15−08−16 浜松の夢追い人
今年は残暑がありません。9月になってからの最高温度は28℃〜29℃の日が数日あっただけで中旬になると25℃を越える日はなく、爽やかな日が続いています。

さて月例の"あるこう会"、7月はアメリカ旅行で参加できず、8月は年間で唯一月例会がない月なので3ヶ月ぶりの参加という事になりました。
今月の行き先は浜松、ホンダ技研の創業者である本田宗一郎の故郷を訪れるという10kmのコースです。

いつものとおり鈴鹿サーキットの駐車場の隅っこに07:40に集合。ちょっと早いかなと思いつつ07:10に着くと既に4台のバスか来ており、3分の1くらいの参加者が既にバスの中に座っています。

みんな早く集まるのですね、ホントに。
浜松のOB

浜松にはホンダの工場があり、本日はここのOBの方3名が案内をやってくれる事になっています。

船明ダム横の大駐車場にバスは駐車、ここが本日のスタート/ゴール地点になります。

バスを降りて本日のコースについて浜松のOBの方の説明を聞きます。

1100ちょっと前、お天気はまだ雨は降っていませんが、非常に怪しい。
船明荘

本田宗一郎は毎年小学校の同窓会をここでやっていたそうです。

宗一郎はバスを停めたダムの大駐車場まで東京からヘリで来て同窓会に参加、そしてヘリで東京に帰って行ったそうです。

大駐車場はダムの横ですから何も遮るものはなく、料亭までは200mくらいしかありません。
歩き始めて30分

本日の歩行距離は10km、今までの中で一番長い距離です。
短いときは5km、普通は6〜7km、長くても8kmくらいです。

コースは舗装された道が殆どで、アップダウンもなく、歩きやすい。
私とカミさんはどんなところでもスニーカーで行きますが、皆さんは結構本格的なハイキングシューズを履いてみえます。
光明小学校(1)

宗一郎はこの小学校の隣にある、今は幼稚園になっている光明村立山東尋常小学校を卒業していますが、この小学校に生前に多くの物を寄贈しています。

本日はこの小学校の校庭を借りてお昼の弁当を食べます。
”あるこう会”の幹事さんは下見の中で学校との交渉もやってくれています。
感謝です。
光明小学校(2)

宗一郎から寄贈された品物は教室のひとつを使って生徒がいつでも見れるように展示されています。

私達も学校の中に入って見せて頂きました。展示品は会社を大きくするまでに苦労をして開発、生産した製品と共にいろいろな説明がされてあります。

写真とか宗一郎自筆の絵はがきも展示されています。
試す人になれ 本田宗一郎

古くからの言い伝えに、見たり、聞いたり、試したりということがあるが、わたしはこの中で一番大切な事は試してみることだと思います。

最近のようにテレビ、ラジオが発達していると見たり、聞いたりすることは非常に多いが、実際に試してみる人は非常に少ないように思われます。

ことに実行には失敗がつきものです。失敗したら、何で失敗したか、その原因をよく確かめる事、つまり反省してみることが大切です。

再び同じ原因の失敗をくり返すうようでは正しい反省をしていない証拠であり、また成功に通じることはありません。

皆さんは失敗をおそれず、勇気を出して試してみる人になって下さい。


実は私は入社して3年目くらいの時に、本田宗一郎(既に社長ではなく、最高顧問という肩書きでした)とあるイベントで言葉を交わす機会がありました。

その時に言われたのも、「新しい事をやるのは大変なのはよくわかる。でも失敗をおそれるな。工夫して、考えて前に進め。わかったか?」、でした。

小柄な人でしたが、大きくてしっかりした声、人を引きつける何とも言えない笑い顔、今でもはっきりと覚えています。
本田宗一郎ものづくり伝承館(1)

本日のコースの折り返し地点にあるNPO法人が運営する施設です。

大きな建物ではありませんが1階が展示スペース、2階が図書閲覧スペースとワークショップスペースになっています。

今日は時間の都合で1階のみの見学です。
本田宗一郎ものづくり伝承館(2)

本田宗一郎は創業者・初代社長ですが技術一筋、自分の印鑑は副社長に預けたまま、社印も見た事がなかった、という話も残っています。

1970年代後半にオハイオ州に進出を決めた時、「なぜオハイオに決めたのですか」、というアメリカの記者からの質問には、「神様のお導きです」、と答えています。
本田宗一郎ものづくり伝承館(3)

カブ号F型、1952年(昭和27年)に発売された自転車に付ける補助エンジンです。

これは性能もさることながら、「白いタンク、赤いエンジン」、も大いに人気になったそうです。
当時バイクを作る会社は100以上あったのですが、これでホンダは他社より一馬身リードをしたそうです。
本田宗一郎ものづくり伝承館(4)

1958年(昭和33年)に発売開始のスパーカブ・C100、セミスクーター型のバイクです。

これは今でも改良が加えられて生産されており、累計生産台数は9000万台(!)になっています。

私が小学生の頃(昭和36年頃)親父はこれに乗っており、背広にネクタイ姿で通勤していました。
私は小学6年生製の頃にはこっそりとこれに乗って近所を走っていました。
本田宗一郎ものづくり伝承館(5)

マスキー法という排ガス規制の法律(1970年発効)は当時の技術では実現不可能と言われていたのを、世界で初めてクリアーしたのがこのCVCCエンジンです。

最初は触媒を使っていなかったので有鉛ガソリンも使えたと聞いています。

その後改良が加えられましたが、更に規制が厳しくなってCVCCから他の方法に切り替わっています。
本田宗一郎ものづくり伝承館(6)

宗一郎はバイクを作り、車を作り始めた頃に既に、「将来は飛行機をつくる」、と明言していました。

宗一郎の存命中にはできませんでしたが、それも実現し、先日日本各地でデモフライトを行いました。
工場はアメリカ・ノースカロライナにあり、既に200機の受注があるようです。
雨の中の10km

今日は最初の2km以外は雨の中のウオーキングになってしまいました。

2km地点の光明小学校でお弁当を食べ終わると同時に雨が降り出したのが不幸中の幸い、と言ったところでしょうか。

私は毎日のジョギング・ウオーキングの成果で、10kmは非常に快調に歩くことができました。
陸軍中野学校二俣分校校趾碑

浜松保健所天竜支所を通り過ぎるときに見掛けました。
先日亡くなった小野田元陸軍少尉が教育・訓練を受けた旧日本陸軍の学校跡です。

教育訓練は下級将校に対する遊撃戦、つまりゲリラ戦・破壊工作について行われ、昭和19年に開校、4期800名が教育訓練を受けたと説明にありました。

終戦時、この中の何名の方が生き残ったのでしょうか。
今月のコースは10kmと長く、かつ見学するところも多かったので時間的に余裕が少なく、ちょっと忙しい感じの”あるこう会”でした。

コースは市街地を歩くのでお弁当の準備をしていきませんでしたが、お弁当は必要との事で慌てて途中のサービスエリアでお弁当を買い込みました。

ところがカミさんが買ったおにぎり、ご飯が固くなっているいつ作ったのかわからない代物。
結局は食べる事ができず、捨てるハメになってしまいました。
そこで私の買った幕の内弁当を2人で”半分こ”して、何とかお昼を済ませました。
やはりお弁当は時間管理をしているコンビニで買うのが間違いないようです。

来月は旧伊勢街道から岐阜県の養老の滝、7kmです。
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