タブーに挑戦
「これまでやってきた事を謙虚に反省をして、今後の活動の糧とし、より良い成果を生むように、、、、、」、という言葉を我々日本人は頻繁に聞き、そして自分も口にします。
過去の失敗を只の失敗として放置せず、これを次の行動に反映する、これは当たり前の事です。これをやる事に議論の余地は全くありません。少なくとも我々日本人の世界では。

ではアメリカ人の世界ではどうか?レベルにもよりますが(レベルとは、その人のポジション、タイトルの意味)、アメリカではこの反省、特に過去の失敗をほじくり返して原因を究明する、というのはタブー中のタブーなのです。
そもそも日本語の反省に相当する英語を私は知りません。ないと言えそうです。

ナゼアメリカ人は反省をしないかというと、自分がやった事を反省するというのは自分の能力のなさ、稚拙さを他に公表する事になり、これは自分で自分を負け犬と宣言する事になるからだと思います。
ですからアメリカ人が自分個人に対して反省するのはこれから先、未来永劫にないと私は思っています。

では会社内の組織として大きなプロジェクトをやったりして、これの失敗の反省をするかと言うと、これも難しいと考えています。失敗の原因をどんどん突き詰めていくと必ず人に突き当ります。人に辿り着かなければ、それは原因に辿り着いていないと思ってもいいでしょう。

つまり、反省をするという事は人の特定(自分を含む誰か)をしなくてはなりません。
特定したのが自分以外の場合、極端なな言い方をすれば、「お前は能なしであった!」、という事を言う訳ですから言われた方は反発をします。
どうもアメリカ人は反省による原因の特定を意図的に、明らかに避けている態度が見えるのです。

アメリカでは個人も組織も一般的に見えるところ、そして日本的な「反省」、は基本的にないと思っています。
日本(人)では基本的に反省はよい事です。反省をして次の行動にそれを反映する、これは前向きな行為と受け止められます。
同時に反省をする人(組織)は、「潔い。」と言う目で見られる事が多いと思います。

裁判でも判決文の中に、「被告には反省の色が全く見えない、、、、極刑に処する、、。」、という言葉が出てきます。アメリカでは反省したらそこで非をを認めた事になり、ジ・エンドですが、日本はそうではありません。

この反省に対する日米の考え方の違いこそが、我々アメリカでアメリカ人を相手に仕事をする上での一番の障害であると私は常々思っています。仕事上の些細な事で、担当者に質問をしていく、担当者は自分の非になる答えになりそうだと思うと、「アイ・ドント・ノー。」、という返事になります。

それでも質問を続けると、関係のない(少なくとも私にとっては)事を持ち出して、機関銃のようにまくし立てるという行為に変わります。
(日本人の中には、このアメリカ人の反省をしないという習性をうまく利用して、自分の隠れ蓑にしている連中が結構多くいますけど。)

先日、このアメリカ人が一番嫌がる「反省」を、あるプロジェクトに関してアメリカ人に大々的にやらせ、これの発表・報告会がありました。報告を受けたのは本社からのものすこくエライ人です。エライ方は容赦なく、グサッっと核心に迫る部分に質問を浴びせます。

「キミの言っている事はさっぱりわからない。誰が悪かったのだ!誰のせいでこうなったのだ!どこの部門が悪かったのだ!どこの部門のせいでこうなったのだ!それを言え!!
ここまで、アメリカ人に言葉を浴びせられる人はあまり見たことがありません。ロッシェル・カップ女史が聞いたら卒倒しそうな言い方です。
この諮問に対してアメリカ人は自分の体面を保つために、ああでもない、こうでもないとしゃべり始めます。
「結論は何だ?先ず結論を言え!そんな返事じゃ話にならん!」

アメリカ人は基本的にプレゼンをやった場合、先ず誉められる事を期待しています。プレゼンはやった成果をアピールする場である、と考えています。ストレートな容赦ない質問に晒されるなんて経験はないのが普通です。
質問を次々に受けて、大勢の前で答えもできず、顔を真っ赤にして立ち往生させられるなんて、想像もできなかったでしょう。こんな屈辱はない、と心の中では爆発していたかも知れません。

ナゼ、こうなったのか。それはズバリ反省を求められている会議・プレゼンなのにこれが殆どされていない、あるいはボカしてある内容になっていたからです。
私は心の中で、「よくぞここまで明快に質問をしてくれました。駐在社員という微妙な立場で、言いたいけれども言えない事がいろいろとある中で、今日はそれを言ってくれました。」、と嬉し涙が出る程でした。
アメリカ人は自分の言いたい事をいかに相手に伝えるか、そして相手の意見をいかに封じ込めるか、これは小さいときから学校で勉強をしています。日本の生徒が算数・国語を勉強するのと同じレベルでやっています。
だからいろいろな手法が自然に身についており、何をどう言えばいいのか、反撃された時はどうするか等、普通の日本人はアメリカ人の敵ではありません。

今回のプレゼンでも典型的な手法が幾つも用いられていました。
その中の一つが、「例外を持ち出して、それが非常に重要な事である、という言い方をして相手の考え方やりかたの盲点を突く。」、というものです。

問題がある方向で収束しようとしている時に、「こんなのもある、あんなのもある、だから今の収束の方向は間違いかも知れない。」、という理屈のコネ方です。
この場合例外とは何か、という定義が非常に重要なポイントですが、ここにはあまり触れないで巧妙に事実の一部として例外をを持ち出す方法です
限られた時間でのプレゼンにこれを持ち出されると、まだ結論を出してはいけないんじゃないか?と思ってしまう事があります。

何をどう反省して、それを次のステップにどう生かすか、という会議でしたが、「反省したくない、又は反省のやり方自体を知らない、アメリカ人。」、が作った資料は本社のエライ人が指摘するまでもなく、非常に曖昧な内容のものになっていました。

アメリカ人の反省に対する考え方は次のようなものがあると感じます。

・反省するのは、後ろ向きの行為で前向きな事ではない。アメリカ人は前を向いて進むのだ。
・反省して自分とか他人の欠点を人にさらけ出す、というのはポジティブではない。
・少々の失敗があっても、それは仕方ない。あまり完璧を望むとチャレンジ精神が発揮できない。
・反省で失敗をほじくり返すより、良い点をアピールするのが大事。
・反省をしたって、文句ばかりを言われる。オレ達は誉められたいのだ。

etc。
アメリカ人は本当に反省をしていないのでしょうか。ロッシェル・カップ女史によると個人の頭の中ではしっかりとするそうです。
この女史も非常に言葉巧みな本を出していますが、頭の中ではしていますって言うけれど、どうやって他人の頭の中を覗いたのだろう。そこには言及していません。

クリスチャンのアメリカ人は教会で牧師さんに懺悔する時だけ、本当の心の中の自分をさらけ出して、反省をする事があるそうですケド。
この会議の中で本社のエライ方は、相当にダイレクトな言葉で前に立つ何人ものアメリカ人をグサッと突き刺していましたが、どこまでその真意が伝わったのかはよくわかりませんでした。
しかしやられたアメリカ人達の顔が真っ赤になっていましたから、相当な効果はあったと思います。

只一つだけ気になったのは、質問に対してアメリカ人が延々としゃべって回答をしたあと、このエライさんは、「話にならん、、、、、。」、と言って黙ってしまったのが一度だけあった事でした。
この言葉を通訳が訳していなかったというまずさもあったし、やはりポイントは黙ってしまった事だと思います。

アメリカ人は何かを言って相手から質問等が出なかった場合(黙った場合)、自分の言った事に対して相手は納得をした、と解釈するのが普通です。
私は心の中で、「黙って頂いては困ります!!」、と叫んでおりましたが、伝わる訳もありませんでした。

アメリカ人と反省、永遠のテーマです。
何か問題が起きると、その原因を作ったのは個人であれば、「オレ以外の誰かである。オレではないのは確かである。」、という事を証明しようとし、国家であれば、「アメリカ以外のどこかの国。アメリカではないのは確かである。」、という理屈を立てて行動する、これがアメリカの本質のような気がします。

私の経験からは、悪いのは自分ではない事がわかった瞬間、問題の解決の輪から自分をパッと外します
そしてオレ以外の誰か、アメリカ以外のどこかの国、が具体的に特定できた瞬間個人も国家も猛然と相手を攻めにかかる、そんな構造が見えてきます。

さて、アメリカ人を反省の世界に引きずり込むには、、、、、、誰か教えて下さい。
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