アメリカ人と日本人と仕事 |
仕事とは 「仕事は何のためにするか?」 この質問に対しては、いろいろな答えが返ってきます。が、我々庶民が仕事をする目的は収入を得て、生計を立てるため、というのがやはり実質的な第一の目的でしょう。 アメリカ人にとっても、これは当然同じで、仕事とそれに対する報酬意識は日本人より露骨で、ギラギラしているかも知れません。 私は仕事をしに、アメリカに来ております。さてここで感じる事は、、、、、。 |
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アメリカ人と一緒に仕事をすると、、、 アメリカで仕事をする、つまりアメリカ人と一緒に日本人が仕事をするとどうなるか? とても表しきれない程いろいろと違いがありますが、以下私の経験からそのごく一部を。 ・言われた事しかやらない 言葉で言うと単純ですが、判っていたつもりですが実は最初は非常に面食らいます。 仕上げた仕事に対して、「これはどうなっている?」、とか、「この部分が抜けているのではないか?」、とかいう質問をすると先ず「言い訳」をします。 そしてこれを繰り返すと、最後には、「それは言われておりません。」、という事を必ず言います。ですから仕事の指示をする場合は、具体的に何を求めているか、かなりテクニックが必要で、日本流の概略を指示して、後は考えろ、式は先ず通用しません。 ・他人と協力をしない、他人を助ける事が少ない 指示をある個人に対して出したときは、その人が仕上げることが原則になります。ですからその人がヘルプを出すまでは、誰も基本的には積極的に助ける事はしません。 イエ、助けてはいけないのです。もし、その仕事がうまくいかなかった場合は、「横から余計な事をされたから、うまくいかなかった。」という具合に、助けた人を言い訳の理由に使う場合もあるし、助けを求めるという事はそもそも「自分の無能を公開する」ような意味も持つからです。 これも仕事を始める前に、サポートをする人と、受ける人に指示を出しておく必要があります。アメリカは基本的に仕事は個人プレー中心で、チームプレーは期待できません。 チームプレーをやる時は、かなり明確に個人の役割を決める必要があります。 ・仕事の優先順位は人生の中では最下位 個人の生活を犠牲にして働くというのは基本的にありません。ですから、急な仕事で残業をしなくてはならない時などは非常に困ります。 「今日は息子の野球の試合がある。」とか、「今日はカミさんではなく、私が子供を幼稚園に迎えにいく番である。」とかの理由がある人に、残業を命じるのは非常に難しい場合が多いのです。 仕事の目的は「楽しく生活するため」ですから、これを犠牲にしたら何のための仕事なのか、わからなくなってしまいますからね。 ・同僚、もしくはそれに近い人同士での仕事の指導はない 会社でのタイトル(肩書き)が同じか、近い場合、仕事のノウハウの伝授はあり得ません。上下関係にあってもノウハウは基本的に他人には伝えません。 ノウハウはその人個人の持ち物であり、それによって他人よりも優位に立てる「財産」ですから、それをタダで、他人に伝授するわけがありません。 びっくりするくらいにいろんな知識、ノウハウは独り占めしてしまいます。 ・失敗は絶対に認めない 失敗をしたときは、どんなウソをついてでも自分の正当性を主張します。 最後には、「この件が遅れた理由は、あの日は雨が降っていて、書類を濡らした。だからもう一度作り直さなくてはならなかったからだ。雨の中を外を歩くような建物のレイアウトが悪い。だから仕事が遅れたのは、きちんとした通路がないのが原因である。」 くらいの事は平気で言います。 その他ににも一杯ありますが、これらはタイトルとか、受けた教育とか、育った環境で大きく違いますし、みんな同じという訳ではありません。またしょっちゅうこのような事がある訳ではありません。 アメリカ人と仕事をやっていて、何かの時に、「あれ?何で?オレのやり方間違ってる?」、と感じた時は、これらの事が大体共通な特徴として現れるのです。 |
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西洋の神様と仕事 上で書いた事を逆に解釈すると、 ・言われた事は確実にやる ・自分で工夫をして他人に頼らずにやる ・仕事と個人の人生のバランスをとって仕事をやる ・個人の技を常に磨くことを心がける ・自分のやった事に対しては自信を持っている となります。 ただ一般的には、新しいことをどんどん積極的にやるとか、できるかできないかわからないが、未知の分野に積極的に飛び込むという姿勢は、あまり感じられません。理由はいろいろとあると思いますが、雇われている人は要求される成果に対して給料が払われているのであり、それ以上、それ以下もダメという「契約」が基本にあるからだと思います。 仕事は全てトップダウンで、下からの提案を積み重ねてやるというのは基本的にありません。トップダウンができないリーダーはそもそも失格です。 つまりアメリカの会社では立つ人の才能如何で、ものすごく変わると言えます。 ですからアメリカ人と一緒に仕事をやっていると何か違うのです。歯がゆくなる事が多いのです。勿論彼らには彼らの特長もあり、どちらがイイとは言い切れないのですが、「でも、歯がゆい!。」のです。 遅い、抜け漏れが多い、気が利かない、熱意が感じられない、言い訳が多い、、、etc。 昔アダムとイブがおりました。2人は楽園で毎日ブラブラと仕事をすることなく、平和に暮らしておりました。 ところが神様の言い付けを守らずにリンゴの実を食べたために、楽園を追放され、自分で畑を耕さなくてはならなくなってしまったのです。 アダムとイブは手にできた豆をながめて言いました。 「アーア、神様の教えを守っておけば、こんな苦労はしなくてもいいのに。」 そうか、判った!!! 罪を犯した人へ神様が罰として与えているのが労働なのか! 罪を犯さない人は働かなくてもいいのです。 罰だから、リキが入らないのは当然です。ナルホド、ナルホド。これが西洋の神様の教えなのか! 働いている奴はみんな罪人なのです。 でも待てよ、日本の神様はどうなっているのかな? あれ?日本には神様は一人ではなく一杯いて、みんな仕事を持っているではありませんか。神様ご自身が額に汗して、働いている。神様が働いているのに我々庶民が遊んでいるわけにはいかない。 そうか、日本では働くことは神様の教えに沿っているのだ。 アメリカまで来て働いている私なんかは、罪人の中でもかなり凶悪な部類なのか知れません。そんな凶悪な部類の罪人が、尊敬される訳がありませんね。 |
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ある国際人の意見 私の悩みをいつも聞いてくれる、ある先輩にご意見を伺いました。 タイやインドネシアで仕事をしていて感じたことですが日本人との最大の差は逆算する習慣が有るか無いかです。 日本人の場合この仕事はいつまでに終えなければならない、この仕事を終えるにはどれだけの時間が掛かる、だからいつこの仕事に取り掛からねばならない、と逆算で仕事の準備をします。 一方タイやインドネシアでは、 「今日スタートしました、だから○○日ごろ出来上がるでしょう、とにかくスタートしたのですからジタバタせずに待っていて下さい、時間がくれば出来上がります。 それを何故待てないのですか、待つしかないでしょ?。」 四季のはっきりしている日本国に住んでいた農耕民族であった我がご先祖は、210日が来る前に稲の収穫を終えなければせっかくの稲が全滅、生きてゆけないと言う現実から、この逆算する能力がDNAに刷り込まれていたのではないでしょうか。 ただ温室栽培の野菜を食べ温室で育てられた最近のガキ共のDNAからは削除されているようですが。 一方タイでは Nai Naam Mi Pra 水に魚あり Nai Naa Mi Khao 田に米あり と云われる様に豊かな風土で、逆算しなくても苗を植えればいつかは米になるのです。逆算する必要性がないのです。 アダムとイヴは神の罰を受け、仕事をしなければならなくなったそうですが、旧ソ連の時代の小話にこんなのがあります。 アダムとイヴはソ連人である。 何故なら着るものも無く、食べ物はリンゴだけ、 それでも彼らは天国にいると思っていた。 国際化とかについてエライ先生方が本を書いたり、テレビに出たりしていろいろとご意見を発表されております。私もそのようなものを昔は時々読んだことがあります。 でも最近は止めました。 何故かって?「国際化」とか言って騒いでいるのは、日本だけで、少なくともアメリカは日本流の国際化をしようなんてこれぽっちも考えていない事がようやく判ったからです。 「力の弱いほうが、強いほうに合わせる。」、「アメリカのやり方以外はおかしいのであって、アメリカのやり方に合わせれば万事うまく行く。」、といういのがアメリカが考えている国際化です。 何かおかしい、、、、、。 |
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