろな干物を並べて売っておりました。
買って帰りたいのですが、オハイオに帰るのはしばらく先で無理なので、諦めざるを得ません。

ずっと前に日本にいた時に、静岡にいた友人からアジの干物を送ってもらった事がありました。
新鮮な干物というのは普通の干物とは全く違う味がして、びっくりした事があります。
的矢湾

念願の(私にとってだけ?)大王崎も行くことができ、大満足。帰りも景色のいいところを見つける度に車を降りて、風景を楽しみました。

オハイオにいるカミさんには電話で3人の行動を連絡です。
天気は昼頃から下り坂になって、太陽が陰ってきたため寒さを益々感じるようになってきました。

相変わらず風も強く、外に長時間いるのは段々きつくなってきました。
真珠島−1

午後2時頃に鳥羽に戻ってレンタカーを返しましたが、帰るにはまだ早い。
という事で真珠島に行くことにしました。

真珠島は鳥羽駅から歩いて4〜5分で、やはりこのシーズン、真珠島を訪れている観光客は本当に疎らです。

この銅像は言わずと知れた真珠王、御木本幸吉の像です。御木本の真珠は今や「MIKIMOTO PEARL」、で世界中で有名です。
真珠島−2

真珠島の中には、真珠に関する非常に詳しい見本と説明がされている本格的な博物館があります。

真珠島に来たのは20年ぶりで、以前はこのような立派な博物館はなかったと思います。

娘達はやはり真珠には興味があるのでしょう、目の輝きが違っておりました。
真珠島−3

半円真珠の見本だったと思います。
御木本幸吉は人工真珠そのものの研究に熱心だけではなく、事業家としての才能にも優れ、人柄も非常に魅力的だったそうです。

オハイオ出身の発明家トーマスエジソンも発明という技術的な能力だけでなく、抜群の商才もあったそうですから御木本幸吉と共通点がありそうで、なかなか興味深い点です。
真珠島−4

真珠はアコヤ貝から採れ、御木本幸吉が人工真珠の研究を始めた明治半ば頃は、天然真珠を求めてアコヤ貝の乱獲が行われていたために、アコヤ貝は絶滅寸前だったそうです。

博物館の中にはアコヤ貝の養殖の歴史の説明もあり、棚の模型も置いてありました。
2人ともよく似合うよ。
真珠島−5

核を入れたアコヤ貝は50%が死に、結局良質の真珠は全体の5%のアコヤ貝からしか採れないそうです。
その5%の中から色と粒をそろった物を選び出しネックレスなどを作るとなると、それを取り出せる確率は非常に低くなるわけで、結局は高価になる、という理屈のようです。

博物館の横には真珠の装飾品を売っている店がありましたが、さすがMIKIMOTO,、上品で高級感漂う店でした。
さあ、帰ろうか、、、

素晴らしい景色を見て、温泉に入って、夜は海の幸をお腹一杯食べ、優雅で美しい真珠で目の保養をし、お父さんとのコミニケーションも一部お父さんは酔っぱらっていたものの十分にとれ、マズマズの旅行でした。

上の娘は仕事の関係でそのまま名古屋方面に帰って行き、夕食は一緒に摂れませんでした。
伊勢志摩方面はまだまだ見るところが一杯あり、食べ物もうんとおいしいので、できれば1年に1回くらいは来てもよさそうなところです、
今回の旅行の第一の目的は親子のコミニケーション強化。移動は車で、そして家庭的な雰囲気の民宿で親子3人で液体燃料を注入、枕を並べて寝る。近代的な観光ホテルに泊まったのでは目的は達成できなかったのではないかと思います。

みんなが忙しい中、お互いにスケジュールを合わせて2日間、思い出に残る旅行をする事ができました。残念だったのはお母さんがいなかった事です。今度は4人で行きたいものです。
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