12−01−01 平成24年元日
新しい年を迎えました。
年末の30日、31日には私は少しだけ家の掃除をして、そしてカミさんの買い物に付き合い、カミさんはいつものとおりおせち料理を作ってくれました。

元日は初日の出は雲の向こうに隠れて日差しのみだったものの、大変穏やかなお正月を迎える事ができました。
おせち料理とお雑煮は近くにいる下の娘と3人で頂きました。
お屠蘇(日本酒で代用)も頂き、あとは自宅でゆったりと過ごす、これがここ数十年続けている我が家の元旦です。

1月1日の休みは普通の休みとは違い、これをレジャー等に利用するのは、「休みの目的外使用」、でもっての他、ということになる?そんな事ある訳ないだろう、、、。

さて、14年のオハイオ勤務を終えて日本に帰ってきて、これであっという間に1年半が経ちました。
最初の半年は生活、会社と慣れるのに必死でした。日本国内で転勤をしても新しい土地、職場に馴染むにはそれなりの日数が必要ですが、14年間の海外生活で私達の生活パターンは相当に変わっていました。

それに私は鈴鹿工場での勤務は25年ぶりなので、知っている人はその殆どが退職をしており、全く新しい職場と言っても差し支えない状況でした。
また鈴鹿工場は、その特質から北米との関係がほとんどない工場で、ローカル的なやり方などに戸惑うことも多くありました。

何と言っても帰国後1ヶ月ちょっとで定年を迎え、立場も変わったのが最大の変化でした。

定年は迎えたものの、引き続き同じ会社で仕事ができるのは恵まれていると考えるべきなのですが、一方では私は定年のための準備が殆どできていませんでした。

会社は定年を迎える社員を対象に、いろいろな説明会とか特別な健康診断とかを行っていましたが、私はこういうものを一切受けた事はありませんでした。

オハイオにいるときにそういうものがあるらしいという事で日本出張時に3時間ほど本社の人事の担当者から話を聞いただけでした。

青い封筒の年金便(?)も一度も受け取った事はなかたし、定年になってから年金機構に行って初めて詳しい事を知らされました。

住まいも自宅はあったものの25年間という長い間、借り上げ社宅に提供しており会社から返してもらう時点で相当なリニューアルをしてもらったものの、新築かどこかに新しい家を買うか決めなくてはなりませんでした。

結局自宅から数分のところに新築のマンションが売り出されていたので、これを買いました。これに伴い全ての家具、電機製品なども買い揃えました。結構な物いりでした。

とはいうものの、1年半経つと何とかなるものです。
仕事は割り切ってマイペースでやり、生活の方もやっと慣れました。(元に戻ったと言うべきか)
いろいろな事があったな〜、、、そんな事を考えながら、おせち料理を肴に杯を重ねておりました。
正月は自宅でゆったりと過ごす、しかしゆったりと過ごすには何か相手が必要になります。
三が日ずっと朝から晩まで液体燃料を注入しているわけにもいかないし、一般的にはテレビを相手として求めます。
しかし日本の正月のテレビ番組は、同じようなタレントがワーワー騒いでいるだけの意味不明番組のオンパレードで、私は全く観る気がしません。

見ているとナゼか疲れるのです。そして見た後には何も残らないのです。
(これが娯楽番組の所以であるという人もいる)
これは昨年の正月でよ〜く、わかりました。

そこで私は買ってあるがまだ封を切ってない映画のDVDを観ようと、ビデオデッキの下をゴソゴソ探します。何本かありました。これらを観る事にしました。

それと年末にカミさんの買い物に付き合ったとき本を買いました。堅苦しいのは正月向きではないし、何か雑誌にしようと思ったのですが、雑誌は出張に行く度に買って読むし、、、。
という事でふと目に入ったのが文庫本の棚にあった浅田次郎の”アイム・ファイン!”という本。

浅田次郎との出会いはSKYWARDというJALの機内誌上です。
浅田次郎はSKYWARDの中に、"つばさよつばさ"というエッセーをこの機内誌に書いており、これを読むのが飛行機に乗った時の一つの楽しみになっていました。

本屋で見つけたのはこの"つばさよつばさ"に書かれたエッセーをまとめて文庫本にしたもので、何だか懐かしい人に再び出会った気がして”アイム・ファイン!”を即座に買ってしまいました。

私はナゼか小説というものをあまり読みません。基本的にフィクションが嫌いな性格だからかも知れないと自分では思っています。

ですから私にとっての浅田次郎は小説家の浅田次郎ではなく、エッセイストとしての浅田次郎です

昨年も上海からの帰り便で第101回の"つばさよつばさ"を読みました。浅田次郎は私と同じ年代で、つまり体験した事象と年令の関係は同じであり、従って共感を覚える部分が多々あります。
101回に出てくる、世の中のスーパーの普及ろ買い物についてなどは、私も同じような感覚を持っています。

「買い物は店員が必ず客と対面して買うものであり、お金を払わないウチに勝手に触ってはならなかった、、、」
「ところがスーパーでは触ってはならない品物を勝手に籠に入れて、レジで待ち受けている店員が、、、この一連の行為があまりにも常識にかからず、私は母の腕を掴んだまま瞑目していた、、、。」


この後に彼独特の感想が更に続きます。エッセーというのは、その人の体験・見聞に対する感想を綴ったものなので、年代があまりに違うと共感が難しい場合があったりします。
(先日谷川俊太郎のエッセーを読みましたが、やはり世代の違いを感じました。)

買ったのは"つばさよつばさ"エッセーの2巻目で、実は"つばさよつばさ"という表題で1巻目が出ているのを、買ってから知りました。
さっそく買った本を穏やかな日差しが入るリビングのソファーに座って読んでみました。
やはり幾つかの話は読んだ記憶がありました。
内容はJALの機内誌用に書いたエッセーなので、殆どが旅に関する事です。

オハイオにいたときは日本への出張は数回を除いて全てJALでした。SKYWARDは月刊誌なので1回の出張でも月を跨いだ場合は、往きと帰りで違ったものが読めました。
ですから例えば1年に4回の出張で、最大8ヶ月分が読める事になりますが、こうはうまく行かないのが普通でした。

平成24年元日、浅田次郎のこのエッセー集を読んでいると、シカゴ/成田の長い、長い12時間のフライトを思い出しました。
そうそう、あの時も今日と同じように液体燃料を注入しながら読んでたなー、、、。

という訳でこのHPを書きながらAMZON.COMで第一巻の"つばさよつばさ"を注文してしました。AMZON.COMでの注文は30秒で終了、送料なしで2日後に自宅に届きます。
本の内容の確認が必要なく、「表題だけで本を買う!」、という場合はこれ以上便利なものはありません。

便利な世の中になったものです。
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