男子厨房に入る : 初めての海外勤務、初めての単身赴任
よくある話、「教育の都合で単身赴任」

ラリーマンであればほとんどの人が経験する転勤、私は社内の部門をあちこち渡り歩いてきましたが、引越しを伴う転勤はこれで3回目です。

アメリカはオハイオの転勤を命ぜられて、さて困ったのが家族をどうするかでした。高校3年生と高校1年生の娘達を連れて行くかどうかです。
結局は上の娘の受験の事を考え、1年間は単身で赴任をする事にしたのです。

とにかく私は96年6月にアメリカに向けて成田を出発しました。オハイオはそれまでに出張で6回程来ておりましたので、ある程度は知っているつもりでしたし、不安はなかったのですが、実は私は独身の時を含めて自活生活(?)の経験が殆どない、という人間だったのです


ま、何とかなるさ、と深くは考えてはおりませんでした。
アパート生活

赴任すると、会社が準備してくれたアパートに入居。

ホテルでもいいのですが、通常自分の住む家なりアパートを探すまでは結構時間がかかるのでホテルよりアパートの方がくつろげてベターなのです。
会社手配のアパートの管理事務棟
会社手配なので、冷蔵庫から洗濯機、乾燥機、ソファ、テレビ、ベッド、それに食器一式と必要なものが全部揃っており、直ぐに生活できるようになっております。掃除、ベッドメーキングも週に2回来てくれました。

短い人で2週間、長い人でも2カ月間程でこの臨時の住まいを出て行くのですが、私は実に4カ月間も居座ってしまいました。

家族が来るのはどうせ1年後、自分で不動産屋に相談して家を決めて、いろんな手続きをするのがおっくうで、つい長居をしてしまいました。

とうとう最後には総務から「もう家は見つかりましたか?」と暗に退去の催促を受ける結果になり、イヤイヤ出るハメになってしまいました。

一軒家は一人で住むのにはいろいろと面倒くさそうなので、次の住まいもアパートにしました。こちらのアパートというのは値段にもよりますが、フィットネスの設備とかプール、テニスコートとかを付属させており、集客を競っております。
会社手配の極く一般的なアパート、でも快適でした
大規模なアパートですと何百という単位で部屋を貸しており、その部屋も非常に快適で、アパートに5年も6年も住む駐在員もいるという話を聞きました。

会社手配のアパートには生活に必要な物は全て揃っておりましたが、自分で探したアパートには何もありません。
それこそ茶碗ひとつもありません(こちら流にいうとフォーク1本もない、かな?)ので全て買い揃える事になります。

食器セット、鍋のセットに始まり、ソファ、テーブル、ベッド、電灯、電話機に至るまでリストを作って買い物。
これは本当に面倒でした。風呂場のカーテンとか、全く今まで気にした事のないものまで買い込むというのは、最後にはうんざりしてしまいました。

イヤー、所帯を構えるって大変な事ですね。しかも外国で。あれがない、これがないという状態が1カ月以上も続き、何とかまともな生活ができるようになったのは赴任の年の暮れ、クリスマス休暇を利用して日本に戻る直前でした。
男子、厨房で何もできず

単身赴任で一番困るのが何と言っても食事。生まれてこの方自炊という経験が全くない私はもっぱら外食。
最初の3カ月間はとにかく片っ端からレストラン巡り。とにかく2回と同じレストランには行かないという方針で、廻りました。結果として50軒は行ったと思います。

結論。マズイ。

結局4軒のレストランを順番に廻す事で、これに落ちつきました。
日本レストラン、韓国レストラン、中華レストラン、アメリカレストラン、の4つです。お陰で約1年間のエンゲル係数はものすごく高く、随分と散財(?)しました。

私は夕食時はお酒がないとダメなので、これには苦労しました。日本レストランのシェフに「今夜は運転して帰ると、どうなるかわかりませんヨ。」と言われて2回程アパートまで店が閉まってから送ってもらったり、同じ事を韓国レストランのマダムにも言われて送ってもらったり、、、。

さすがの私も、土曜日曜の朝とか、夜の帰りがうんと遅い時はアパートでキッチンに向かう事が多くなりました。キッチンに向かうと言っても簡単な酒のツマミを作るだけの事ですが。

時々は中華レストランでテイクアウトもやりました。店に予め電話をかけて料理を作ってもらっておいて取りに行くという方法です。頼んでおいて急に仕事が入り、取りに行けなかった事も何度もありましたが、一度もその代金の請求がなかったのはどうしてかなー?
でもこれが一番安かった。日本食の1/5から時には1/8くらいですから。

スーパーにはお総菜コーナーも随分とお世話になりました。でもある人にスーパーのお総菜は食べない方がイイと言われ、止めました。理由は大量に防腐剤が入っていると聞いたからです。
このような状態を見かねた私の先輩駐在員が、時々自宅に招待をしてくれたのには本当に助かりました。

朝食は会社の食堂で済ませておりましたので、問題はありませんでした。食堂のオバサンに名前と顔を覚えられ、ハムエッグのハムを1枚多く入れてくれたりして。

私の同僚にもキッチンに立って料理をするのは全く苦ににならないというのや、むしろ好きだという事を曰う輩がおります。彼らには私の苦労は全く理解できないでしょう。
一度だけ母親から手紙が来て、簡単で栄養のある料理の作り方をびっしり書いた手紙がきましたっけ。私の事を良く知っていて、心配してくれたのでしょう。一度だけそれに従って作ってみました。

単身生活をやって感じた事は、やはり男子も厨房に入るべし、でした。でも今更カミさんにお料理教えて、とも言えないしナー。
掃除、洗濯

今までやった事のない掃除、洗濯。これはそんなに苦痛ではありませんでした。先ず掃除ですが、大体部屋にいるのは平日は寝るだけなので、部屋が汚れません。ベッドの綿埃が立つくらい。

掃除機も買ってきました。こちらの掃除機はでかくて音がうるさい割にゴミを吸い取ってくれません。おまけに組立式で、作りはおもちゃみたいです。これはカミさんと娘が来てからも使っておりますが、甚だ不評です。
日本から持って来た掃除機は小型で音も静か、そのくせスゴイ吸引力でさすが日本製と感心しております。

洗濯は洗濯場がちゃんとあり、洗濯機と乾燥機はリースで借りました。1月$50。でも洗濯するものと言えば下着とか靴下だけ。
でかい洗濯機の中で、パンツが4ー5枚クルクル回っているのは何とも寂しいものがありました。

これら掃除洗濯は主に土曜日の午前中のお仕事で、朝ゆっくり起きた土曜日の午前中にこれらを済ませると、何となくさっぱりして、清々しい気分になったのは独身時代と同じでした。
短波放送で目が潤んでしまった!

アパートに居た約1年間は、私はテレビを見ませんでした。どうせ英語の番組だし、第一テレビ自体を買わなくてはいけなかったので面倒だったのです。
1カ月目にパソコンを使えるようにして、プロバイダーの契約もしてインターネットにつなげられるようにしたので、日本とのメールのやりとりや、パソコンで日記をつけ始めたので、あまりテレビを見たいと思わなかったのです。

でも日本の短波放送を聞こうと思い、高性能の短波ラジオを持ってきていたので、2ー3カ月目にラジオを段ボールの梱包から取り出してセットしてみました。

私の趣味の一つはアマチュア無線でもあり、短波ラジオは本格的な「通信型受信機」というツマミが一杯ついているヤツです。
アンテナはビニール線を15mくらい部屋からベランダに出して、これで完成。

NHKのホームページで予め周波数と時間帯を調べておきました。北米向けの放送は朝早くの2時間と、夜の2時間しかありません。超高性能短波ラジオ

さっそくラジオのスイッチを入れ、周波数を合わせてみました。途端に身空ひばりの演歌が聞こえてきたのには正直言って腰を抜かすくらいにびっくりしてしまいました。

夜の11時頃、異国の土地で久しぶりに聞く、日本の歌。もうジーンと来て涙がこぼれそうになってしまいました。
私は演歌には殆ど興味はありません。が、地球を半分以上回ってきた電波から聞こえていると思うと、もう一気に里心がついてしまいました。

さっそく、ビールで一人で乾杯。
だだっ広いアメリカのアパートのリビングルームに少し雑音が混じった短波放送音楽とかニュースは否が応でも、ああオレも遠くに来ているんだと感じさせるものがありました。

この時の事は今でもしみじみと思い出します。

「こちらはNHK日本語放送、東京からお送りしております。」
今でも毎日良く聞こえております。
クリスマス休暇一時帰国

赴任半年後、やっとクリスマス休暇になりました。

やはりお正月は日本で過ごすのが一番、日本に一時帰国をする事にしました。クリスマスから新年にかけては航空チケットも少し高くなりますがそれでも$1100を少し切るくらいです。空港まで同じ駐在仲間に送ってもらう事にしました。出発前に家族に電話をかけ、お土産の入ったスーツケースを持って、アパートの鍵を閉めて、いざ出発。

コロンバスの空港でチェックインしようとしたら、コロンバスからシカゴのフライトがキャンセル。エー、代わりのフライトもないとの事。
アメリカの航空会社のフライトは実に簡単にキャンセルをします。理由は機体の故障、天候不良etc。

コロンバスからシカゴまでの航空会社はアメリカンエアーライン、シカゴから成田は日本航空。カウンターのお姉さんは午後のフライトなら取れますが、と言ってくれましたがそれでは全く乗り継ぎに間に合いません。
コロンバス空港のメインゲート
とにかく、シカゴ−成田間のフライトをキャンセルして翌日に切り替える必要があります。チケットを買った旅行代理店はお休み。JALのフリーダイヤルもつながらない。どうしよう。

アメリカンのカウンターのお姉さんにコロンバス−シカゴのフライトを翌日に変更をお願いしました。何やら5分程もゴチャゴチャやって、チケットを返されました。
お姉さんは

「シカゴ、成田も明日のフライトに切り替えるよう、お願いしておきました。
でもシカゴに行ってみないとわかりません。コロンバスにもう一泊しなくてはいけないのですか?もしそれでしたらホテル代はお支払いします。」

実に親切なカウンターのお姉さんで、何も言わないのによその会社のフライトの変更までやってくれたのです。アメリカ人にもイイヤツがいるんだナー。

友人に再びアパートまで送ってもらいました。もう2週間は帰って来ないんだ、と思って閉めたアパートの鍵をたった3時間後に開ける時の複雑な気持ち。
昼食を食べに日本レストランに行ったら、その同僚も家族で来ておりました。
奥さんにお礼を言って、明日も空港まで送ってもらう事をお願いしておきました。

私はこの時までに15回以上海外出張をした事があるのですが、フライトのキャンセルは初めての経験でした。遅れたのは何回もありますけど。その後アメリカに来て4年近く、国際線国内線に多分30回近く乗っておりますが、フライトのキャンセル、変更は実に5回。全部、ある一つの航空会社です。

もう今ではこの会社のフライトは絶対に使いません。ちなみにこの会社はマイレージを派手に出すのでアメリカ人には一番人気のある航空会社です。それとこの会社は乗務員が勤務ではなく移動で飛行機に乗る時は、ファーストクラスに制服のまま乗って、お客は一般席に閉じこめていきます。
スチュワーデスは腰はまだ曲がっておりませんが、はっきり言って孫がいる年齢のご婦人です。

名前言ちゃおうか、もう! NWです。
単身赴任解放

家族は結局約1年後に来たのですが、私にとっては結果として良い経験になりました。カミさんと下の娘が日本から20時間かけてコロンバスに到着した時そのままアパートに連れて行って、新しく買った家までの荷物運びを手伝わせてしまいました。ちょっとだけ反省しております。


私の会社での記録は単身赴任でオハイオに7年いたという人がおります。赴任する国によっては単身赴任でも全く問題のない国もあります。
でもぐるっと周りを見渡すと、カナダのSさん、Bさん、メキシコのYさん、Iさん、ブラジルのTさん、中国のKさん、タイのKさん。みんな単身です。何故かヨーロッパ組は単身があまりおりません。

これらの人に会う機会があると生活について聞くことになる訳ですが、こりゃ単身の方がいいのでは?というのは別にして、みんな苦労をしております。
よく考えるとひょっとしたら単身赴任者は日本にいる東南アジアからの出稼ぎ労働者と同じかも知れません。少なくともアメリカ人はそういう風に見ているフシがあります。

夜遅く帰ってきて料理をする元気もなく、缶詰コジ開けてコップ酒あおっていたのは私だけかな?
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