14−06−20 ちょっとドライブ
2年半くらい前だったでしょうか、栃木への出張の帰り名古屋駅で近鉄に乗り換えて座席に座った時でした。
隣にいたのが高校の同級生のYS君でした。腰を抜かすくらいにびっくりしました。

それから1年半くらい経った頃、やはり仕事で長野県上田市に行った帰りの事でした。新幹線の出発までに時間があったので待合室に行こうとしたとき、前を通り過ぎたのがYS君、びっくりしたの何のって。

同じく同級生のKB君、オハイオにいた頃からメールのやりとりをやっていました。彼は面倒見のいい男で、付き合いも広く、そして趣味も多彩で何よりも大変器用でした。確かトライアスロンにもチャレンジしているスポーツマンでもありました。

そしてFK君、彼に最初会った時、それは高校に入学したばかりの頃でしたが、私は最初この人は間違いなく1年先輩だろうと思いました。彼は遠距離通学者で、毎日片道1時間半くらいをかけて学校に来ていたと思います。
非常に穏やかな性格で直ぐに仲良くなりました。

3人の共通点は“ラジオ少年”であった事でした。当時は今の中学生、高校生がPCに夢中になるように数は少なかったものの“ラジオ少年”というのが存在していました。

高校を卒業してそれぞれバラバラになり、それぞれ社会の荒波に揉まれ、そして一区切りをつけました。
この4人がKB君の発案で会おうという事になりました。考えてみればKB君とは30年ぶり、YS君とは偶然の出会いを除けば恐らく35年ぶり、FK君も35年ぶりくらいになります。

場所はFK君の提案で伊勢市の角谷麦酒のレストラン、私はよく知りませんでしたが地麦酒で有名な店らしい。
集合時間は11:00。YS君を除いて3人はフリーの身分なので、昼飲み会にしようという事になりました。

私は電車の都合で少し早く着いたので駅の周りをぐるっと歩いてみました。伊勢市で駅を降りるのは何年振りだろう、、、時間きっかりに集まった4人はタクシーでレストランへ行って再会に乾杯、店は平日のお昼前という事で客は我々の4人だけです。

地麦酒を飲みながら話し始めて5分、もう殆ど45年前にワープしておりました。

紅顔の美少年たちも、それぞれおじさん顔になってはいますが、面影はそのままです。YS君によると私は親父そっくりになっているとか。

YS君は東京の学校に行き、その後ある電機メーカーで研究職をやって定年、今はアジアに電子部品を輸出する貿易会社に勤務。

KB君は大手不動産会社で経理の責任者をやっていましたが早期退職。
現職中から料理教室、大工仕事、退職後は県立津高等技術学校に入学して建築の技術を勉強して今はかなり本格的な大工さんです。

FK君は京都の学校では写真学科でしたが仕事は計測器メーカー勤務でした。
彼も早期退職をして今は世界中をブラブラと旅行をしたり、ベルギーにいる娘さんのところに入り浸ったりしているようです。

みんな高校という大人への入り口の時期を一緒に過ごし、30代、40代、50代と一生懸命やってそして再び昔に戻って再会する。素晴らしい事だと思いました。
これを機会にこれからは定期的に会う事になると思います。

私も仕事を辞めて11ヶ月目、今までとは違う付き合いが増えつつあります。

木曜日の朝MKさんから電話があり、今から久米島の泡盛を持っていくとのこと。
MKさん夫妻とはこの前に久米島に行ったとき最後の1日だけ一緒になりました。その時MKさんはお土産に泡盛を宅急便で自宅まで送ったのですが、それに私の分もいっしょに混ぜてもらってあったのでした。

お昼頃マンションに見えたMKさんご夫妻の車に乗せてもらって昼食を一緒させて頂き、MKさんの提案で滋賀県のお寺までブラリとドライブしようという事になりました。
私はカミさんが実家に行っていないし、どうせ暇なので喜んでお供をさせて頂くことにしました。

滋賀県は三重県の隣なのですが私はほとんど訪れた事がなく、いつも通過するのみの県です。421号線で鈴鹿山脈を越えて長いトンネルを抜けると滋賀県です。

先ず行ったのが永源寺。車を駐車場に置き山門に向かいます。お寺は愛知川沿いの崖の中腹に建てられており、800年もの間山崩れなどにも持ち堪えたものだと思います。

途中に入館料を500円払うように書いてあり、自動発券機が置いてありましたが、3人とも、「ま、いいか」、と発券機を横目で見ながら中に入っていきます。

本道に向かって本道の中に上がろうとすると突然おっさん茶坊主みたいな人が現れて、「イヤ〜、ご苦労様です。どうぞこのパンフレットをお持ち下さい。」、と3人にパンフレットを配ってくれます。

へ〜、なかなかサービスいいんじゃない?、というのはお人好しの極み。「はい、入山料の領収証を見せて下さい!」、と急に厳しい顔になって手を出します。
券売機を見学だけして素通りをさせてもらった我々は、ここで500円を払わさせて頂きました。
入り口で入山料を払うのを“忘れた人”はここで歯止めをかけるようです。

平日の午後という事もあり。境内は我々3人以外には見学者は殆どおりません。

MKさんご夫妻によると春とか秋の季節には観光バスが乗り付けるそうで、さっきの茶坊主・珍念さんにとってはひとり一人が“500円玉”に見えるのだろうな〜、、、。
等と極めて不謹慎な事を考えながら境内をブラブラしました。

紅葉の季節に来るとすばらしいところ間違いありません。また秋の夜はライトアップもするようで、これは見る価値があるそうです。

新緑の永源寺境内をブラブラ、まだ汗が吹き出るという季節でもなく、なかなかゆったりとした気分になる事ができました。

帰るにはまだ時間があったのでここから数キロ離れたところにある百済寺にも行ってみる事にしました。
百済寺は非常に古い寺で推古天皇(600年頃)の頃の建立ということらしく、名前からもわかるとおりその後渡来人(朝鮮人)の氏寺になったようです。
ちなみに百済寺は「クダラジ」、と読むのではななく、「ヒャクサイジ」、と読むそうで、ややこしい。

また戦国時代には織田信長と敵対する佐々木氏の一族が立てこもったため、織田信長はこの寺を焼き討ち、灰燼にしたという事です。

境内を歩くとかつて大量の宿坊がここにはあったようで、後で調べてわかったのですが信長に対峙する勢力・僧兵がここに籠もっていたようです。

今の滋賀県は京都、岐阜県、愛知県とともに戦国時代の華々しい表舞台であった事が改めて認識させられました。
そしてこれに奈良県、静岡県、三重県を加えると日本の歴史の大半の舞台が集中している事に気付きます。
よく考えると私は地理的に非常に便利なところに住んでいるのです。

そろそろ時代を絞って歴史探訪のドライブ・旅を始めますかね、、、。

さてMKさんに届けてもらった久米島の泡盛、“美ら蛍”、さっそくこの日の夜にロックで頂いてみました。
イヤー、やっぱり久米島の泡盛はうまい!
でも島で飲むのとは何か違います。やはり“美ら蛍”は島で飲まなくては最高の味にはならないいようです。

さて、、、久米島、次がいつ行くかな〜、、、。。

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