12−04−22 日本の防人達
三重県津市には陸上自衛隊の駐屯地があります。いえ、日本全国どこの県でも陸上自衛隊の駐屯地はあると思います。駐屯地はかつては久居市であり平成の市町村大合併で津市久居町になりましたが、子どものころから「久居の自衛隊」、という言い方で呼ばれていました。

この駐屯地が開設されて今年は60周年という事で、記念行事が大々的に行われるという事で駐屯地が一般公開されるというので、行ってきました。
この駐屯地は50年近く前の小学生の時に一度訪れた事があります。古い隊舎が並ぶ中で武器とか通信機の説明を受けた記憶が僅かにあります。

昨年の311ではここからも多くの隊員が東北各地に災害派遣されました。
311では自衛隊とともに警察、消防などの組織が災害派遣をされましたが、組織としてうまく機能せず、被災地の生存者救援、遺体捜索、避難民生活支援等は自衛隊がそのほとんどを実施したのは周知のとおりです。

この理由は私は次の3つだと思っています。

1. 組織が想定する行動の範囲が違うため、広い地域での活動は自衛隊しかできなかった。
消防の行動範囲は基本的に市の広さ、警察の行動範囲は基本的に県内という組織の役割・制約により、広域の”面での活動”ができず、”点の活動”になった。

2. 自己完結型の組織は自衛隊しかなかった。
部隊運用するために、通信、輸送、給食、医療、などの機能を自前で持つのは自衛隊だけであり、全ての生活インフラが破壊された中では消防・警察は身動きがとれなかった。

3. 大部隊を機動的に運用する訓練が普段から行われている。また世界各国からの救援などは殆どが軍の組織であり、組織の呼称、階級構成が類似しており、即連係プレーが可能であった。


そのような自衛隊、実際に見る事ができる機会というのはなかなかありません。
天気は悪かったのですが、久居に住む知人のHさんからの電話連絡によると、記念行事は予定どおり行われるという事なので出掛けてみました。
誠心

駐屯地正門を入ったところにある碑です。

”誠心”、意味については何の解説も必要はないと思います。読んだとおりです。

気温は低く、横なぐりに近い雨が降って、傘は頭が濡れないyないようにするためしか役に立たず、最悪のコンディションです。

こんな悪天候で本当に記念式典はやるのかな〜。
関越部隊

道路を挟んだ向かい側の演習場には式典の参加の部隊が整列していました。丁度観閲官入場です。
横なぐりの雨はかなり激しくなってきました。

見学に来た市民、来賓(国会議員とか、県知事も来ていたそうです)も大変だったかも知れませんが、数百人の隊員は気力で整列しているのでしょう、微動だにしていません。

この日は知人のHさん、カミさんの3人で駐屯地を訪れました。
精鋭部隊

演習場から駐屯地に入ってしばらくすると観閲部隊の一部が帰ってきました。
全身びしょ濡れです。戦闘服も装備も何もかもびしょ濡れです。

この日のために相当の訓練もしてきたのでしょうが、見学者も少なく隊員達は残念だったと思います。

この人達は命をかけてかけて最後に日本を守る事を選んだ人達である事を我々はしっかりと認識しなくてはなりません。
徒手格闘(1)

観閲行進のあと”徒手格闘”の模範演技がありました。
広い演習場で行われたのですが、迫力は半端ではなく、遠くまで伝わってきました。

銃剣、ナイフなどで襲ってくる敵を一撃、二撃、三撃と迎え撃ち最後は泥の地面に叩きつけ、とどめを刺す様はすざましい迫力でした。

この隊員は素手の敵なら同時に5人くらいを相手に苦もなく戦えるという印象でした。
徒手格闘(4)

極言するといつの時代になっても、戦(イクサ)を最後に終わらせるのは歩兵です。

どちらかの側の”歩兵”が敵の陣地の上に立った時に戦は終わり、はじめて”カタがついた”と言えるのです。

ここで徒手格闘戦の模範演技を見せてくれた隊員は選抜された人達でしょうが、頼もしい限りの隊員達でした。
老兵

現役を退いた戦車です。右は戦後初めて国産された61式戦車、これは基本的に第二次世界タイプだそうです。
左は74式戦車で油圧制御のスペンションによって、凸凹の戦場を走り回っても砲塔は水平を保ち、従って走りながら砲弾を発射できる戦車です。

第二次対戦型の戦車は射撃の時は停止をしなければなりませんでしたから、この戦車でやっと当時の世界標準に達したと言えたそうです。

2両はひっそりと古い隊舎の横で雨にうたれていました。
化学防護車

毒ガスとか放射能に汚染された地域で行動ができる主として偵察に用いられる車両です。

車内は完全密閉されて、乗員は外気から遮断されます。
車上の機銃も車内から遠隔操作で射撃ができると言っていました。

1995年のオウム真理教による地下鉄サリン事件の時に初めて出動、その後311の福島の原発事故でも出動したそうです。
パトリオットミサイル

先日の北朝鮮のミサイル発射に対応するために石垣島に配備され、有名になりました。
(展示されたものは、PAC2なのか3なのかわかりません)

運用は陸上自衛隊ではなく、航空自衛隊で久居から車で30分くらいのところにこれを運用する高射部隊があり、そこから持ってきたそうです。

周りに警備の隊員等は誰もいませんでしたが、ちょっと考えられない事です。
 
文化展

食堂の横では隊員、それに隊員の家族などの作品が展示されていました。
特に目立った作品というものはありませんでしたが、絵と習字が多かったように思いました。

久居駐屯地には1000名以上の隊員がおり、その家族を入れると2000名以上の人数になります。
隊員のお給料減額の通知

3月から給料が減額されるという案内です。
手当は減額されませんが、本俸が僅かに減額されています。

2佐(中佐)94号俸、2尉(中尉)125号俸、2曹(軍曹)104号俸というのが、平均的にどれくらいの年令の隊員なのか知りませんが、安いというのか高いというのか、人によって様々でしょう。

しかし、僅かにせよ減額というのは志気に大いに影響をすると思うのですが、、、。
曹長ドノの焼鳥屋さん

焼きそばとかたこ焼きとかの模擬店も敷地内で出店されていました。
雨が降っているせいで、客足は殆どありません。

「ビールはありますか?」、一応聞いてみました。
「イエ、残念ながら。」

客は来なくても、焼鳥屋のオヤジを演じている曹長ドノは意外と楽しそうでした。
うどん定食

風と雨で散々の記念行事でしたが、一応ぐるっと駐屯地内を廻り、早々に引き揚げました。
帰りにHさんのマンションでコーヒーをご馳走になり、久居駅から電車に乗って津駅で降り、暖かいうどんを食べました。

このお店、時々行くのですが安くておいしいお店です。
ズボンはびしょぬれ、冷え切った身体に暖かいうどんは最高でした。

陸上自衛隊久居駐屯地開設60周年記念行事、雨とかなり強い風の中で式典は行われました。
雨の中を観閲行進した隊員達、よくやってくれたと思います。徒手格闘技の披露は精鋭陸上自衛隊の片鱗を感じる事ができました。

陸上自衛隊は国家予算の背景により、今から何年も前に3万人の定員をカットされてしまいました。そして更に国家予算の都合により、俸給のカットも行われてしまいました。
国民は311での自衛隊の活躍によって、自衛隊への期待は大きくふくらんでいます。

しかし自衛隊はズバリ、戦闘集団です。私はやはり自衛隊は”強い”戦闘集団でなくては意味がないと思っています。陸上自衛隊久居駐屯地で見た隊員達は一見、普通の人ばかりでした。

でもほんの少しですが何かが違いました。私の会社で見る同じような年代の連中と比べて何かが違いました。
何かとは何か?もちろん、一般によく見るみるような無精な感じの人を見掛けないのとか、健康的な赤銅色の人が多いのは当然として、言葉ではうまく表現できませんが、敢えて言うなら溌剌な雰囲気のようなものでしょうか。

オハイオにいた時の事でした。ある日私と年配のオハイオ人がオフィスの外にいた時に、戦闘機が工場の上をかなり低空で飛んだことがありました。
「オオ、今日も息子達は元気だね〜、、、。」、とそのオハイオ人は空を見上げて確か、” our boys (俺たちの息子)”と親しみを込めて言ったのを覚えています。

ガンバレ、陸上自衛隊!

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