12−03−01 次に向かって
月曜日の夜に豊橋から帰って火曜日は会社に出勤、水曜日は朝から神奈川県秦野市にある取引先に出張です。
秦野市に行くには新幹線の小田原で小田急線に乗り換えで、久しぶりにこだまに乗って小田原まで行きました。

同行したのはH君というまだ入社して6年の若者。いろいろと話をしながらあっという間に小田原に着きました。
彼はW大のラグビー部出身で、わが社のラグビー部の活動に大いに貢献している選手でもあります。

秦野駅に着いて食事をしてS社に向かいます。私は日本のS者に行くのは初めてで、オハイオにいた時はロンドンのS社に度々おじゃまをしました。
今回の訪問の目的はS社のミシガンで作っているある製品について技術的な説明です。

S社に到着、会議室に入ると皆さんは既にお待ちで、ミシガンの工場から担当のZAさんを呼んでくれてありました。
あとで聞いたところではZAさんは金曜日の夜に日本から電話を受けて、日曜日のフライトで月曜日着で日本に飛んできたとおっしゃて見えました。
この日はZAさん他から詳しい報告を受け、この案件については現在S社内でも検討をされているとの事で、日本から技術者が2名ミシガンに出張をして29日に結論をくれるという事で会議は終えました。

翌日の朝、ホテルのレストランに行ったところZAさんが一人で朝食を摂っていたので同席をさせて頂き、会議室ではできない話を伺う事ができました。
ZAさんはミシガンのバトルクリークの工場に勤務されており、駐在は3年目だそうです。

3年というと大体の事情が飲み込めたところで、仕事もプライベートの生活も充実を始めたところのようにお見受けしました。私はミシガンのバトルクリークにあるやはり日系の取引先に行った時、ZAさんの会社の前も通った事があります。

私はZAさんと話をしながらバトルクリークの風景を思い出しておりました。
翌日はわが社の別のメンバーと、S社も別のある部門の責任者の方との打ち合わせをやりました。
会議は疑問点は残ったもののこちらの言いたい事は理解して頂き、2週間後をメドに再度打ち合わせを行うということで議事録をとって終わりました。

このあと1時間ほど時間を頂き、工場の中を見せて頂きました。昨日も会議のあと電子系製品のラインも見せてもらい、二日目はこの会社を代表する製品のラインを見せて頂きました、
電子系ライン方は自動化が進んでおり、ここの工程従事者は何とか一人前になるにはしっかりと1年はかかると仰ってみえました。
複雑な設備を使いこなし、トラブルに対応するためには相当な知識が必要なのは一目瞭然でした。

二日目に見せて頂いたラインは最終組み立てラインはやはり人手によるところが中心で、ここだけは人の姿が目立つラインでした。
工場内では従業員の方が部外者である我々に対してきちんと挨拶をされ、非常にいい印象を受けました。

この会社でも今の円高に苦しんでおり、やはり生産関連はもっと現地化をする方向にあると言ってみえました。今の日本、ほとんどの製造業が雪崩のように海外へのシフトを進めている中、S社も例外ではありませんでした。

秦野のS社の工場は近代的な工場で、実にきれいでした。工場の中では若い人、若くない人、男、そして女、いろいろな人が真剣に働いていました。
海外に生産機能を移すという事は、このような人達の働く場所がなくなるということなのです。
私はこういう工場で働く人たちを見ると、いつまでも工場で働けるような世の中をなくしてはいけないと心の底から思います。

今の日本はこのような工場で働く人が1000人減って、サービス業従事者が200人増える、つまり浮浪者が800人できる世の中になっていくような気がします。

帰りは小田原から名古屋までの新幹線、名古屋から白子までの近鉄とS社の鈴鹿事業所勤務のNZさんと一緒にいろいろな話をしながら来たのであっと言う間に着きました。
NZさんも数年前までインドネシアの工場に5年ほど勤務されており、興味深い話をいろいろと伺うことができました。
秦野から帰った翌日の金曜日は久し振りに休みをとりました。つまり金・土・日と3連休の休みです。10日振りの休み、自宅でゆったりと過ごしました。

今週の水曜日の午後は再び栃木です。
関東地方は昨夜から相当な雪が振って新幹線も徐行をやっている区間があるとかで、余裕を持って出掛けましたが、徐行をやっていたのは熱海と新横浜の間だけで全体としては5分ほどの遅れですみました。

宇都宮に着いたのが6時頃、宇都宮は10cm以上の積雪があったとの事で、駅から外に出るとかなりの雪が残っており、注意深く歩かないと滑りそうな感じでした。

夜は久し振りにITさんと一杯やろうという事にしてあったので、ホテルにチェックインしたあと待ち合わせの居酒屋に行きました。

ITさんとは一杯飲みながらいろいろな話をしたのですが、やはり関心は今の日本の姿です。
何もかも坂道を転げ落ちていくような、というよりもズブズブと沈んでいく様子に対する感想は私と同じでした。

日本はこれ以上成長をしてはいけない、成長を目指す国であってはならない。」、などという意見を堂々と述べる様々な領域の評論家が最近ボツボツ現れており、この流れはもう変わらないのではないかと思う事さえあります。

ITさんは新幹線通勤をしているので、10時頃にはお開きにしなければなりません。私はドロドロになった雪道をフラフラと滑りそうになりながらホテルに帰りました。

翌日は5時までみっちりと会議で、帰りは偶然にもMKさんとばったり。MKさんは2000年頃から数年間LAに駐在しており、仕事上大いに関係のあった方です。
MKさんはその後日本に帰り、直ぐにベルギーに駐在、今度はベルギーからUAEに異動されるという事で日本に出張しているのでした。

アメリカ、ヨーロッパ、今度は中近東と、このままま海外生活を続けて定年になるのでしょうか。MKさんは家族はベルギーに残したままUAEに行ってしまうそうで、大変だなーと思いました。

そう言えば昨夜一杯やったITさんもUAEから帰ってきたばかりの人で、この人がUAEにいた時に私はオハイオからサウジアラビア、UAEと出張をしたのでした。
サウジアラビアは液体燃料が一滴も飲めず、ドバイに入った時に飲んだビールの旨かったこと、忘れられません。

MKさん、今度会うのはいつでしょうか、UAEで頑張って下さい、、、。
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