14−10−13 あっという間の5日間
グランドサークルの旅、いよいよ最後の日になってしまいました。今朝はグランドキャニオンの朝日を見に行く予定でしたが、唇が乾いてちょっとだるい感じ。

軽い風邪のようです。こいう時はじっとしていればいいのが経験的にわかっているので、朝日に映えるグランドキャニオンを見に行くのはカミさんだけで、私は部屋でゆっくりする事にしました。

昨日の夕方気温がガンガン下がる中、夕日のグランドキャニオンを見るために30分以上も崖の端で待ったのが原因のようでした。
朝日に映えるグランドキャニオン
8時頃にカミサンが帰ってきたのでロッジから歩いてブラブラしてみる事にしました。

今回泊まったロッジは7年前とは違いますが、前に泊まったロッジの近くの土産物屋とか朝食を食べたレストラントとか、歩いていると記憶が蘇ってきました。

朝の散歩は大変気持ちよく、人も疎らでゆったりできました。
グランドキャニオンは谷底のコロラド川まで標高差が1マイル(1600m)あり、谷底に行くツアーがあります。

ちょうど何人かの人が駄馬に乗ってガイドに連れられて出発するところに出会いました。

これは日帰りと谷底で1泊するコースの2つとかいろいろがあるようです。非常に人気があって1年以上前、堀ちえみ嬢によると2年前の予約でないと参加できないそうです。

日本だったこういう場合どうなるか、ちょっとだけシュミレーションしてみます。

■ ツアーの数を増やして、何とか申し込みの数をこなそうとする
■ 駄馬なんか使わないで、ケーブルカーとかゴンドラを設置して数をこなそうとする
■ これだけ客がいるのだからと、ツアーの値段を釣り上げ、もっと儲けようとする

もっと他にも考えられますが、アメリカのように1年待ちでも2年待ちでも駄馬でトコトコ下りていくツアーを続けるとは思えません。
I−40を西に、典型的な西部の風景です
結果どうなるか?
人がごった返し、土産物屋の看板と旗が乱立し、子どもが走り回り、自然は二の次、商売優先となるでしょう。

今回グランドサークルを回ってあらためて感じたのは、自然をいかに自然のまま置いておくかという彼らの精神です。

人間にとって少々不便であっても、そして少々危険であっても、自然を自然のままにしておく。

そしてその中に人間が溶け込むようにして観光・見学をする、という頑固な精神を強く感じました。

アメリカは国内に何でもあるのでアメリカ人は観光で外国にあまり出かけないと言われます。
アラスカからフロリダの亜熱帯、ハワイ、カリブ海、ロッキー山脈、そしてグランドキャニオン、確かに言われて見ればそうです。

やはりアメリカは広い、これ以外の言葉は見当たりません。
10:30集合でバスは出発しました。しばらくしてルート66で有名なセリグマンに寄っていきます。

ルート66というのは今から50年以上前はアメリカの南西部と中西部を結ぶ主な道路がこれで、アメリカ西部の発展に大きく寄与したという事になっています。

ルート66もインターステーツができてその役割を終えもう殆ど残っていないらしいのですが、セリグマンからキングマンまではまだ走れるルート66があります。
ルート66の唄が聞こえてきそうな雰囲気です
ルート66というと私はナット・キング・コールの唄が頭に浮かんできます。
私よりもう少し前の世代の人はもうちょっと別なノスタルジーがあるようです。

セリグマンの町にとって一番重要な顧客は恐らく日本人で、"ルート66の町、セリグマン"というセリフに乗って毎日観光バスで日本人が訪れ、たくさんのお土産を買っていきます。

お土産屋で特に有名なのがエンジェルの店で、ここの店員さんは日本語で、「ハイ、ジュウドルデス(10ドルです)」、なんて言いながらお土産を売っています。
商売っ気、ギラギラの店です。

どうしてタダの床屋であるエンジェルじいさんの店がかくも有名なのか、”廃れゆくルート66を昔のように活気のあるものにしたい”、という村興し運動をやった中心人物がこのじいさんであった、という説明がありました。

エンジェルじいさんは日本人の観光客が着くと、どこからか自転車で現れ、皆と写真を撮ってそして店が繁盛しているのを確認するとまた自転車でどこかに消えて行きました。

難しい事は抜きにしてせっかくまた来たのだからという事で私もエンジェルの店でキーホルダーを買い、何とかという店でアイスクリームを食べました。
昔の雰囲気、でもこういう雰囲気の町はオハイオにもあります
ルート66とはアメリカ大陸を東から西に向かう唯一の道。

それは150年前の西部開拓時代に、新天地を求めて東から西に行った人達のスピリットが最後に残った道、という事でしょうか。

ま、エンジェルさん、これからもいい商売を続けて下さい。

セリグマンを後にしてキングマンという割と大きな町に寄って遅めの昼食を摂ります。最後の日はスーパーのお総菜ではなく、ファーストフードレストランでの昼食です。

いろいろあったのですが、中華のファーストフードレストランに入ってみました。

ここには私達以外にもう一組の夫婦も来ており、以前にミシガンに2年ほど住んでいた事があるという方でした。
会社からの留学で、何かの研究で大学に来ていた人のようでした。

「ミシガンの冬は寒かったです。今日は0℃、というとワー、暖かい!って感じでしたね。オハイオも同じでしょ?」

ダンナさんが私のカミさんにこんな事を言ったそうです。
そのとおりです。毎日−10℃とか−15℃の中で過ごしていると0℃は実に暖いです。
第一、頬に当たる空気が痛くありませんからね。

これで全て終了です。バスは93号線を通ってラスベガスに向かいます。
93号線も行き交う車もなく、遠くに山が見えて左右に大草原が広がる単調な風景が続きます。

レイク・ミードのを通り過ぎます。ここは911の後、一般の車はずっと迂回道路を通らなくてはならなかったそうです。
この湖はアメリカ最大の人造湖でフーバーダムの貯水湖です。

電気と水はカルフォルニアとネバダに供給されています。
ラスベガスが発展して、その周囲はもの凄い数の住宅が建設され続けてきたのはこの電気と水のお陰、という事になっています。

つまりネバダの命を支えているのがフーバーダムとこの湖なのです。911の後ここに人を近づけなかった、という理由はよくわかります。

レイク・ミードを過ぎた頃から住宅が見えてきます。ラスベガス近郊は退職者が悠々自適の生活を送ったり、別荘を建てたり、人気の土地だそうです。快適そうな大きな家が遠くにたくさん見えました。
ラスベガス到着寸前です
やがてラスベガスの高い建物が遠くに見えてきました。間もなく到着です。
4泊5日のグランドサークルのツアー、バスで移動した距離は全部で2200kmになりました。
これだけ走ってあちこち回ったつもりでも、地図を見るとグランドサークルの4分の1以下しか行っていません。

今回訪れたユタ州もアリゾナ州もそれぞれ日本の70%〜80%くらいの面積があり、この中の一部をさっと駆け足で抜けた、という事でしょうか。

このツアーはたった4泊5日ですが、アメリカ西部の大自然を垣間見るには最適のツアーだと思いました。

バスは17:00に私達が泊まるモンテカルロに到着しました。やっと帰ってきた、という感じです。
ツアー参加者は翌日、又は翌々日にLAとかSF経由で日本に帰ると言ってました。
私達も明日のフライトでコロンバスに戻ります。

バスを運転してくれたロブにチップを渡して荷物を受け取り、添乗員・ガイドの堀ちえみ嬢とツアーのメンバーと別れました。
充実した5日間の旅でした。

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