13−03−28 さい先のいいスタート |
今年の旅行、2月の下旬になっても特に計画されていませんでした。さて、、、どこにするか、まずこの季節だと南の方がいいな、という事でとりあえず長崎に行くことにしました。 ナゼ長崎か?理由は3つです。 ひとつはここ1〜2年吉村昭の長崎を舞台にした歴史小説をいくつも読んでいたこと、二つ目は長崎は海の幸に恵まれておりうまいものが食えるのではないかと思ったこと、三つ目は旅行の行き先を思案しているときにテレビでたまたま長崎の紹介の番組がありその風情が気にいったことです。 長崎は40年以上前に行ったことがあります。ただその時の記憶はグラバー邸に行き、昼食で中華料理を食べたかな?とかいうレベルのぼんやりしたものだけなので、まあ結局は初めてみたいなものです。 旅行は飛行機とホテルがセットになったプランをカミさんがインターネットで見つけてくれたので、2泊3日でそれを申し込んでもらい、旅行案内書とかインターネットで観光地巡りのスケジュールもカミさんに立ててもらいました。 つまり私は行き先の「長崎」を決めただけで、あとは全てカミさん任せで後をついていくだけという、私にとっては上げ膳据え膳型のラクチンな旅行です。 ![]() オハイオにいた時の前半7〜8年間の旅行は私がルートの決定、ホテルの予約、その他全部をやっていたので、日本に帰ったら今度はカミさんがやる、という暗黙の約束になっているのであります。 セントレア空港から長崎へのフライトは07:55と結構早いので、いつものようにセントレア空港のホテルに前泊。 飛行機は春休みのせいか満席で、子ども連れの家族が目立ちます。長崎空港には9時ちょっと過ぎに到着し、バスで長崎市まで向かいました。 バスが着いたのは長崎駅前のバスセンター、ここからホテルのある思案橋までは路面電車に乗ります。路面電車に乗るのは函館で乗って以来、約2年ぶりです。 私はスーツケースをゴロゴロと引っ張ってカミさんの後をついて行きます。クーリー(苦力)SHINです。 でもカミさんはときどき行き先の方向を失います。 私はバスの座席シートに挟んであったあった観光案内書の中の長崎市内の地図にさっと目を通し、そのページを切り取ってボケッとに入れてあります。 長崎の主要な行き先の位置とその関係を地図の上で確かめ、主要な路面電車の路線を頭の中に叩き込むためです。 ですからカミさんとんちんかんな方向に行こうとする時は、正しい方角を教える事ができます。 |
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実は、、、私は地図を見てその位置関係を即座に読み取り、頭の中にプロットするという技は普通の人には負けない自信があります。 |
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最初の行き先は風頭公園です。 ここは長崎の街が一望に見渡せること、桜が有名でちょうど満開の桜がみれること、坂本龍馬がつくった亀山社中の跡とか、龍馬ゆかりの歴史的なものが見られるということなので訪れる事にしました。 ![]() ここに行くには大抵のガイドブックには寺町から歴史探訪路を下から登っていくように書いてありますが、このコースは坂道の連続でうんとくたびれます。 何が何でも長崎の坂道を実感したいという人はこれでもいいのですが、逆のコースつまり山頂をスタートしてあとはダラダラと坂道を降りていくというコースがあるのです。 では山頂までどうやって行くかというと、山頂行きのバスに乗ればいいのです。 何だそんな事当たり前じゃないか!と叱られそうな理屈ですが、山頂から降りていくコースの人はあまり見掛ける事はなく、みんなよいしょよいしょと下から山頂めがけて上がっていく人が殆どでした。 山頂付近の桜は大変きれいで、立派な坂本龍馬の立像もあります。観光客の数も疎らで、展望台からは長崎の街を一望できます。 ちょうどお昼時です。桜の下では何組かの家族とかグループがお弁当を拡げて食べ始めています。坂本龍馬像から20mくらい離れた桜の下で70才前後の8〜9人のグループが宴会をやっています。 私: 「すみません〜ん、写真撮ってもいいですか〜」 男の人: 「おお、いいよ〜、、、どうぞ〜」 ![]() あまりにも楽しそうにワイワイやっているのでつい写真を撮りたくなり、声を掛けて写真を撮らせて頂きます。 するとグループの中の別なひとりの方が、 「写真撮ったら一杯飲んでいかんとね。下まで来なさいよ。」 と宴会参加のお誘いです。こういう誘いを断るのは失礼なので、即座に「イエス」の返事をして参加させて頂きました。 私: 「皆さん何のグループですか。学校の同級生とか、そういう集まりでしょうか」 女の人; (ちょっと不満そうに) 「みんな同じ歳に見えます?」 私: (慌てて) 「あ、いえ、、、さて?、、、」 (この女性、他の人より少し若いかも) この9人のグループはボランティアーの長崎観光ガイドの方々でした。 私が三重県から見たこと、そして吉村昭の小説を読んで長崎に興味を持ってやってきたこと、などを話すとひとりの方が、戦艦武蔵の建造中に原図が紛失した大事件の事を話してくれました。この方は現役時代に三菱長崎造船所に勤務をされていたガイドの方でした。 コップになみなみと2杯の日本酒を頂きながら皆さんといろいろとお話をさせて頂き、10分ほどで失礼をしました。 長崎観光のスタートを長崎の大先輩達が祝ってくれたかのような気分になりました。お元気な、そして快活な大先輩達でした。ごちそうさま、ありがとうございました。 長崎観光、さい先の良いスタートです。 |
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