15−07−22 旅の出会い |
旅行をすると様々な人と出会います。そのほとんどは2度と会うことはないのですが、旅で出会う人との出会いの中には時として不思議な縁を感じるときがあります。 また一瞬の出会い、会話が旅の一コマとしてずっと残る時もあります。 今回もいろいろとありましたがそんな触れ合いを思いつくままに書き出してみます。。 |
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■■イエローストーン・グループ・ツアー、5日間■■ (Aさん夫婦) ラピッドシティーの空港からホテルまでのシャトルバスを待っている時に声を掛けました。私が14年いたオハイオ・コロンバスから来た方でした。 アメリカに来て2年半、駐在社員として来ており、勤務先は私がいた会社のR&Dの方でした。 私も私のカミさんもそれぞれ共通の知り合いなどがいました。コロンバスでは私達が住んでいたところから数キロ北に住んでみえ、びっくりしました。 (Bさん夫婦) 旅行の途中で話をするとAさんと同じくオハイオ・コロンバスから。話を聞くと私がいた会社におり、かつて鈴鹿に住んでいたとの事。アメリカの大西部で日本の”元お隣さん”、と会うとは! その後関連会社の本社に行き、東京からアメリカへ転勤の様子でした。 (Cさん親子) 70才を越えたお母様と45才の息子さんの親子の旅でした。お母様は教員を長くやってみえたようで、今は世界中を息子さんを連れて廻ってみえるようでした。 息子さんは製薬会社勤務で英語も達者、お2人は東京・吉祥寺から見えていました。 お母さんに、「アジア方面は行かないのですか?」、と聞いたところ、「私はアジアには全く興味がわかないんですよね、行くのはアメリカ、ヨーロッパ、せいぜい南米です」、元気なお母様でした。 昨年に私と同じく脊柱管狭窄症で手術をしたとのこと、同じ境遇(?)の方でした。 (Dさん夫婦) アメリカ生活25年、NYから見えていました。ご主人は1年半前に退職、国連の上席政務官で、8月に自分の目から見た国際政治に関する著書を出版されるそうです。 (国連を読む 私の政務官ノートから:ジャパンタイムズ) ご主人は随分奥さん孝行な方とお見受けしました。 奥さんと私のカミさん、化石掘りにも行かないで2人でバスの中で話し込んでいました。 (Eさん親子) フロリダから見えたお母さんと高校生くらい息子さんでした。息子さんはハーフで日本語はほとんどダメでした。 お母さんは高校アメリカ、大学日本、その後アメリカという人で、ネイティブな英語でした。 でも未だにどうしてもアメリカ人のように自己主張ができない、、、と言ってみえました。 日本人〜!、でした。 アメリカ系の会社のツアー、日系の会社のツアー、中国系の会社のツアーの違いを実に端的に分かり易く説明をしてくれました。ナルホド、納得でした。 (Fさん夫婦) テキサスから来たと仰っていました。奥さんは13才の時からアメリカ生活で(お父さんの転勤で)、典型的な"外見日本人・中身アメリカ人"、でした。 アメリカで生きていくためにはこういう風にならないとダメなのでしょう。自然な事です、これは。 Eさん親子のお母さんとは対照的でした。 (バスの運転手のMさん) 私より5才くらい上の感じの白人、バスを降りて観光を終えてバスに戻ってくると必ず運転席から降りていて、ドアーの横に立ってみんなを出迎えてくれていました。 本当に感じのいい人でした。 ずっと空軍で勤務しており日本の横田基地にもいた、と言っておりました。 東京都内はよく観光に行った、日本は何であんなに自動販売機があちこちにあっても全然壊れていないんだろう、ってみんなと不思議に思った、とかいろいろな思い出話をしてくれました。 (ファーストフードのお店の女の子) 昼食でツアーのメンバーはそれぞれ好きな店に入りました。私は飲み物とフライドポテトを注文。 カウンターの女の子は、「フライドポテト?そんなのありません」、と素っ気ない返事。 エーッ、みんなそこで食べてるじゃん!再度、「フライドポテ、、、」、と言い掛けて、ハッと気が付きました! フライドポテト、これは全く別な食べ物なんです。 私がアッという顔をしたのと同時にその女の子は、「フレンチフライですね?」、と言いました。 「そ、そ、そ、そう、そのフレンチフライ頼んますう〜(ここで訳が急に、”伊勢弁”になる)」 私はナゼか今でも時々フレンチフライの事をフライドポテトと言ってしまうのです。 |
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■■SF1日ポイントツアー■■ (Gさん夫婦) どこから見えたのか聞きませんでしたが、ご主人は学会でSFに来たとこのこと。 以前にサンノゼに半年くらいいた以外はアメリカに住んだことはないと言われていました。 ツアーの最後の集合場所はピア39の前で、奥様は食べ物をテイクアウトをした袋を手にしていました。 フェアモントホテルで車から降りていき、私達と別れました。 格式のあるホテルで先日安倍首相も泊まったホテルですが、ちょっと不便なところにあります。テイクアウトの意味がわかりました。 (Hさん親子) 息子さんは高校3年生、愛知県出身で今はアメリカ国内のどこかの高校にいるようでした。 びっくりしたのは中学の2年間が私の上の娘が通っていたのと同じ津にあるT中学校だった事でした。 この親子とは午前中は同じコースを廻りましたが、午後はアルカトラズ島には行かず、野球を見に行ったようでした。 (アルカトラズ島行きの港で会った白人夫婦) 私に日本人か?と突然聞いてきました。 年令は私より一回りくらい上の感じでした。YESと言うと、「1964年から2年半、厚木基地にいた」、という事で懐かしそうに当時の話をしてくれました。 こういう時は周囲のアメリカ人達はニコニコしながら私達の方を見ながら聞き耳を立てます。こういう雰囲気作りはアメリカ人は上手だな〜、といつも思います。 穏やかな感じのアメリカ人でした。 ■■ナパバレー・ワイントレイン■■ ワインで有名なナパバレーは私は初めてで、ワイナリーを巡回するコースではなくブドウ畑の中を展望車で走りながら食事をする、というコースをえらびました。このコースは送り迎えだけ旅行会社(日本人)がやってくれ、あとは全部自分たちで廻って説明を受ける、というコースでした。 (Iさん夫婦) 日本からの観光客で名古屋から見えたとのことでした。これだけで親近感が湧きました。 ご主人は昨年に再雇用3年で完全リタイアしたとのこと。私と同じです。 列車でのテーブルは4人掛けで、うまい具合に私達4人が指定席になっており、日本語でスムーズな会話ができました。 もう一組東洋人がグループがいましたのでどこから来たのか聞くと台湾・台北との事でした。 (Jさん夫妻) 私と同年代くらいの白人で奥さんはメキシコ系の夫婦でした。日本人か?と聞かれ、日本人だと答えると奥さんが、 「ヨウスケという日本人が私の学校にいてものすごく優秀だった、今どうしているかしら、、、」 といろいろと話をしてくれました。 ご主人共々教師だったようでLAの南の方から来た、と言っていました。 本当に感じのいい夫婦でした。別れるときは奥さんとハグしちゃいました。 |
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■■ラスベガス■■ (ホテルのカジノの飲み物配りの女の子) スロットマシンをやっていると、「何か飲み物は?」、とべっぴんさんが聞いてきました。「バドワイザーをひとつお願い」、という事で頼んだのはいいのですが、現金を一切持っていない事に注文の後に気づきました。カジノではビールは無料ですが、チップが必要なのです。 ビールを持ってきた子に、「ゴメン、お金全部部屋に置いてきちゃった」、と言うと、「全然構いません、私はいつもこの辺にいますから」、とニッコリしてビールを置いていきました。 翌日もカジノでばったり、彼女私を覚えていたらしく口を尖らせてにっこり。再度ビールを注文。 あっ、この時もポケットに小銭はなし。 たった数ドルのチップですがちょっと気になったな〜、、、ナゼか、、、。 (MOCHIKOの女の子) ラスベガスの中心街から15kmくらい離れた住宅街の中にあるトレーダ・ジョーにお買い物に行った帰り、”MOCHIKO”というアジアン・ファーストフードの店に入って飲み物と鶏飯を注文。 ”MOCHIKO”って、ひょっとしたら"マチコかい?"、という事で東洋系にも見える、ポリネシア系にも見える店の女の子に聞いてみました。 私:「MOCHIKOっていうのは日本人の女の名前に似ているけど何か関係あるの?」 女の子:「この名前はハワイではよくある名前です。私は5年前にハワイから来ました」 そううか〜、彼女にとっては”MOCHIKO”とか”MACHIKO”とかは関係ないんだ、故郷のハワイでよく聞いた名前、それで店を出すときにそれを使った、、、それだけの事なんですね。 これがアメリカなんですね。 店の中はハワイの海岸をイメージした抽象画が掛けてありました。 ( Mochiko Las Vegas でWEBサイトも探せました ) |
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