14−09−20 やっと行ってきました
私はNYにはオハイオに住んでいた時に5回くらい、日本に帰ってからは今回で2回目です。
でも行きそうで行っていないところが幾つもあります。
その中のひとつが自由の女神像のあるリバティー島、それに19世紀から20世紀初頭にかけて大量に移民をアメリカが受け入れた象徴の地、エリス島です。

これらはマンハッタンをぐるっと回る観光船などからしかみた事がありませんでした。

この2つの島、は人気のあるところで、いつも観光客でごった返しており切符を買うのもままならぬというので何となく行くのをためらっていました。

でも今回は時間に余裕のある旅だし、という事で行ってみる事にしました。

地下鉄に乗ってBowling Green 駅で降りるとゾロゾロと結構な数の人が船着き場に向かって歩いて行きます。

観光案内書によるとチケットを買うだけで長蛇の列になる事がある、という事なのですが長蛇の蛇はいなくて、チケットは直ぐに買えました。

リバティー島に行くフェリーボートは20分おきに出港しているので、直ぐに乗れました。
一番上のデッキに上がったのですが満員御礼に匹敵する混みようです。
支那人のおっさんとかがカメラ持ってデカい声で「○△?□!!」、と叫んで動き回っているのが、本当にド迷惑!

東洋人の比率は半島人、次が支那人・台湾人、その次が日本人、その他という感じです。支那人と台湾人の区別はオバサン以外は見分けが難しくなってしまいました。

日本人のオバサン世代は99%の確率で瞬間に識別できます。
倭人のオバサン達は殆どがあの独特の帽子をかぶっているからです。

私の先輩のSTさんの奥さんも言っていました。
「日本人?すぐわかるよ。帽子かぶって、地味な服着てるからね〜♪」。

でも客家出身のこの奥さん、既に日本人になりきっていて、いつも帽子をかぶってみえます。

リバティー島までは15分くらいで到着です。でもこのフェリー、一体どれくらいの人が乗っているのでしょうか、多分1000人は下らない、イヤ1500人くらいは乗っているかも。

ま、それはともかく島について見上げる自由の女神像はやはりデカい!
地面から100mもあるそうです。
この像はフランスからのプレゼントらしいのですが、当時としては非常に高度な技術を要したのは間違いありません。

でも島はこうやって何千人もの人が上陸してもごった返す、という状態にはなりません。そこそこゆったりです。
自由の女神像は予約すれば女神さんのクラウンのところまで上がる事ができるます。

クラウンからではなく、この島から見るだけのマンハッタン方面の摩天楼もなかなかすばらしい眺めです。

リバティー島から再びフェリーに乗ってエリス島に向かいます。エリス島はゴッドファーザーの第二作でイタリア移民のまだ幼いゴッドファーザーがこの島に上陸して移民を許可されるシーンがあります。

その他アメリカ映画にはここの施設がよく出てきます。つまり多くのアメリカ人にとってここが過去を捨ててアメリカ人になるためのスタート地点で、忘れることのできなところなのです。今の世代でも祖父、曾祖父からそのときの様子を聞くことがある、といいます。

アメリカは先住民であるアメリカインディアン以外は全部外国から来た人によって成り立っている国である、というのはアメリカとアメリカ人を知る上でよ〜く理解しておく必要があります。

このエリス島は主にヨーロッパからの移民がアメリカの土を踏む前に必ず通ったところで、その施設がそのまま残されており、ここで何が行われていたか詳しく説明されています。

病気の検査、場合によっては心理検査まで行われていたとありました。

移民達は無事入国を許可されるとどこに向かったか、それはスーパーマーケットに行って食料品を買うことだった、と説明にありました。

1900年前後にはアメリカは既に物質的に豊かな国になっており、貧しかった移民達は喜々としてハムやチーズを買いに行ったそうです。

この心理、何となく、イエ、大いにわかります。食べ物を欲しいだけ手に入れた時の幸福感というか、満足感というのは人間として実に共通なものですから。

展示の中には移民がその後どんな苦労をしたかその歴史についての説明も多くありました。

言葉も自由に話せない、今まで手に付けていた職・技術もそのまま生かす事ができない、その結果単純労働に従事するしかなかった移民達、、、。

辛い日々の生活についての説明はジンとくるものがあります。

ある国からの移民で元学校の教員が炭鉱夫になり、その奥さんが、
「主人を送り出す朝の祈りはただ一つ、夕方に無事生きて帰ってくる姿を見れますように、これの繰り返しが何年続いたでしょう」

ここにはそういう辛く苦しい移民達の歴史についても多くのスペースで展示がありました。

アメリカは日本からの移民も多く受け入れてます。しかしエリス島を通ってアメリカに上陸した日本人移民はいないので、日本人に関連する説明、展示はありませんでした。
(ワシントンDCのアメリカ歴史博物館には太平洋戦争開戦での強制移住、それに日系人部隊のヨーロッパ戦線での活躍についての説明・展示はあります)

移民も1等、2等船客として来る人たち(裕福な移民)はここエリス島に来ることなくマンハッタンに上陸が許可されていた、という事でこの人たちの説明も少しだけありました。

最初から支配層として移民をしてきた人も相当数あった訳です。

エリス島をじっくり見学し、再びフェリーでバッテリーパークに戻り、アメリカインディアン博物館を少し見学、ウオールストリートの証券取引所を見て、ワールドトレードセンター跡地に完成した記念公園を見学。

公園には大きな滝が2つ作られており、この周囲には911で犠牲になった人々の名前が彫られています。この名前の上に顎をついたり、手で触りながらピースサインで写真を撮るのは不謹慎だ、という声が犠牲者の家族からあがっているようです。

巨大な人工の滝を見て、更にブラブラとブロードウエーを北上。
XXまで行ったところパトカーの周りに黒山の人だかり。黒人の偽物ブランド品の路上販売の取り締まりをやっているのでした。

偽物ブランド品の路上販売はシーツの上に品物を並べて、大きな台の上に置き、取り締まりがあるとそのシーツで全部の品物を一瞬で包む事ができる、というように最初からちゃんと対応が考えられているのには笑っちゃいました。

XXから地下鉄に乗ってホテルに帰ったのが16:30、この日の歩行は2万歩、約12kmでした。よく歩いたな〜、、、。

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