15−07−01 ワイオミング州へ
昨夜はワイオミング州シェリダンのホテルに泊まりました。
アメリカに着いてまだ5日目、時差ボケが残っており、寝たのは夜中の1時を越えていたにもかかわらず、5時頃に目が覚めてしまいました。

西部開拓史を語る時、先住民(アメリカインディアン)とヨーロッパから来た白人との戦いを語る必要があります。
アメリカでは小学生の時から西部開拓史について勉強をして、中学生になると本格的な事を習います。

しかし侵略者として一番肝心な部分は巧妙に避けられて教えられています。
インディアンを根絶やしにするためにインディアンを殺すのではなく、当時3000万頭もいたバイソン(バッファロー)を殺しまくってインディアンの食料を絶った事などは教えません。

今回のガイドは純粋なアメリカ人んお男性で、この部分をどう説明したかと言いますと、

「インディアンはそれまで槍と弓しかなかったが、白人が持ち込んだ銃を手にした。
これによってそれまではバイソン1頭を仕留めるのに何人もが命がけでおやっていたのが、簡単に殺せるようになった。
これによってバイソンは激減した。」

という、実に驚くべき説明をしました。
これに限らず日本人ガイドでは聞くことのできない様々な話を聞くことができ、なかなか興味深い旅行になりました。
朝食

典型的なアメリカンスタイルの朝食です。ものすごいカロリーです。

アメリカンブレックファストが何故こんなに重いのか、その根拠は実は西部開拓時代の歴史に基づきます。

1800年代前半、アメリカ国民の90%は農牧民でした。
つまり非常に重労働をする人達であり、かつ昼食はあまり食べる習慣がなかった。
<続く>
ワイオミングの平原

<続き>

朝食こそ1日の活動を支える食事だった、という事でその歴史を今も引き継いでいるのです。
西部の州では農業を手伝う場合は14才から車の運転ができ(夜間はダメ)、銃は13才から扱いが許されています。
(但し、拳銃は18才から)

アメリカ人は最近まで子だくさんで、これも西部開拓時代の名残だそうです。(子供は労働力)
トイレ休憩

ワイオミング州は平原と山があります。気候は乾燥しきっています。

空は青いのですが少しだけ霞がかかったような感じです。
これはアイダホ州とかカルフォルニア州で起きている山火事の影響のようです。

アメリカ西部は山火事が起きても基本的には消火をしません。
アニー・オークレー

射撃の名人で後にバッファロービルの”ワイルドウエストショー”、に入って全米各地、ヨーロッパまで行ってショーを行います。

日本では”アニーよ銃をとれ”、という映画で有名ですがとにかく射撃の天才だったそうです。

身長152cmの可愛い少女だったそうで、生まれ・育ち共にオハイオ州です。
昼食の注文

コディという町で昼食です。
西部開拓時代の雰囲気十分なレストランで、皆さんそれぞれ好きなものを注文します。

今回のツアーは5日間の中で朝食が2回、夕食が1回だけ付いています。
ですからそれ以外は自分で好きなレストランを選んで食べる事ができます。
バッファロー・バーガー

私たちはここでは迷うことなくバッファローの肉を使ったハンバーガーを注文です。

出てきたものはアメリカンらしく特大で、フレンチフライもどっさりです。

バッファローの肉はヘルシーという事でアメリカではスーパでも売られています。
ヘルシー、つまり脂身が殆どない、つまりパサパサした肉です。。
レストランのインテリア

今週の土曜日はアメリカの独立記念日なので店内はそれにふさわしい飾り付けが行われtwいます。

アメリカは東部がイギリスの支配下、つまりイギリスの植民地だったのですが、これがイギリスから”独立”したのが1776年です。

独立時は東部13州のみで、今のアメリカ大陸のほんの一部でした。
<続く>
コディの街並み

<続き>
では東部13州以外はどうなっていたか。
南部はフランスが植民地として支配、西部はスペインが支配していたのでした。

これらは正確な線引きがあった訳ではなく、空白地帯が一杯(と言うか山ほど)あり、これらをアメリカが西へ、南へと”浸食”、していった、というのがアメリカの成り立ちのイメージです。
<更に続く>
コディの土産物屋

<続き>

その後スペインの占領地はメキシコとして独立、これを戦でむしり取ったのが、テキサスとかカルフォルニアです。

フランスの占領地はアメリカはお金で買い取った事になっています。

<もう一つ続く>
町中星条旗だらけ

<続き>
ですから今のアメリカはフランス、スペインを大陸から蹴散らし、先住民を”消滅”させてできあがった国と言えます。

手にした西部をどうやって開拓するか、これがアメリカにとって大きな課題でした。

ところが1849年に西部で金が発見され、東部の人々が西部を目指して押し寄せた、というラッキーな出来事がありました。
ゴールドラッシュです。
イエローストーン国立公園(1)

ロッキー山脈の西、その殆どがワイオミング州の北西部にあり、広さは東西に約120km、南北に焼く170kmという広さです。

1800年初頭に探検隊によって発見、世界1872年に世界最初の国立公園になったそうです。

アメリカの国立公園の管理の厳しさはケタ違いで、並々ならならい努力によって自然が保護されています。
イエローストーン国立公園(2)

このコースは全日程の中の2日目の半分、3日目、そして4日目の半分近くの合計2日間を使って観光をします。

イエローストーンの大半は地下5000mのところまで迫るマグマの上にあり、1日に何度かの地震と多くの間欠泉、温泉、噴気穴があります。

ガイドによると年間400万人の観光客が訪れるそうです。
バイソン(1)

別名をバッファローと言います。
イエローストーンのあちこちに数万頭もおり、雄の大きいのになると1トン近くの重量になります。

バッファローにはどんな事があっても25m以上は近づかないように警告をしていますが、毎年何人かの人がバッファローによって志望しているそうです。
バイソン(2)

この日も2頭のバイソンにかなり近い距離まで接近している人を見かけました。

グランドサークルでもそうですが、アメリカでは国立公園、国定公園、州立公園などでは崖の柵とかは最小限で、注意書きも殆どありません。

注意事項は入園児に渡されるパンフレットに書いてあり、あとは全て”自己責任”、という事になっています。
自然を維持する

国立公園などでは一切のものの持ち出しは禁止です。
松ぼっくり一個でもダメです。

木の枝を折ったり、動物にエサをやったりすると確か2000ドルの罰金です。
動物に触ると5000ドルの罰金です。

アメリカはイエローストーンだけで何百人ものレンジャーがいて自然を守る活動を行っています。
熊が引っ掻いた木

バスの運転手と観光客のひとりが木の傷を見ています。
ガイドによると木のどの辺に傷があるかで、どの動物がつけた傷なのかわかるそうです。

これは熊(ブラックベアー)が傷を付けたものとガイドが行っていました。

熊にはブラックベアーの他にグリズリー・ベアーがおり、毎年人が襲われてけがをしたり命をなくしています。
ホテルに到着です

今日から2泊はイエローストーンの中にあるホテルロッジに泊まります。

部屋はそこそこ快適ですがクーラーはありません。
着いた時は暑いな〜、と思ったのですが夜になると一気に気温が下がり窓を開けると冷たい空気が入ってきました。

基本的に昼間はホテルにいないのだからクーラーのない理由がわかりました。
西部開拓時代の舞台になったサウスダコタ州、モンタナ州、ワイオミング州を駆け抜けてイエローストーン国立公園に入りました。

西部開拓時代の様々な事について我々の認識と実際の違いについてガイドから多くの興味深い話がありました。

例えば西部に向かう幌馬車隊ですが幌馬車には家財道具とか食料・水を積んでおり人はその横をてくてく歩いたそうです。

また出発した頃は馬に幌馬車を引かせていたのですが、大草原の中で馬食べさせる草の入手が難しく、馬は段々弱って途中で殆ど死んでしまっい、大抵は食料として連れて行った牛に曳かせていた事などです。

また騎兵隊とインディアンの戦いの殆どは平原で行われており、あの映画に出てくるような山の上からインディアンが攻め下ってくるような戦いはなかったそうです。

我々が持っているイメージは、ハリウッドが作った西部劇の半分創作によるもので、実際とは随分違ったものだったようです。

さて明日からはバスで公園内を走り回ってたっぷりと見学をさせて頂きます。
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