14−10−06 4人の仲間
今日は再度会社に行って前回会えなかった何人かのオハイオ人に会ってきました。

TMさんは相変わらずグチを言ってましたが、ま、それなりに元気な様子でした。
あと何年会社にいるのかな〜、、、。

オハイオ人達は(年令+勤続年数)が85を超えたら会社の年金が目一杯になって、いつでも退職できるハズですからTMさんはこの条件を満たしていると思うのですが。

TAさんには1年半くらい前に、彼が日本に出張して来たときに会いました。
少し太ったかな?と思う程度でまだまだスマートな体型を維持していました。

彼は会社のメンバーで作ったソフトボールチームの有力なメンバーでした。

BBさん、彼はオハイオ人には珍しく、非常に控えめで声も大きくはありません。彼はブレーン・スタッフとしてこれからも活躍していくのだと思います。

JMさん、CMさんその他いろいろな人に会って顔を見る事ができました。この日会った人は新しいビルに移転をしたメンバーでした。

新しいビルはオフィスはともかく、カフェテリアがどうなのか気になるところでした。

願わくは、あの口にすると悲しくなるような味のランチが提供されない事を祈ります。

本当はもっと会っておきたかった人があと10人くらいいたのですが出張をしていたり、時間の関係で会えませんでした。
残念でした。
夜はオハイオ人のDSさん、MZさん、MSさん、BBさん、それに日本人のWKさんが会食に招待してくれました。

DSさんは今は北米本社のある部の責任者、いろいろと悩みがある様子で、少し話をしてくれました。
話の中身は私が想像していたのと大きく違いませんでした。

その中のひとつに物事の方法論は自分達に任せて欲しい、というのがありました。これは私とDSさんが一緒にいろいろとやった時に随分と話し合った事でした。

私は日本に帰って3年間で何を見たか、何を感じたか、オハイオ人の目で見たらこうだった、というのを率直に話しました。

昼間会ったTAさんはかつてこう言いました。
「日本、日本人にはできてもアメリカ人にはできない事があります。我々ができない、と言った時は十分に考慮して欲しい」

私はその時、「どういう事ですか?」、と質問しました。彼はその時は答えてくれませんでした。

しばらくして彼は教えてくれました。「国と人が違う」、と彼は言いました。
全ての答えが詰まっている、意味深長な一言でした。私は全てがわかったような気がしました。

私はその時からTAさんに様々な事を相談をするようになりました。150人以上の課の責任者をやった経験のあるTAさんの意見は貴重でした。。

私の周りにいたオハイオ人達はマネージャーとして多くの部下に指示を出す立場でした。
アメリカでは部下に指示を出して部下がそれに従ったにも係わらずできなかった時、できなかった責任は自分ではなく指示を出した方にある、と驚くほど明確に公言する事があります。

日本のように、「とにかく自分で考えてやれ!」、ではオハイオ人は動きませんし、動いても真剣に動きません。
彼らマネージャーは間違っても、「日本人から言われたから」、とは絶対に言わないし、言った時はマネージャーとしての責任を放棄した時です。

そして部下が困った時はケツを蹴飛ばすのではなく、「一緒に考えよう」、これがアメリカン・マネージメントなのです。(もちろん例外は一杯ありますが)

それとオハイオ人達は通訳を介して話をするのを好みません。
どんな下手くそな英語でも自分の言葉で相手に伝えようとする姿勢、これを我々が思っている以上に重要視していました。

これらはどこから来ているのか、私はきちんと整理してみようと思っています。

MZさん、彼の部下の統率力はスゴいと感じる人でした。

オハイオ人のマネージャーが部下をどのように統率していくか、これは課単位(50〜100名程度)で1年に2回〜3回行われるタウンミーティングと呼ばれる集会に出席するとその一部がわかりました。

タウンミーティングとはアメリカ社会で昔行われていた全員参加で物事を決めていく集会で、今でもこの名称とやり方の精神が残っているところに私は注目しました。

会社ですから内容は町の行政ではなく業務についてですが、日本のように目標がこうで、実績がこうで、ナゼできかなったのか、その理由はこうで、、、とかこういう話は一切ありませんでした。
次に何をやるかが中心で、それも具体的な仕事の内容は深く触れません。

興味深いのは全てのプレゼンが終わった後、全員にメモ用紙を配り、マネージャーに対する質問を無記名で書かせ、マネージャーとスタッフが3〜4分で代表的なものを選んでその場で答えるのです。

この答えがMZさんは実にうまい。見事としか言いようがないものでした。

日本のように建前で答えたり、国会答弁のような灰色で答えるようなマネはしません。
これもアメリカ流です。

私はMZさんの前のマネージャーに、タウンミーティングのやり方について注文を付けた事がありました。「プレゼンはもっと計画と実績の差異を深く分析した内容にしてはどうか」

そのマネージャーは言いました。「SHIN,これだけは我々の方法でやらせて下さい」、タウンミーティングはマネージメント上重要なイベントですが、ここには日本人は入れないな〜、と思いました。

MZさんは担当者レベルからの付き合いですが、立派なマネージャーに育ってくれました。
感無量です。

MSさんは技術サイドの責任者です。
彼とも私のオハイオ駐在期間の殆どが非常に深い関係にありました。彼の技術解析結果は信頼のおけるものでした。

オハイオ人達は一般に仮定を立てるのが下手というか、あまりやりたがらない傾向にありました。
自分の頭の中でやっていてもそれを文書・レポートに記述しないのです。
これにもきちんとした理由があるのが私も段々わかってきました。
MSさんも最初はそういう傾向にありました。

彼は対処療法的対応から原因排除的対応の考え方を理解して割と早く切り替えができた人でした。
よくついて来てくれたと思います。

私はR&Dのある日本人から金言を得るチャンスがありました。私はこの人の言った事をずっと守ろうとしてきました。この方はOさん、私の家の斜め前に住んでみえた方でした。

Nさん、どんな複雑な問題でも素人にわかりやすく説明できなくてはなりません。そのためには深い技術的な知識に基づいた問題の解明が徹底的にできていないとダメなのです。

ですから問題がをきちんと解析できているかどうか、それは説明が素人でも理解できるかどうかで判断できる場合が殆どです。延々と話が続く場合は疑って下さい


この考え方はMSさんに伝わったのか、、、きっと伝わったと思っています。

4人のオハイオ人とビールを飲んで食事をする、4人とも私の14年間のオハイオ勤務のうちの12〜13年を一緒に仕事をやりました。
そして今日は彼らが会食に招いてくれました。

4人全員とそれぞれ日本に何回も出張をしました。
MZさんとBBさんと行った時は日本に着いた日に3人で焼き肉屋に行き、ビールを大ジョッキで4〜5杯くらい飲んだ事を言ったら2人ともよく覚えていました。

DSさんと行った時、Kさんという本社の部長が結構高そうな日本料理屋に連れて行ってくれました。
ところがDSさんはアワビとか刺身をポイポイと捨てて、結局は天ぷらしか食べませんでした。

Kさんは私に、「彼、日本食食えないんだったら先に教えて欲しかったよな〜」、と恨めしそうに言いましたっけ。
2002年当時、彼はまだ日本食に慣れていなかったのでした。

ガチンコ相撲をとった4人のオハイオ人とWKさん、そして私の6人で昔話をして、そして会食は2時間弱で終わりました。
一番コミニケーションが密だった4人、その彼らが招いてくれた会食、この夕食だけでもオハイオに来た甲斐があったと思いました。

DSさん、MZさん、MSさん、BBさん、それにWKさん、ありがとう!

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