12−02−21 何となく忙しい
先週の木曜日、この日は午後から兵庫県三田市にあるある超大手取引先に伺う予定で、準備をしていたところ急遽栃木に行って欲しいと連絡を受けました。
三田へは3週間ほど前からスケジュールの調整をやってもい無理も言ってあったので、取り止めはしたくなかったのですが栃木での用件は無視できず、止むなく三田の取引先へは同行してもらう若い2人に任せる事にしました。

さっそく宇都宮のホテルの予約をとり夕方の7時前に宇都宮駅に到着、チェックインができました。
夜は特に誰とも予定を組んでいなかったの、ホテル一階の居酒屋で文庫本を読みながら刺身をツマミにチビチビとやり、バタンキュー。

翌日の金曜日は緊急の用件で出掛けてきたとはいうものの、夕方の4時30分頃には全て終了しました。
この日はオハイオ勤務時代にエンジン工場にいたNSさんと久し振りに会い、近況を聞く事ができました。
NSさんは今はある課の課長さんをやっており、相変わらず忙しそうでした。NSさんの特技はいつ、どんなに遅く電話をかけても電話に出る事で、日本に帰ってきても朝8時から夜中まで会社にいるみたいです。

NSさんは帰国したときお嬢さんが中学2年生で、「お父さん、アメリカにいつ帰るの?」、という事で5年間の駐在ですっかりアメリカ生活になってしまい、日本の学校に馴染むのに少々苦労をしました。
最初の日本での夏休みでは中学3年生のお嬢さんと小学6年生の息子さんでオハイオに里帰り(?)させた程でした。

「イヤ〜、2人とも大阪に行けっていったら行けない、でもオハイオだったら行ける、って言うんですよね。」
「子どもを2人を国際線の飛行機にドーンと乗せて、成田でバイバイ、こんな親いますかね〜、、、。」

これを聞いたとき、私は子ども達の心が何となくわかるような気がしました。
でも帰国後5年が経った今、娘さんも19才になりすっかり日本に馴染んで元気に学校に行っているそうです。もうアメリカに”帰りたい”とは全く言わなくなったそうです。

帰りは会社から宇都宮の駅までNSさんの車で送ってもらい、結局夜9時半を過ぎた頃鈴鹿に着きました。
栃木から帰った翌日は土曜日でしたが夕方に豊橋まで。今度は日曜日、月曜日と豊橋で期間従業員の採用面接の実施です。豊橋は1月面接を行った静岡と同じで、新幹線でいつも通過するだけで降りるのは初めてのところです。

名古屋から豊橋までは新幹線ではなく、東海道線の快速で行きました。豊橋は駅前はそれなりに商店街もあり、人通りもあります。ホテルは駅から歩いて10分くらい。
でもたった10分歩いただけで、お店も車も人も急に少なくなります。

ホテルにチェックイン、荷物を部屋に置いて、、、さて、と食事に出掛けることにします。ホテルのカウンターの女の子に近くで食事ができるところがあるか一応聞いてみます。

「食事ですかあ〜、そうですね〜、コンビニでしたらこの先の信号の、、、。」、という案内。
そうか、この娘さんにとっては出張でホテルに泊まるオジサンの晩飯はコンビニの弁当、という図式が出来上がっているみたいです。
「いや、コンビニではなく、もうちょっとまともな食事がしたいのだけど。もちろん一杯もやりたいし。」
「あっ、それでしたら駅前に行って下さい。一杯ありま〜す。」
という訳で地図をくれました。

駅前に向かってブラブラ歩きますが、駅前から東に伸びる大きな通りを中心に飲食店が点在していす。途中で2人連れの若い女の子に本屋の場所を聞いて、本を2冊とナゼかCDを1枚買って、適当な居酒屋へ。
すると、な、な、何とTGさんがカウンターに座っているではありませんか。期間従業員の面接は2名で行うのですがTGさんとはもうひとりの、いわば相棒の方でした。

そんな訳でTGさんと飲んで、ホテルへ帰りました。
でもまだちょっと飲み足りない。近くに焼鳥屋があったのを思い出し、そこに再度出撃です。
店の中には4人ほどの30代前後の若者がいます。カウンターの中のマスターは40才くらいで、みんな地元の友だちのようです。

適当に串を何本か注文して日本酒をチビリ。
ひとりで黙々と飲んでいても面白くないので、これらの若者にちょっと声をかけてみました。ある仕事で鈴鹿から豊橋に来たのだけど、皆さんに聞きたいことがあるのですが、という切り出しで豊橋付近、というか愛知県というか、この近辺の仕事事情・就職事情を聞かせて欲しいと質問してみました。

「働くところはいくらでもある、ないと言ってるのは選り好みををしてるからじゃないかな〜。」
「豊橋の人は豊橋を離れるのではなく、地元で働きたいという人が多いような気がする。」
「今の若い者は(彼等はこういう言い方をしました)は楽して、鐘だけは一杯欲しいと思っている。世の中のこと何にもわかってない。」


そんな返事が返ってきました。実に私が思っている事とほとんど変わらない返事でした。そんな訳で私もワイワイと皆さんとホテル横の焼鳥屋で2次会をやったのでありました。
焼鳥屋「七五三」の天野さん、ありがとうございました。
今回も様々な人が来てくれました。いつも思うのですが、皆さん全員きちんと働きたいという意志を持って来てくれている訳で、何とか採用をして働いてもらいたいと心の中で願って説明会、面接をやました。

新卒の方で、行きたい会社に試験で不合格になり行けなかった、来年もう一度受けるので、それまでの間働きたい、というような方も見えました。
今働いているところは残業代も払ってくれない、いろいろな条件が悪すぎる、というのを理由に応募してくる人が結構目立ちました。
今回はあっと驚くような人も1名いました。

これで1月から静岡、和歌山、豊橋とやってきた期間従業員の採用面接は一応終了となりました。
こういう仕事も私にとってはなかなか新鮮なものがありました。

日曜日は同じフロアーと下のフロアーで、名前の知れたある会社の期間従業員の採用面接をやっていました。
一時的な増産で部品メーカー各社も現場従業員の補強が必要になっているのです。

ところで豊橋は”カレーうどん”発祥の地である事を知りませんでした。知ったのは日曜日の夜でした。

そこで月曜日の昼食は迷わず趣向会議所近くの店でカレーうどんを食べてみました。

「カレーうどんお願いします。」
「豊橋カレーうどんですね。」


豊橋カレーうどんとは何か?豊橋カレーうどんとは丼の底にまずとろろご飯が入っており、その上にうどんが盛られ、更にその上にカレーが載るとという構造で、うどんとご飯の2種類のカレーとのコンビネーションが楽しめるというスグレモノなのでした。

そんな訳で(どんな訳?)鈴鹿には月曜日の夜の7時頃に帰ってきました。
明日は1日だけ会社に行って明後日から1泊2日で今度は神奈川県秦野市の取引先へ行かなくてはなりません。
頑張るぞ!
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