15−10−12 越南の風(2)
ベトナムはずっと戦争をやってきた国であり、おおまかに言うと100年間も続いており国土と国民は疲弊していた、そして1986年からドイモイ(簡単に言うと自由主義経済の導入)により経済の活性化を進めている、という国です。

私はベトナムへ行って何を見たかったか?
ベトナムに行くと言ったら多くの知人・友人から、「ベトナム料理はおいしいですよ」、と言われました。

確かにそういう料理も食べてはみたいのですがそれ以上に興味のあるのはその国に住んでいる人達の表情、もう少し別な言い方をすると生活です。
もちろん生活の中には食べ物も入りますが。

街を歩きます。
歩いている人達の顔を見ます。日本人と殆ど変わらない顔で肌の色も同じような人、顔は日本人と似ているが肌がかなり茶褐色の人、明らかに我々と違う顔の人、実に面白い。

但し日本人とか朝鮮人に多い大陸系独特の顔つきの人はほとんど見掛けません。

ベトナムはキン族と呼ばれる人が80%を占めるそうです.

これも昔から中国系との混血が進んで、ベトナム系ベトナム人と中国系ベトナム人というような感じの構成になっているそうです。

女性は意外と肌の色が白い人が目立ちます。
ベトナムの日差しは強烈で普通にしていれば真っ黒に日焼けしてしまうのですが、ベトナム女性はこの日焼けから肌を一生懸命に守るそうです。

事実あれだけ暑いのに長袖を来ている女性が結構います。バイクでは顔をすっぽり隠している人もいます。仮面ライダーみたいです。
ベトナム人は男も女も全般的に痩せ形の人が多い。子どもはどうだろうと思い学校の前を通った時しばらく生徒を見てみました。少なくとも100人くらいの子供を見た限りでは肥満児を見ませんでした。

肉付きは食べ物に関係がある訳ですから皆は何を食べているのか観察してみました。ベトナムの人は自宅で調理をしないで外で食べる人が多いので観察は至極簡単です。

街中をブラブラ歩くけば道端、路地横のテーブル、ちょっとした階段横、歩道の植え込みの傍、店番をしながら、、、あちこちで食事をしている姿は簡単に見えます。
食堂もオープンです。

わかったのは先ず食べる量が割と少なめである事、野菜の量が多いこと、肉よりも魚を食べること、というのが私の印象です。

食事は、ドンブリに麺(ホー)、もう一つは皿の上にご飯を盛ってその上にお総菜を乗っける、この2つが主流です。

実際に自分でも食べてみましたが(ベトナム初心者の私でも入れるレストランで)、ベトナム料理はあまり"油っこくない"、というのもわかりました。

私に、「ベトナムの食事はおいしいですよ」、と言った方々は何を食べたのかわかりませんが、確かに味はあっさり系でおいしく感じました。日本人の口に合うと言うのは間違いではなさそうです。

ベトナム焼酎も飲んでみました。これは最高でした。
ホーチミン市内でいろいろな博物館を見て、そしてカンボジア国境近くのクチの軍事施設、メコン川下りなどを見学しましたが周りは全て平和な風景でした。

メコン川河口から有料道路を走ったりもしました。
左右には広大な水田が拡がっていました。クチに行くまではベトナムの田舎通りをずっと通って行きましたので、車の中からではありますがベトナムの田舎の人の生活風景を垣間見る事もできました。

どんな田舎に行ってもあるのは食べ物屋、食堂、それにバイクの修理屋でした。
つまり、食と足(交通手段)です。

電気屋は1軒だけ中古の冷蔵庫とかを売っている店を見つけました。

あとは建材店をちらほら、珍しいところでは吊り床(ハンモック)を20くらいセットしている店があり、昼寝をさせてお金をとる店のようでした。

民家の中も一瞬ですが何軒か覗くことができました。家は地面と殆ど同じレベルで床があり、そこにテーブルとか棚が作られていました。

ベトナムは常夏の国です。お店も家も全てオープンで、車がゆっくり走ると中の様子が割とよくわかりました。
田舎に行っても携帯電話のアンテナはキチンと立っていましたから電話のインフラはそこそこ整っているのでしょう。
こういう平和な田舎街・田園風景を見ながら私の頭の中で重なってくるのはやはりベトナム戦争の事です。博物館見学ではアメリカ軍のベトナム人への虐殺について気分が悪くなるほどの生々しい写真展示と説明がありました。

特にソンミ村での虐殺事件は細かく展示・説明がありました。この事件は世界中に大きく報道され、これによってアメリカ軍は南ベトナム軍と一般市民、それに世界中からの信頼を一気に失い、敗北に繋がったと言われています。

ソンミ村というのはホーチミン市の近郊ではありませんが、その風景はきっと私が車の中から見た現在の田舎の風景をもっともっと貧しくしたようなところだったと想像します。

道路や溝に転がる射殺されたベトナム人、家を破壊されて泣いている老婆。
背中に赤ん坊、両手に子供を連れて川の中を逃げ惑う母親。

食事中に殺された女の子は口の中にご飯が入ったままだったそうです。
そういう人々を500人も虐殺してしまった事件です。

これが明るみに出た後、虐殺をやった小隊指揮官の中尉(24才)ひとりを裁判で有罪にしてあとはお咎めなし。

上空にいた観測ヘリ・パイロットの准尉(25才)はこの狂気の虐殺を見て住民を助けようとしたが、帰国後国賊扱いをされて殆ど精神病、そして最近死亡。

学生の頃、テレビでは毎日毎日ベトナム戦争のニュースが流れ、仲間の何人かはベ平連に共感、活動をやっていました。
田舎街を走る車の窓から見える風景と人、何となく自分の青春時代の記憶とダブって見えるような気がしました。

ベトナム戦争の戦死者は南ベトナム軍23万人、北ベトナム軍110万人、アメリカ軍6万人、そしてベトナム一般市民200万人です。
沖縄と同じ、国土が戦場になるとはこういう事なのです。

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