オハイオとは全く関係のない話
以下の話はオハイオとは殆ど関係のない話です。でも「番外編」だから、何を書いてもいいですよね、、、、、。

、、、、、、先日机の中を整理していたら、あるメモが出てきました。A4の紙にびっしりと書いたメモで、いつごろ書いたのか、オハイオに来てから書いたのは間違いないのですが、どうしても思い出すことができないのです。

でもそのメモを読んだ瞬間、何を忘れないようにしておきたかったのか、それは即座に思い出す事ができました。
メモに書いてあったのは、日本の江戸時代の侍の話でした。

内容があまりにもオハイオの生活とはかけ離れている、またあまりにも現実主義のアメリカとはかけ離れている内容でしたので、このHPに掲載しようかどうしようか迷いましたが、メモと記憶を元にその内容を整理してみました。

内容は見方によっては、他愛のない内容かも知れません。このHPに似合わない内容かも知れません。
しかし、どうしても気になったので書いてみました。
この話、テレビでもなし、ラジオでもなし、ひょっとしたら本で読んだのか、やはりどうしても思い出せません。どなたかこの話の出所、知っていますか?
(メモの内容:その1)

1868年に日本は江戸時代に別れを告げ、近代国家になるべくその一歩を踏み出した。明治維新である。
それまでの約250年間は徳川幕府の時代、江戸時代であった。江戸時代は士農工商の身分制度があり、これは厳密な制度であったらしい。

士は侍、つまり支配階級であり、全人口の約10%程度であったとされる。この士農工商の中で経済的に最も恵まれない階層、それは何と侍だったという。
勿論全部の侍が貧乏であった訳ではないと思うが、とにかく侍と言えば貧乏の代名詞であったらしい。侍は何かを生産するとかいう階層ではない、経済活動には殆ど寄与しない人々であった。

その貧乏人の代名詞である侍が支配階級であり、それを他の身分の被支配層があまり不満を持たずに支配されていたというのが江戸時代との事だが、どうして支配階級と被支配階級の間に軋轢がなかったのだろうか。

理由はいろいろとあるが、侍は貧乏であったが、他の身分の人達から基本的に、「尊敬をされていた」、からというのが最大の理由だとされている。
江戸時代とは、身分制度の中で侍は尊敬をされ、その人達が社会を支配していた社会だったらしい。
(メモの内容その2)

江戸時代のある地方の城下町。ある侍の妻が魚屋に買い物に行った。侍の妻というものは普通はお金を持って買い物に出かける事はなかったらしいが、下女もいない、最下級の侍の妻であったのだろう。翌日は息子の元服の祝いの日であり、その祝い膳の準備のために買い物にでかけたのである。

ところが、手持ちの金子では祝い膳に必要な鯛を購入する事ができなかった。鯛はとても高価な魚である。困ったその妻は魚屋に、十尾の鯛の貸し出しを申し入れたのである。親戚も集まるし、鯛は十尾が必要であったのだろう。魚屋も困った。貸し出した鯛を再び返してもらっても、焼くか煮てしまっているだろうからもう売り物にならない。
魚屋はこの申し入れを断った。魚屋という商人としては、当然の返事である。

妻は落胆したが、一つの案を考え出した。
息子の元服は何としても祝う必要があったし、親戚に披露もしなくてなならい。祝い膳も必要である。そこで本物の鯛が無理であるならと、鯛の絵を半紙に書いて、それを膳の上に置いて、祝い膳を準備する事にしたのである。墨で書いた、食べられない鯛である。

これを知ったその魚屋は、そこまでして祝いをしようとする侍の妻の工夫と心意気、何よりも元服という儀式に対する執着心に感心をして、十尾の鯛を進呈する事にした。
魚屋は侍の家に行って鯛を差し出すと、その妻はお礼を言ったが受け取る事ができない旨を述べた。いくら息子の元服の祝いであると言っても、親戚でもない魚屋から十尾もの鯛を貰い受ける事はできない、これも当然の返事であろう。

貧困を絵で書いたような武家の家。しかし手入れは行き届き、庭もきれいに掃き清められている。
奥をのぞくと、既に半紙に書いた何尾かの鯛が置いてある。妻は半紙に書いた鯛を膳に置き、しきたりを守り息子の元服を祝う気持ちを貫こうとしたのである。

半紙の鯛は食べ物ではない、精神そのものである。
そこで魚屋は貰いたい物があるので、それと引き換えに鯛を受け取って欲しいと言った。貰いたいものとは半紙に書いた鯛の事である。

侍の妻は半紙の上に墨で書いた鯛は、絵であって交換に値しないと言ったが、魚屋はこう答えたと言う。

「私は私の子供、そしてもし将来孫ができたら、ご新造様の話をするためにこの半紙の鯛を頂きたいのです。子どもを思う気持ち、人生の節目をつける儀式の大切さ、これを教えるために頂きたいのです。
この半紙の鯛はいつまでも使えます。実際の鯛の何十尾、いや何百尾の価値があると思います。ここにある私の鯛は食べてしまえば何も残りません。この半紙の鯛はいつまでも残ります。」

魚屋は十尾の鯛と引き換えに、侍の妻の精神と侍の家の精神の写しをもらったのである。
後日これを聞いた殿様が、その侍の妻を褒め、そのような母親に育てられた息子は立派に違いないという事で、出世をさせた。魚屋も殿様から褒められ、半紙の魚を家宝にしたという。
以上が見つけたメモと、私の記憶から簡単にまとめた貧乏侍の妻と魚屋の話です。

魚屋の持つ十尾の鯛と、侍の妻の持つ半紙に書いた鯛。現代の経済的価値観で解釈すると、食べられない鯛と言うのは価値はゼロとなります。
しかしこの話の中では、食べられない半紙の上に書いた鯛の方が、何だか立派に光って見えます。何故でしょうか。

半紙の鯛を膳に乗せなければならないという事について、侍の妻はものすごく恥ずかしかったと思います。辛かったし、情けないと思ったに違いありません。
そんな状況だったら、息子の元服の儀式は止めることもできたと思います。
この話はできすぎているので、誰かの創作でしょうが、いずれにせよ人が人を尊敬をするという事はどういう事かをうまく説いている話だと思います。

世の中で指導的な立場にある人はどうでなければならないか、やはり、「尊敬される」人でなければならないのです。力、パワーではないのです。
その指導者なりに、追従していくという気持ちをおこさせるのは、結局は「あの人の言う事だから、、、」、という気持ちが自然と湧いてきて、そこで時には無理な事も聞き入れる気持ちになるのです。

アメリカは自らは世界のリーダーだと思っているし、そのような発言と行動をしています。
侍の妻をアメリカ、魚屋を日本に置き換えた場合この話は、どういうストーリーになるでしょうか、、、、、。
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