13−05−11 同窓会 |
今週のある夜、日経のWEB版の関連サイトに私がいたオハイオの会社の事が記事になっていました。 |
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先週の土曜日、つまり連休中に高校の時の電気クラゲ、もとい、電気クラブ(JA2YAL)の同窓会をやるというので行ってきました。 私はかつてラジオ少年であり、高校では電気クラブというのに入ってアマチュア無線にハマっていました。 (私はこれ以外に柔道部にも入っていた) 同窓会の”同窓”を辞書で調べると、「ともに同じ学校に入学し、または同じ先生について学問をすること。同学。」、とあり、”同窓会”とは、「同窓であった人々の集まる会」、となっています。 つまり同じ学校であれば学年を問わない、という事で同じクラスとか同じ学年の仲間が集まるのは”クラス会”とか”同級会”という事になります。 という訳で集まったのは私の学年を最年長として、その下5年の合計17名(男15名、女2名) 会場は津駅前のちょっと不思議な店で、部屋の中は前方がステージ風になっていて、それに向けてソファーとテーブルがぐるっと囲んでいる、敢えて言うならホステスがいなくてバンドが入っていないキャバレー(ってまだあったっけ?)みたいなレイアウトのところ。 会は私の2年後輩のHR君の司会ではじまり、はじまり。 で、いきなり、「エーでは乾杯の音頭をNさん、お願いしま〜す」、と指名され、「とにかく先ず乾杯!カンパ〜イ!!」、と叫んで会は始まりました。 同窓会をやるといつも思うのですが、人間の画像処理能力と頭の中の古いデーターベース検索能力というのは、つくづくスゴイな〜と思います。 つまり”今の顔”と、記憶されている”昔の顔”をダブらせて一瞬で画像処理を行い、名前を検索して、どこで何があったのか瞬間に甦ってくるのですから。 17名のうち3学年以上離れている連中はこの処理ができませんが、2学年までの連中は全て思い出しました。 40年以上会ってないにもかかわらず、です。自分でもびっくりしました。 それともう一つびっくりしたのは多くの元部員が社会的に要職に就いていることでした。私の隣りに座ったNGさん(女)、2年後輩なのでよく知っていましたが、あとでインターネットで検索したら名前だけで出てきました。 でも同窓会でお互いを、「XX先生、、、」、とか呼び合うのは止めて欲しいな〜。 この同窓会、始まったのが14:00、1次会を締めたのが予定より1時間延長して、18:00,それから2つか3つに別れて2次回に突入、2次会が終わったのが22:00ちょっと過ぎでしたから、実に8時間もやっていた事になります。 やはり普通の同窓会(同級会)よりも共通の話題が格段多いので、いくらでも語る事がある、という感じでした。 この集まり、みんないくら飲んでも場が荒れないし、これからも参加するかな、、、。 |
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今週の木曜日は栃木出張。水曜日の午後に鈴鹿から宇都宮に行き1泊。この夜は久し振りにITさんの集合命令で元アメリカ駐在の仲間と同窓会。 集まったのは全部で5名。幹事のITさんはメキシコとUAEで、それぞれ私がオハイオ駐在時に行った時にお世話になりました。と言うより、25年くらい前からいろいろと付き合いがあります。 Yさんはは2005年から2010年までオハイオで私のところで駐在勤務をしていました。 今回はHBさんと何年ぶりかで会いました。彼はまだ30代後半ですが、この3月にアラバマから5年の駐在を終えて日本に帰ってきました。 予定ではTGさん(1997年〜2001年までオハイオ)が来る予定でしたが、都合で来れず。代わりに(と言うか、予約の穴埋め?)に若手のK君が参加。K君は駐在勤務は未経験ですが、近々でしょう。 K君を除き2008年前後はそれぞれオハイオ、アラバマ、UAEで仕事をしていた訳で、今となっては楽しい懐かしいの苦労話に花が咲きました。 オハイオでの悲しくなるほど不味い昼飯、でも私と同年配のオジサンがカウンターに立ってメインをよそってくれる時はいつも超大盛り。 私の事を、「Good morning、Mr.Shin.」とか呼んでくれていて私も何となく親しみを感じていたのですが、ある日から突然いなくなった。聞くと病気でもう仕事はしなくなったとの事。 代わりに来た若い女の子、田舎の女の子でそれなりにカワイイのはいいとして、それまでのオジサンに比べると悲しくなるくらいに盛りが少ない。悲しくなるくらい不味い料理に、悲しくなるほど少ない盛り。 「Yよ、よく耐えたな、お互いに、、、」、と涙を流す私にもらい泣きをするYさん。 ところがメキシコからの出張者が、「イイですね〜、オハイオは!毎日こんなもの食ってるのですか!」、と感激の涙を流したのだから世の中広い! と、昼食の話だけでいくらでも盛り上がる。 こういう話ばかりではなく、西欧社会の個人主義についてかなり突っ込んだ話なども話題になります。個人主義は自分を大事にするが、それと同じように他人も大事にしないと成り立たない、、、こういう事があった、、、etc. アラバマから帰ったばかりのHBさんは年齢的にも若く、相当に苦労したのではないかと思います。相当に悔しい思いも多くしたのではないかと思います。 アメリカ人と信頼関係をきっちりと築くのは、生易しい事ではない事を私は身をもって経験しており、彼の話の節々から何があったのかよくわかるのです。 私を除いて他の4人は今こうやって日本にいるのは一時で、遅かれ早かれまたどこかに行ってしまう人達です。 この同窓会、1年後に同じメンバーで日本でできるかな〜、、、。 |
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