12−04−17 困った隣人
会社は今順調に生産を続けています。現場には4桁の数の期間従業員が働いており、生産を支えています。ですから今は工場全体で9000人くらいの人が働いている事になります。もちろん交代制をやっているので、全員が同時に働いている訳ではありませんが相当な数です。

この期間従業員の採用を再び開始する事になり、私は再度その採用面接を行う事になりました。土曜日にNGKに行った翌日です。面接会場は神戸です。神戸というのは私は一度も行った事がありません。どんなところなのか、イメージが全く湧きません。
面接会場からの素晴らしい眺め
日曜日の朝、鈴鹿を出発して神戸は三ノ宮に向かいました。三ノ宮の面接会場は神戸貿易センタービルというところで、海にうんと近いところです。

行き方は三ノ宮の駅からポートライナーという高架電車に野乗って一駅です。
日曜日という事もあり人通りは疎ら、私のようにネクタイを締めて歩いている人は見かけません。

会場はこのビルの25階、説明会をやるための大きな会議室が一つ、それに面接をやるための小さな会議室が2つ借りてあります。

外の眺めは抜群で、六甲山からポートアイランド、テレポート、港神戸の街が全て見渡せます。
採用受付は12時45分からで、その前に少し送れて来たもう一人のNKさんと食事を済ませました。

NKさんは2週間前にイギリス駐在から日本に帰ったばかりで、帰ってきて2日後にマレーシアかどこかに4、5日出張に行ったので、実質日本には1週間ちょっとという若い管理職です。
彼はまだ時差ボケが直ったばかり、って感じでした。
そんな訳でこの日の説明会は私がやり、面接は2人で手分けをしてやりました。

ホテルは兵庫駅まで行ってそこから歩いて3分のところ、夕食はNKさんと近所の居酒屋に行ってじっくりとノミニケーション。
入ったお店は新鮮な魚を食べさせてくれるところで、日曜日だというのに7時過ぎには満席で、入ってくるお客を断っているという状況でした。
元町駅付近のオブジェ
翌日も同じ会場で9時45分受け付け開始で10時から説明会その後面接、午後は12時45分受付開始で13時から説明会、面接とスケジュールをこなしました。

今回も会場に来てくれた人は一番若い人で23才、一番年上の方が50才と幅広い年令の方々でした。

応募理由ではそれまで働いている会社が不景気で事業縮小になり解雇されたというケースが目立ちました。

また以前に私の会社の期間従業員で働いた事があるという方も何名かお見えでした。
学歴は期間従業員の場合関係はありませんが3分の1以上が大卒、又は中退という方々でした。

それぞれ様々なバックグランドの中から皆さんは働く意志があってこの会場にみえている訳です。一人でも多くの方が私の会社の工場で働いてもらえばと思いながら面接をやりました。

でも期間従業員は最長でも2年です。これらの人達はそれまでに次の仕事を探さなくてはならないのです。これから先、日本の景気がよくなって世の中の仕事が増えるという話は聞きません。
むしろ減っていく、という見方の方が正しいでしょう。

本当に日本はどうなっていくのでしょうか。何とかならないものでしょうか。

さて私の社外の先輩のSさん、今年も1月から5月中旬までタイの別荘に避寒に行ってみえます。5月中旬には日本に帰られるのですが、タイを中心にあちこちを旅行されています。
私も仕事を辞めたらSさんにご案内してもらって東南アジア長期滞在の旅を始めてみようかと思っています。
以下、先日届いたSさんのメールです。

やっとバンコクにもどってきました。
シンガポール、マラッカ、クアラルンプール、シンガポールの12日の旅でした。いつものとおりカミサンが一人ではしゃぎまわり、私は何のために来たのだろうとぼやきながら荷物と共に後を追いかける毎日でした、
でもマラッカはマズマズよかった。

帰りのフライトでは私の後ろの座席A・B・CのA席にタイの僧侶が座りました。その隣のB席にやってきたタイの女性が乗務員に、「私はここに座るわけにはいきません、何とかして下さい。」、と頼んでいました、
タイでは女性は僧侶の隣に座ることは許されません。シンガポリアンの乗務員にそんなデリカシーがある筈がなく、知らん顔です。
シンガポールのSさんの親戚、楽しそうです
僧侶が構いませんと言ってくれたので彼女もようやく座りましたが、そのうちC席に男性がやってきましたので訳を話して席を替わってもらっていました。

タイ人はこの様に常識があり心優しいのです。チェックインカウンターがもう少し他国の文化を理解していれば良かったのですが。

まあこの件は結果オオライでしたが、やはりあの救い難い民族が乗っていました。
バンコクの入国審査で私が並んでいるとその前にいきなり割り込んできます。温厚な私も久しぶりに怒鳴りつけました。

彼は此方に挨拶もせず去り、そのまま隣の列に割り込んで行きました。

荷物を受け取るターンテーブルでも、カミサンが荷物を待っていたのですがカミさんも大憤慨でした。
「あの獣たち私を突き飛ばして私の前で荷物を待っている、しかも女が!」、と言っていました。

いつになったらこれらの人間もどきが地上から消えてくれるのでしょうか。無理かも知れませんね、数だけは無駄に多いので。

再見


Sさんの奥さんは中国系インドネシア人です。ですから東南アジア中に親戚友だちがいます。
確か5カ国語くらいしゃべります。Sさんご自身も5カ国語くらいしゃべります。Sさんは間もなく70才じゃなかったかな〜、、、。
写真はシンガポールでSさんの奥様(左の後ろ姿)の親戚の宴会に引っ張り出されたSさんが送ってくれた写真です。ビールを飲んでいるのはSさんだけ、お皿には殆ど料理が載っていません。

中国は、国も国民も共存するのは不可能な存在のようです。私も台湾に行ったときTAIPEI−101の展望台でベンチに腰を掛けて休憩しているとき、後ろからドカーンと体当たりされたことがあります。
私も大声でどなりました。(中国語はできないので、英語で)

そしたら、台湾人の若者がすっ飛んできて、「気にしないで下さい!私も中国人大嫌いです!」、日本語で大声で言ってくれました。
こういう作法は中国人は意識してやっている訳ではなく、普通のマナーのようです。ここが中国人以外にとっては実は大問題なのです。

こういう風景がこれから日本中で増えるのです。何とかならないものでしょうか。

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