14−05−25 ブラリ浅草

先週は約1週間、東京でいろいろな用事を済ませてきました。
30年以上勤めた会社を辞めても、その間に関係のあった方々からいろいろな話があったり付き合いがあり、これらをまとめてこなしてきた、という訳です。

夜はこういう方達とは関係のない、もっと個人的な付き合いのあった人達と一杯やるのが楽しみです。今回も何人かの同僚、先輩などと会って近況などについて話して情報交換をする事ができました。

先ず最初に会ったのがSTさん、場所は埼玉県の川越。

STさんとは3月にバンコックでお世話になった私の人生の先輩であり、かつ知恵袋でもあります。
STさんは1ヶ月ほど前に帰国しており、貴重なお話しを聞くことができました。

帰りに奥様が丹精込めて作った家庭菜園の作品を頂きました。

まだ何日も鈴鹿には帰らないのでどうしようかと思いましたが、ホテルの冷蔵庫に入れておいたので一部を除き、何とか大丈夫で奥様の"心"を頂きました。

現役時代の仕事の先輩であるSKさん、それに同僚のSTさんには東京駅で会いました。

SKさんは高校の先輩でもあるのですが東京駅まで30分というところのタワーマンションに住んでおり、STさんは埼玉在住なので会うには東京駅が便利なのです。
東京駅は小綺麗なレストラン・カフェ・居酒屋が一杯あって、ちょっと会って懇談会(?)をやるには非常に便利なところです。

SKさんは事情があって禁酒中でしたが、「みんな飲んでも構わんよ」、という事でしたので、STさんと私は液体燃料を大いに頂きました。

SKさんは同郷なのですが、息子さん2人が都内に住んでいるのでこのまま東京に永住のようでした。

MZさんはいつものように大宮で会いました。私より1才年上の方で、仕事を辞めて久しいのですが最近アルバイトを始めたようでした。

仕事先は不動産会社で1日6時間、週3日勤務で月額10万円ちょっとという条件だそうです。

会社までは自宅から歩いて行けるので通勤はラクチン、と言ってました。仕事の内容は不動産の調査でMZさんぴったりの仕事のようでした。

いつもの鮨屋は割と混んでおり、カウンターで4時間近く、よく飲んだな〜。値段?忘れました。

今回夜の部で会った中で唯一現役であるTK君、定年まであと数年ですが課長職のままで今までの経験を大いに生かせる仕事をやっているようでした。
また退職後の計画も着々で既に不動産をいくつも持って順調なようでした。やはり首都圏の不動産の需要と供給は桁違いなので、無茶をしなければそこそこいけるという感じでした。

昔の仕事の先輩であるHGさんと同期のFR君には原宿で会いました。

2人ともある団体の職員で、先輩のHGさんはちょっと太ったかな?と思いました。
今は
ある分野の研究とか団体の機関誌の編集とか、そう言えばそういう才能が数十年前も見え隠れしてしていたな〜、と顔を見て思い出したりしました。

FR君とは同期という事でホテルのバーで2次会までやってしまいました。彼は膝を痛めており、歩く姿が少々気になりました。

息子2人は立派にやっており、結婚当初奥さんが何度も流産をした時の彼の落胆した姿を思い出してしまいました。

昼間は1日半を除いて細切れにスケジュールを組まざるを得ず、非常に効率が悪かったのですが、夜の部はそんな訳で大変充実していた次第であります。

今回は昼間に合計1日半ぽっかりと時間が空いてしまったので、時間つぶしに浅草に行ってみました。
浅草に行くのはさて何年ぶりだろう、、、
7〜8年振りかも知れませんがよく覚えていません。

平日の10時半頃に雷門についたのですが、人の多さにびっくりです。土日とかの休日になったらどうなるのだろう、と思いつつ先ず人の観察です。
4分の1くらいが外国人じゃないか、というくらいに外国人が多い。

特に中国語を話す外国人が多いのには驚かされます。
中国語を話す、つまり台湾か大陸かどちらかからの人達です。かつて私は大陸からの連中について、かなりの確率で当てる事ができました。

が、最近それが段々当たらなくなってきた。特に若い連中は非常に難しいというか不可能になってしまいました。

ただ喋らなくても女は日本人か大陸かは歩く姿を見てかなりの確率で当てます。
特徴とは、言われると、「そうか〜」、というレベルなので一度じっくりと観察して下さい。

余談ですが、半島人はいくらうまい日本語を話してもちょっと議論をすればすぐにわかります。特徴は独特の絡み方、独特の理屈のこね方です。

ところで今日本は外人労働者の受け入れを大幅に増やそうとしているようです。
土木・建築関連の作業車が今でも大きく不足しているのが理由で、これを補いたいというのが理由だそうです。

つまり増やそうとしている外国人労働者は主として単純労働者で、土木・建築業界が強力な圧力を政府にかけているようです。

短期的には東北震災の復興と東京オリンピック関連の工事、中長期的には日本の労働人口の減少そのものがバックグランドです。

例によく出されるのがアメリカで、アメリカの成長は移民受け入れによる”労働”人口の増加である、というものです。

単純労働者の受け入れというのは経済的なメリットだけではなく、それ以外のディメリットがものすごい大きい訳ですが、これがあまりピンときていない日本人が多いように思われます。

労働者の受け入れはアメリカとドイツの実態をよく見れば一目瞭然なのですが、議論の多くはこういう先輩国の事例がきちんと取り上げられて、研究されているようには思えません。
(わかっていても話の中から外しているのかも知れませんが)

浅草でたくさんの外国人を見ながら、ひょっとしたらしばらくすると、日本中がどこに行ってもこういう感じで外国人であふれるようになるのかな〜、などと思ったりしました。

でもな〜、、、労働力が不足するとか言ってるけど、ズバリ、若い連中が働かないだけじゃないの。まずこういう連中を働かせるにはどうしたらいいのか、というのが最初にやるべき事じゃないの。と私は思っていますが。

だって今日本には実質的にブラブラしている10代、20代、30代は100万人くらいいるそうですから。
浅草は外国人が目立った以外に修学旅行とかのの中学生、高校生もたくさん見掛けました。
昼食を終えて裏通りをブラブラと歩いていると中学生の女の子のグループに、「この辺でXXXっていう、もんじゃ焼きのお店知りませんか?」、と声を掛けられました。

「アー、ボクもね、地元の人間じゃないからわかんないな〜」、という返事しかできませんでした。
どこから来たのか聞くと、神奈川県の川崎から来たという事だったので、修学旅行ではなく社会見学か遠足だろうと思いました。

女の子達は地図を持って、そのもんじゃ焼きの店でお昼を食べようとしている様子でした。

そう言えば私が初めて浅草に来たのは、この子達と同じ中学生の時の修学旅行でした。

今も手許に残っている当時の修学旅行の計画を見ると、3日目の朝は宿泊の学生会館を出てまず国会を見学。
その後皇居、そして銀座・浅草経由で上野公園、昼食となっているので浅草はバスの中から見ただけだったようですが。

カミさんは東北なので修学旅行では浅草は必須の場所みたいだったようで、ここで降りてしっかりと見学をしたと言っています。

するとここに来てじっくり見物をしたのはいつが初めてなんだろう、、、。
私はこの数人の中学生の女子のグループを見てそんな事を思い出しながらブラブラと歩いていました。

どうも最近、昔の事を思い出して感慨にふける事が多くなりました。これって新しい体験・経験が減ってきたからなのだそうです。
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