14−10−03 ゆっくり過ごします
9月19日にNYに到着、10月2日の夜にカナダからコロンバスに戻ってくるまで、結構タイトなスケジュールでした。
旅行の計画段階では全体の日程が1ヶ月というのが頭にあって、何となくかなり余裕のあるスケジュールが組める、という感覚でスケジュールを作ってしまい、結果的にあまり余裕がない、というのが実際に来てみてわかりました。

例えばNYでブルックリンの半日観光をやったら後の半日は何もスケジュールを入れない、というようにしないとダメだというのがわかりました。

コロンバスでは思い出の場所をブラリと車で散策するに半日使えば、後は何もしないというようにしないとダメだというのがわかりました。
簡単な台所があり、調理器具・食器もあります
つまり短期間の旅行の場合はタイトなスケジュールにしても、旅行が終わってから自宅でゆっくりと休養ができるのですが、長期間の旅行の場合は普段の生活と同じようなペースにしないとどうしても疲労が溜まってしまうのです。

そんな訳でこの日はコロンバスのホテルでゆっくりと過ごす事にしました。

コロンバスのホテルは長期滞在型のホテルなのでゆっくりと過ごす事ができます。

日本ではこういうタイプのホテルは多分ないと思うのですが、敢えて言うならうんとサービスの行き届いたウイークリーマンションに近いかも知れません。

ホテルはしっかりした朝食サービスもあるし、火曜日から木曜日の3日間は夕食のサービスもあります。
ビール・ワインも基本的に無料です。(一応一杯につき1ドル程度は置くのがマナーのようですが)
一度だけ夕食を頂きましたが、きちんとした夕食でした。

2日にカナダから帰ってチェックインしたら、「アップグレードしました」、とか言われてその部屋に入ったら寝室が2つ、つまり風呂・トイレが2つあって全部で80u以上はある部屋でした。

ですからテレビも3台で、このホテルはTV−JAPANも入れているので、日本語のテレビも見る事ができました。

そんな訳で3日の金曜日は遅めの朝食の後は部屋でゆっくり。
寝室の隣の部屋です
でも部屋の掃除・ベッドメイキングは大体9時頃に来ます。掃除・ベッドメイキングをやるのはメキシコ系の若い女の子であまり気が利きません。

キッチンのゴミなども見えるように出しておかないと捨るのを忘れるし、コーヒーメーカのコーヒーも全部使ったよ、というのがわかるように置いておかないと補充してくれません。
このメキシカンの女の子は10:00から12:00頃に来ます。

ドアーをガチャガチャして入って来て、私達が部屋にいるのを見ると出て行こうとします、

「いいよ、いいよ、掃除とベッドメイキングをそのままやって、、、」、と言うと寝室に入ってベッドメイキングとかトイレの掃除、風呂の掃除も含め30分くらいでやって行きます。

気の利かない子ではありますが、部屋を出るとき2ドルのチップを渡すとにっこりして部屋を出て行きます。このホテルのこういう仕事をする授業員は殆どがメキシコ系の人です。

ホテルでゆっくり過ごす時の昼食などは5〜6分のところにデパートがあるのでそこのフードコートに行って食べたり、同じく5〜6分のところにウオルマートがあるのでそこでお総菜を買ってきて食べたりします。

部屋にいるのが退屈したらロビーに行くと日本の新聞(朝日新聞ではありますが)も置いてあってコーヒーを飲みながらゆっくりとくつろぐ事もできます。
この日の午後はカミさんのリクエストでここにいた頃に日用品などを買っていたお店をブラブラと回ってみました。
カミさんにとってはやはりこういう場所に行くのが懐かしいようで、ウオルマートに行ったらあの棚には何があった、とかも覚えており私としてはびっくりしました。

モールの中を歩いていると道路を挟んだ向こう側に私が14年間通った床屋のハンクの車が見えました。
ハンクの車は黄色のVWで遠くからでも直ぐわかるのです。

ハンクは名前のとおりドイツ系アメリカ人、私より3才年上で7〜8年前に脳腫瘍の手術を受け、かなり危ない状況だったのですがその後回復をして元気に床屋を続けていました。
ハンクの黄色いWVが見えます
私がオハイオを離れる前日にハンクの店に行ったのですが生憎その日は休みで、お礼の品を部下のYNさんに託してオハイオを去ったのでした。

私は急にハンクに会いたくなり、建物の階段を上がってハンクの店を覗いてみました。

ハンクは若者の頭を刈っているところでした。私の顔を見るなり驚きの表情を見せて私の方に来て固い握手をしてくれました。

その後元気で過ごしている事、ナゼ急に私がここに現れたのか、など次々に質問をしてきました。

髪を刈ってもらっていた若者もびっくりした様子で何が起きたのか目をパチパチさせて私とハンクを見ていました。
私はハンクともっと話したかったのですが、彼は仕事中なので2分ほどで店を出ました。

彼は私の事を覚えていてくれ、私はその彼の元気な姿を見るだけで十分でした。
ハンクはアメリカ人の60才代後半の男性にしてはかなり若く見える人で、ほんの少し痩せたように見える以外は4年前と何も変わっていませんでした。

彼の客の中で東洋人は私だけだと言っておりました。最初の頃はちょっと判りにくい英語でしたが、直ぐに私の耳に合わせたしゃべり方になってくれ、コミニケーションに問題がなくなりました。
彼はまたフットボールと野球が大好きで、私に合わせてよく日本人選手の話をしながら私の少ない髪の毛を刈ってくれました。

ハンク、元気で仕事を続けて下さい。またオハイオに来る機会があれば顔を見に行くよ。

3日の夜は日本人駐在員がオハイオ再訪歓迎会をやってくれました。
KSさん、ある部門の部長クラスの責任者で奥さんとお嬢さん2人を連れての2回目の駐在。KSさんとは実にいろいろな仕事を一緒にやりました。そして実に多くの事で助けて頂きました。

KNさん、私が駐在になった1996年から1年間同じ職場でした。そして私がオハイオを離れる1ヶ月前に2回目の駐在で赴任をしてきました。沈着冷静な方で、今はある課の日本人責任者です。
馴染みの日本レストランがあるモールです
WKさんは私のところで合計7年間仕事をしてきました。WKさんも2回目の駐在です。

TKさん、まだオハイオに来て4ヶ月でWKさんの下で仕事をしている異例の若さの32才という駐在員。大いにがんばって欲しい方です。

それに通訳・翻訳担当のKTさん、大量の日本からの資料の翻訳、日本からの出張者と現地人スタッフとの会話の通訳サポートなど、日米館の言葉の壁を取り払ってくれる紅一点。

他にも一緒に食事をしたいな〜、という日本人は一杯いたのですが、じっくりと話をするには5人が限界という事で一番関係の深かった方に絞り込んでやって頂きました。

こうやって見ると若手のTKさんを除くと他の3人は2回目の駐在です。
オハイオの会社でそれぞれの部門の責任者として仕事をするにはオハイオの会社とオハイオ人を深く知る経験が必要だからです。

それにオハイオの会社も30年以上の歴史があり、技術的にもマネージメント的にも極めて高いスキルの社員がたくさんいて、中途半端な日本人駐在員では勤まらない、という事情もあります。

嬉しかったのはKWさんもWKさんも家族・子弟を連れての赴任である事でした。これはオハイオ人達の信用を得るために実は重要な事で、彼等の目には結婚しているのに単身赴任というのはどうしても不自然で、その人個人のにうつるようです。

そんな訳で、この日は結構酔っ払いました。
皆さん、本当にありがとうございました。

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