上海(その2) 1110
上海の後半は市内観光です。たった3泊4日の旅ですから欲張りはできませんが、日本に帰る4日目は出発時刻が夕方の5時ですからかなり有効に使えました。

上海市内観光も昨日と同じく私とカミさん2人でマイクロバスと運転手、それにガイドさんを占有です。
何だか豪勢な気分になってしまいました。どうしてこうなったのかよくわかりませんが、日本からの観光旅行者は日本のパック旅行で来るか、私達と同じように個人旅行で来る時でも日本の旅行会社に申し込むと、ある程度の人数になってしまうようです。(私達は直接上海に申し込みました。)

とにかく初めての場所は旅行会社企画のツアーを利用して、見所を効率よく観光するのは悪くありません。旅行会社もそれなりに知恵を絞って企画してしているので、ハズレになるという事も少ないと思います。

秋の上海観光、後半の記録です。
朝食

日系のホテルなので、本格的な高級日本レストランがあります。2日目の朝食は、この日本レストランに行ってみました。
朝食は3つか4つのレストランの中のどこに行ってもOKでした。

このホテルはいろいろな人が泊まっています。英語を話す白人、中国人、やはり日本人も結構います。

朝からご飯のお代わりをしてしまいました。
森ビル(1)

正式には”上海環球金融中心”とか言うらしいのですが”モリビル”で通っています。
高さは492mもある超高層ビルで、上海のビル群の中でもその洗練されたデザインとともに抜き出でています。

最上階の展望台へのエレベーターで前国交省大臣の馬淵さんとすれ違いました。
カミさん:「あら?」
馬淵さん:「こんにちは!」
こんなところで何してるんだろ。
森ビル(2)

有名な上海のテレビタワーも下に見えます。
どんよりした天気で、遠くがくっきりと見えるという感じではありませんが、今日のガイドの王さんによるとよく見える方だそうです。

朝9時過ぎなので、展望台も観光客が少なく、ゆっくりと見ることができました。
エレベーターも待ち時間がなくスムーズです。。
森ビル(3)

この展望台では丁度、あるカップルの求婚セレモニーをやっていました。
若者が女性に指輪と花束を贈り、みんなの前で求婚をするというものです。

友人らしい若者が何人か来てワイワイやって、「チュウしろよ!」、とか言うので、2人はチュウしていました。
(中国語はわからなくても、こういうのは何となくわかるものです。)
浦東エリア

この辺は金融・商業関係の中心地で高層ビルが林立しています。
近くにはショッピング街などもあり、観光客が多く訪れるエリアでもあります。

しかしこういう超高層ビルと、近代的な街並みを見ていると上海が中国経済の中心地であるという感覚がひしひしと伝わってきます。

昨日見た校外の工場群といい、このオフィス街といい、中国のパワーを感じます。
テレビ塔

正式には”東方明珠塔”と言うらしい。
東京スカイツリーができるまではアジア一の高さのテレビ塔でした。
このタワーには屋外展望台もあるとの事でした。

ツアーではこのタワーの展望台に上るのではなく、この下にある”上海歴史陳列室”に行きます。

そんなところかな、、、。
上海歴史陳列室(1)

中に入るのも一般の観光客が並んでいるのを横目に優先して中に入れます。
どうなっているのかよくわかりませんが、ガイドさんがはいこちら、と案内してくれます。

入ったところが租界時代に西洋人が使っていた車の展示です。
メーカー名はナゼか消してありますが、フォードのT型等もありました。
上海歴史陳列室(2)

これも1920年代〜30年代に走っていた路面電車の再現です。
説明によると既にこの時代に路面電車、トロリーバスは”庶民の足”であったそうです。

ナゼか最後に1970年製の”中国製の乗用車”なるものが展示されています。
上海のメーカーが作ったものだそうです。
上海歴史陳列室(3)

1900年始め頃の上海の庶民生活の様子を表したものです。
これは臼で麦を挽いている様子です。

中国の家には大きな水瓶が置いてあるのが特徴で、日本のように井戸を掘って水をくみ上げるのが難しい土地が一般的であったようです。

カマドとかの炊事用具は日本の昔の家と似ているイメージです。
上海歴史陳列室(4)

おばあさんが糸を紡いでいるところです。
円錐形の筒の中に入っているのは子どもで、ここに入れておけばあちこち動き回ってケガをしたり悪さをしないのでおばあさんも楽です。

この筒は支那事変で中国に行った親戚の叔父から話を聞いた事があります。
赤ん坊はおしめはしないで、そのまま垂れ流しで、おしっこ・ウンコをしたら位置をずらすだけ、と言っていたのを覚えています。
上海歴史陳列室(5)

さてこれは何でしょう?
そうです、液体燃料販売所です。

このオジサンは量り売りをしているところです。小さなひしゃくでとっくりに液体燃料を注いでいます。
前にはソロバンが置いてあって、液体燃料は無料ではない事がわかります。

一般的に飲まれているのは黄酒(ホアンチュウ)で米を原料とした、アルコール度15%前後のものだそうです。
上海歴史陳列室(6)

阿片を吸う中国人の様子です。
イギリスが清国に対して何をやったか、どういう形で支配したか、ちょっと調べれば信じられないような事実が山ほどあるのですが、日本人は意外とこれを知りません。

アヘン戦争の結果が日本の明治維新に与えた影響は計り知れないのですが、NHKの大河ドラマもこれについては殆ど話に組み込みません。

今の中国もこの歴史は大きくは取り上げません。ナゼか、当時の中国は清王朝支配、今の政権は中国共産党、関係がないからです。
上海歴史陳列室(7)

租界時代の上海でしょうか。ネオンもあり、車も走っています。
こういう風景は1900年前半を舞台にした映画にはCGによって見事な姿で蘇っています。

アヘン戦争でイギリスなどが土地を租借して租界ができて、これは約100年間続きました。
当時のイギリス、フランス、アメリカがどのように中国を食いモノにしていたか、今の常識で判断してはいけないのですが、事実は知っておくべきだと思うのですがネー、、、。
上海歴史陳列室(8)

これは何のポスターだったか、説明を読んでくるのを忘れてしまいました。

ナゼ写真を撮ったかというと、この筆のタッチと女性の表情は何となく日本の大正、昭和初期の頃の日本のポスターに似ており、気になったからです。

こういうポスターは東京江戸博物館、上野の下町風俗資料館に何枚も展示してあり、また似た絵は古本屋で昔の雑誌を見たときに見ています。

このポスターの顔の表情とか口元の感じなどを見たとき、ハッと思ったのでシャッターを切りました。

上海の日本人については、虹口区に日本人租界があって、日本人が10万人以上が住んでいたそうで、本当はどんなところなのか行ってみたかったのですが、今回は時間の都合でいけませんでした。

日本と中国の歴史を考えるとき、1800年初頭からの欧米と中国の歴史と一緒に見ていかないと、全くのトンチンカンな解釈をしてしまいます。
バンド・エリアへ

ガイドの王さんは昨日のガイドの集散より日本語はうまくありません。
次にどこに行くのか、行き先はどこなのか、時として混乱する事がありました。

これは上海歴史陳列室を出て、地下道の高速カプセルシャトルに乗った時に撮った写真ですが、王さんからは何の説明もなく、ちょっと戸惑いました。
バンド

上海をの港湾をとして発展したエリアで、多くの西洋建築が立ち並ぶところです。
建物は1910年代から1930年代に建てられたものが殆どで、それぞれ今も政府が使っていたりレストラン、ホテルなどになっています。

バンドの風景は昔の写真を見ても、今現在の風景も殆ど変わりはありません。
時間があればゆっくりと散歩をしてみたい場所でもあります。
お茶屋での実演

例によってコースの中には必ず一カ所以上、土産屋訪問が組み込んであり、観光客に散財をさせようと罠を仕掛けております。

この日はお茶屋で、まず個室でお茶を煎れながら説明をして客をその気にさせます。
という事で、この日はここでお茶を買ってしまいました。
つまり罠に掛かってしまったとい次第です。
上海のマンション

ぱっと見たところ日本のマンションとあまり変わりはありません。
しかし大きく違うのが、ベランダが全くないか、殆どない点です。

このマンションのように小さなベランダがあるタイプでも、よく見るとベランダは屋根をつけてガラス戸で覆って、部屋にしているのがわかります。

このマンションは上海のど真ん中なので、かなり高価だと思います。
昼食です

この日の昼食は飲茶です。
全部で8種類くらい以上出てきました。
味は全部グッド、ボリュームは120点で、また食べ過ぎてしまいました。

周りは中国人で一杯です。みんなワイワイと楽しそうに食事をしています。
日曜なので家族・親戚が集まって食事をしているようでした。
上海都市計画展示館

上海市の歴史と現状、そして未来について展示がしてある施設で、上海市の宣伝館といったところでしょうか。

ここの入り口で日本人の観光グループに会いました。年配のオジサンが何やらいろいろと質問してガイドの青年がタジタジになっていました。

私達のガイドの王さんによるとこのオジサン、いろいろと勉強していて、ガイドの説明に突っ込みを入れているという事でした。
泰康路(1)

かつては工場とか倉庫があったところを、ハイセンスなショップとかレストランなどに改装したところで、なかなか面白いところです。

各国の外国人観光客とか、中国人の若い世代に人気のあるエリアで、大変な人混みです。
エリアとしては150m四方もないくらいの狭いところですが退屈しないところです。
全くの観光客向けの場所と言えるかも知れませんが、上海で行ってみてもいいところの一つです。
泰康路(2)

こんな店もありました。入れ墨を掘る店です。ナゼこんな店があるのかわかりませんが、しばらく見ていましたが誰も入って行く人はいませんでした。

よくみるといろんなお店とかレストランは市場に国際色豊でやはり国際都市、上海のイメージにぴったりの場所です。
日本人オーナーの店も増えているそうで、”寿司”なんて看板を出しているレストランもありました。
泰康路(3)

ここは新天地とかのいかにも”造った!”というエリアではなく、昔の上海の普通の路地に店が入ったという感じです。
椅子とテーブルを表に出したカフェのような店も多く、こういう雰囲気は白人に大いに人気がある様子でした。

上海自体が西洋と東洋がごっちゃになっているところで、これが更に独特の雰囲気を造っています。
泰康路(4)

これは何でしょうか。
これはですね、液体燃料摂取施設です。もっとオープンな店のスタイルもあり、結構な数が営業しています。
中は西洋風のカウンターバー、テーブルも少しあります。音楽はかかっていません。
クーニャンは接待はしないシステムのようです。

中に入っているのは白人客の観光客が多く、中国人などはあまりいませんでした。
夕食

この日の夜は上海夜景を見るクルージングです。
これは夕食とセットになっており、先ずこれを食べてから出掛けます。

夕食は結構有名なレストランで北京ダックのコース料理です。6人グループと一緒に食べたのですが、スゴイ量です。
味もなかなかのもので、大満足でした。

このグループ、Y社の現役と退職の女性社員5人と、現役の上海駐在の男性社員でした。
ナイト・クルーズ(1)

クルーズ船は大きくはありませんが、相当な数の観光客が乗れそうですが、21人とのこと。
全員日本人観光客でした。
いろんなコースで来た人がたまたま一緒になったという感じでした。

定刻に船は出航します。
噂どおり、素晴らしい夜景が両岸に拡がります。
テレビ塔のある浦東新区側は現代の上海を象徴する景色です。
ナイト・クルーズ(2)

バンドのあの有名な”旧香港上海銀行”、それに”旧江海関”の建物もライトアップされて、まるでおとぎの国の建物のようです。

これらの建物は1920〜1930年代に建てられたもので、租界時代の象徴とも言うべきものです。
このノスタルジックな地域は、やはり私なんかのイメージの上海ですね。
ナイトクルーズ(3)

江浦黄には様々なナイトクルーズの遊覧船が行き交います。
小さな遊覧船は20〜30用人くらい、大きいものは100人以上を乗せるものまで様々です。
双眼鏡でのぞくと立派なバーとかレストランを備えたスゴイ豪華な遊覧船もあります。

でもどの船も乗客は非常に少なく、感じとして15%、いや10%以下の感じです。

採算が取れているとは思えません。
ナイト・クルーズ(4)

今日訪れた森ビルも見えます。やはりズバ抜けて高く見えます。

しかしこれらの超高層ビルのイルミは何とすごいものでしょうか。
今の日本ではこういう景色は過去のものになりつつあります。

一方で日本は、電力不足の危機にさらされている、非常事態の国になってしまっているのです。
ホテルの北側の通り

ホテルの長楽路という通りで、ここも賑やかです。この通りに面してこのような店がありました。
中はどうなっているのか、入ってみたいと思いましたが、今回はパス。

上海通のTさんによると、上海のナイトライフはなかなか変化に富んでいるようで、かなり強い意志が必要なようです。
豫園に向かいます

像園に行くには地下鉄10号線のX西南路駅に行かなくてはなりません。
ここはホテルから5分くらいです。

駅の手前でまだ血抜きが十分に終わっていない鶏をぶら下げているオバサンに出会いました。
血が袋の底に溜まっています。

今夜のおかずでしょうか、それともお昼に頂くのでしょうか。
豫園(1)

地下鉄10号線の豫園でおります。
日本と同じで、どの方角(番号)に出るか、間違えるとぐるっと回る事になります。

出口の番号は通りを示したり、大きな行き先ごとに示したりしていますが、地図での案内はあまりなかったと思います。

通りの名前とかは当たり前ですが全部簡略された漢字なので頭に入らず、かなり苦労します。
豫園(2)

豫園老路の入り口です。
ここは昔の上海の路地を再現したものだそうで、いろいろな土産物屋がずらりと並んでいます。

食べ物屋もありますが日本のようにうるさい呼び込みもなく、ゆっくりと見れます。

4目の上海、この日の夕方のフライトで帰国ですからお昼ちょっと過ぎまで豫園の探索としました。
像園(3)

豫園商城、観光客が必ず行くところだそうで、すごい人です。
ここも白人が結構目立ちました。

建物は江南地方の伝統的な建物だそうで、とにかく賑やかです。昔の中国の雰囲気です。

上海では警官の姿は殆ど見掛けません。パトカーもあまり見ませんでした。
そう言えばNYはどこへ行っても警官だらけ、だったなー、、、急にそんな事思い出したりしていました。
豫園(4)

広場横の食べ物屋です。
串焼きですが何の肉でしょうか。豚ではなさそうだし牛かな、、、それとも犬かな〜。

横の黄色いのは卵焼きそっくりですが、まさか卵焼きではないと思うのですが、、、。
こういう馴染みのない食べ物を観察して歩くのも楽しいものです。
(食べ物ですから本当は口に入れないと話にならないのはわかっていますけど。)
豫園(5)

古典庭園です。私達は南西の一般的には出口なっているところから入ってみました。

入った瞬間、映画でしか見たことのない中国庭園が目の前に現れます。
非常に緻密な造りです。

ここができたのは16世紀頃だそうで、全部で2万uの広さがあるそうです。
像園(6)

ここで初めて日本語が耳に入ってきました。2人連れの女性で、1人がもう1人にいろいろと説明をしていました。
ちょっと声を掛けたのですが、説明をしている方の人は上海に住んでいる人のようでした。

これは壁の上に泳いでいる龍を載せた”龍壁”と呼ばれるものだそうで、なかなかリアルでした。

下ばかり見ていると見逃す可能性があります。
像園(7)

西園門の近くにあった土産物屋です。ここは安物の土産ではなく、円換算で1万円以上のものが多く、中には10万円くらいのもののありました。

こういうアンティークなものはやはり見る目を養っておかないとダメです。
チャイナでできた中国美人の人形が気に入ったので、買おうかどうしようか迷いましたが、結局買わず。
今になってかなり後悔しています。
豫園(8)

ゆっくり回ればこの庭園だけで数時間はたっぷりかかります。
後ろに見えるお堂の名前は忘れましたが、この辺りから見る庭園はなかなかのものです。
池には大きな鯉が悠々と泳いでいます。

この日は日曜なので人で一杯ですが、平日に来ればもう少しゆったりと見れると思います。
でもこの日は天気も良く、気温も適当で日和としては最高でした。
像園(9)

庭園の見学を終え、再び豫園商域中心広場を抜けてブラブラと駅に向かって歩きます。
何件かの土産物屋に日本語で声を掛けられましたが、日本人を見分ける目はスゴイですね。

実は後でわかったのですが、この広場の更に南側には明時代風に造られた土産物屋とか食べ物屋が並ぶ散策路があったのですが、見逃してしまいました。
事前調査不足でした。
黄金ショップ

中国人は財産を金で持つ人が多くいます。
理由は紙幣は政府がなくなれば、おしまい、不動産はいつ戦乱で住めなくなるかわからない、という4000年の歴史の中での知恵なのでしょう。

そこで金を売っている店に入ってみました。10gくらいの小さな金塊から、10kgまでの金塊が(多分見本?)ケースの中に鎮座していました。

10kgというと、、、4000万円か〜。これ1個でいいから欲しい、、、。
地下鉄の荷物検査

上海の地下鉄は基本的に空港で行っているようなX線による持ち物検査を行っています。
地下鉄の乗客の数は空港とは違い、桁違いに多く、これを1台の機会でやっている訳ですから、ずばり形式的、”ザル検査”です。

しばらく観察していましたが、ハンドバックは通さないで、手で持っていたビニール袋だけ通すとか、みんな適当です。

こんな検査止めたら?
ホテルに帰ります

地下鉄10号線のX西南路駅を降りて、ホテルに向かいます。
既にお昼を過ぎていたので、何か食べたいと思っていたところ吉野家の牛丼の店が目に入りました。

サービスキャンペーン中で、ジュースと肉団子がついて200円ちょっと相当でした。
味は日本そのままの醤油味で、ご飯はちょっと柔らかめでした。
ホテル前の通り

午前中に行った豫園付近は人でごった返していましたが、ホテルのある付近は日曜日なのでのんびりとした雰囲気です。

ここでやっと気が付きました!
観光スポットは平日に回り、休日は市内散策をすれば人混みにかき回されずに済みそうです。

今度来るときは、そういうスケジュールにしよう、、、。
3泊お世話になったホテル

今回泊まったホテルは快適で、5★にしては値段もリーズナブルだったと思います。
上海には万博需要を見込んで、たくさんのホテルが開業し、実は供給過剰気味になっているようです。

上海はまだまだ見たいところがあちこちあるので、また再訪をする必要がありそうです。
その時もこのホテルにしますかね〜、、、。。
上海浦東空港・出発ロビー

像園見学にたっぷり時間を取ったので、ホテルに帰って来たのは1時を過ぎていましたので、空港まではタクシーにしました。

普通は1時間近くかかるそうなのですが、この日は日曜日ということもあって、40分ほどで空港に到着しました。

これで約2000円相当ですから、日本の感覚でいくと安いものです。
中部セントレア空港まで

カウンターでチェックインすると、ビジネスクラスにアップグレードです。
ラッキーです。。
帰りは2時間半ちょっとですから、エコにミーでも全く問題ありませんが、少々疲れていたので助かりました。

食事はエコノミーよりはちょっとだけまし、というレベルでした。
到着したら車の運転があるので、液体燃料はなし、ちょっと寂しい、、、。
3泊4日の上海旅行は結構中身が濃いものでした。
上海市内観光は地下鉄を使えば全く問題ない事もよくわかりました。その地下鉄の乗り方も非常に簡単で分かり易いものでした。
行く前に心配した食べ物もハズレはなく、どれもおいしいいものばかりでした。と言うより、今回はあまり冒険をしない食べ方をしたせいかも知れません。
この次に来るときはもう少し食べ物で冒険をしてみようと思います。

上海は昔から日本とは切っても切れない関係にあるのですが、”上海歴史陳列室”などを見るとフランス租界、それに共同租界のかなり詳しい説明がありましたが、日本の”に”の字も見つける事はできませんでした。
この点、あちこちで”日式”という文字を見つける事のできる台湾とは印象的でした。

政治的には徹底した反日政策の国です。というより日本を敵対視し、実際に行動に出ている国です。あちこちに反日のとんでもないプロパガンダの施設があったりして、国民を教育している国でもあります。

楽しかった、おいしかった、きれいだった、の観光旅行ではなく、今度はもう少しそういうところも見れる旅行をしてみたいと思います。
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