11−08−19 離島の休日
今年の夏休みは変則で8月11日(木)から8月20日(土)までの10日間で、出勤開始は21日の日曜日からとなっています。日本での夏休みは昨年の6月にオハイオから帰ってきて2回目です。
とにかく7月の中旬から猛暑が続き、とてもじゃありませんが夏休みを利用して何かをする、という気にはなれません。

カミさんは前から、私の休みは実家に帰ると言ってました。姉妹が全員集まるのです。
なので私は休みはのんびりと、何もしないでダラッと過ごす、という事で決め込んでいましたが、何だか能がない。
どうせダラッと過ごすなら少し場所を変えてダラッとしてみよう、という事で休みが始まって3日目、鳥羽の離島の答志島に行ってダラッとする事を思いつきました。

ナゼ答志島か?実はこの島は今の住まいから直線で約60km、よく見えるのです。
と言うか、私の書斎(と呼べる程のものではありませんが)から机の前に座って顔を上げると、はるか遠くの伊勢湾の入り口に浮かぶ島々がくっきり見え、その中の一番大きな島が答志島なのです。

よし、あの島に行ってみよう!前々からの噂では魚もウマイと言うし、同じダラッとするなら離島の港を見ながらダラッとするのもいいのではないか、早速ネットで宿を検索、予約を入れました。
本当は3泊くらいしたかったのですが、お盆の15日まではどこも満室、16日からはポツポツと空き室があり17日からはかなり空いています。

よさそうに見えた(あくまでネットの宣伝で)宿は、17日からしか空いていないとのことで止むなく2泊としましました。
ダラッとしに行くわけですから、ひとりで行くのが基本になるのですが、下の娘に声をかけると1泊だけなら行ってもいい、という返事。
1泊目は2名、2泊目は1名で予約を入れました。
鳥羽駅横の港から

答志島までは、先ず近鉄特急で鳥羽駅まで行きます。鈴鹿から1時間かかりません。
乗る前にお弁当とお茶を買って、それを食べながら行きます。何か油っぽい弁当でした。

鳥羽駅に着いてそこから歩いて6〜7分で佐田浜という港に着きます。
そこから定期船に乗って答志島まで行きます。

いろいろな乗り物に乗れて楽しい旅です。
白波蹴立てて答志島へ(1)

定期船は答志島までは鳥羽から1日に8往復あります。
鳥羽港を出ると右手に菅島、左手に答志島を見ながら菅島水道を船は進みます。

天気も良く、波も静かで快適です。この辺りは遊覧船も出ていてなかなか眺めのいいところです。

気温は35℃くらいあり暑いのですが、潮の香りがたまりません。
白波蹴立てて答志島へ(2)

連絡船は島の人にとって重要な交通手段です。
私と娘は潮風の当たる、後部上甲板へ乗りましたが、島の中学生達が乗っており、賑やかです。

どうも野球部か何かのようで、試合を終えて島に帰るのでしょうか。
娘に言わせると、津あたりの中学生に比べて純情そうに見える、という事でした。
答志の旅館まで

鳥羽港から答志島の和具港に到着、予め船に乗る前に旅館には電話をかけてあったので、マイクロバスで迎えに来てくれていました。

マイクロバスで約10分、旅館に着きます。
旅館は答志港の横にあり、玄関の前には漁船がずらり係留されています。

部屋は3階で10畳の広さでまあまあ、午後2時前に着いたのですが、2時から温泉に入れます。
散歩・探索(1)

旅館の部屋はエアコンが効いており快適、畳の上にゴロンとなるとウトウトです。
でもこれじゃもったいない。

旅館の付近を散歩してみることにしました。島は長さ6km、幅2kmで人口3500人、大きく3地域に分かれています。

港をブラブラと歩いて横切り、小さな灯台がある突堤に出ます。目の前には大築海島が見え、少し向こうに見慣れた(?)神島が見えます。
散歩・探索(2)

この島に来て泊まる人の多くは魚釣りが好きな人達です。
本格的ではなくても、こうやって港の突堤から糸を垂らして、魚釣りを楽しんでいる人もいます。

何か釣れるのか、しばらく見ていましたがあまり釣れないみたいでした。
でも親子で竿を持って楽しそうでした。

しかし暑い!風も殆どありません。
津波が来たら、、、

答志島は伊勢湾の入り口にあります。
という事は、もし東海沖地震があったら島はもろに津波を受ける位置にあります。

311でも港の水位があっと言う間に下がり、そしてその後水位が上がり、海苔の養殖棚が全滅したそうです。

この看板は非常に新しかったので、311の後に建てられたようです。
夕食(1)

1時間ほど散歩をして汗だくになって旅館に戻り、早速温泉に入ります。
浴室は結構大きく、お湯も豊富です。
誰もいない温泉で、ゆっくりと湯に浸かり汗を流す事ができました。

部屋に戻ると既に夕食の準備が整っています。
オオ!、結構豪勢ではありませんか。
 
夕食(2)

とりあえず娘とビールで乾杯していると、仲居さんがイセエビとサワラの活き作り、それにタコの塩茹でを持ってきました。
タコの塩腕茹はハサミで足を適当にジョキジョキ切って食べますが、これが結構イケます。

これ以外にハマチのお造り、カレイの煮物も持って来てくれ、大いに液体燃料を注入して、大満足でした。

娘によると、9時頃には天国に行っていたそうです。
延縄漁の準備

翌日は気持ちよく目覚め朝食を頂いて一服した後、昨日に引き続き島内の散歩をする事にしましまた。

港の横で漁師の奥さんが何やら一生懸命に仕事をしています。
何をしているのか訊ねたところ、延縄漁で使う縄にエサを付ける作業をやっていました。

毎日毎日同じ事をやっているのです、と言っていました。
答志港・前の浜

こここにも定期船の桟橋があります。答志島には私達が降りた和具港とこの答志港の2カ所に桟橋があるのです。

桟橋の先はやはり多くの漁船が係留されている港になっています。
ここから更に1Km弱歩くと海水浴場があります。

そこまで行くのはこの暑さの中、ちょっときついので昨日行ったのとは違う、もう一つの灯台の方に行ってみる事にしました。
神島

答志港の突端に出ました。遠くには神島が見えます。神島は三島由紀夫の小説”潮騒”で有名になったところです。

潮騒は5作も映画化されているそうで、私は吉永小百合と浜田光夫の映画しか知りませんでした。

この左手に白浜海水浴場が見えましたが、泳いでいるのは何と2人でした。お盆を過ぎると、こんなもんだそうです。
かき氷を食べて一服です

あまりに暑いので、一服です。
”前の浜”のメインストリートを歩いていても、観光客には殆ど出会いません。
このお店の奥さんに聞いてみると、お盆を過ぎると昼間はこんなもんだそうです。

こんな島にも中国人が働きに来ているとか、観光客が昔に比べて減ったとか、かき氷を食べながら、奥さんにいろいろと話を聞くことができました。
昼食で入った食堂

ブラブラと大汗をかきながら、散歩をしていると急に大きなサイレンが鳴り響きました。12時を知らせるサイレンなのです。

軽く昼食を摂ることにします。
通りには観光案内地図で2軒の食堂があります。その中の1軒に入ってみました。
数人の人が食事をしていましたが、みんな地元の人のようでした。
高速船

食事をして旅館に戻り、娘は13:25の高速船に乗るために、旅館のマイクロバスで和具港まで送ってもらいました。私も見送りについて行きました。

高速船は鳥羽までわずか25分で行けます。
答志島は鳥羽と一番近いところは2kmくらいしかありません。
橋を架けることは可能で、そういう運動も起こしているようですが、橋ができたら車が押し寄せて、狭い島内は交通麻痺を起こしてしまう可能性があります。
ダラッとしました

娘も帰ったし、旅館の部屋に戻って更に本格的にダラッと過ごす準備をします。
準備と言っても座布団を並べて、押入から枕を2つ出して、ここに寝そべって、本を読むのです。

エアコンは効いているし、冷たいお茶を横に置いて本を読む。眠くなればウトウトして目が覚めたらまた本を読む。
最高にリラックスできました。
窓からの眺め

部屋の窓の下は港で、漁船が一杯係留されています。朝も昼も夕方も結構な数の漁船が港にいるので、いつ漁に出るのか仲居さんに聞いてみました。

そしたら休みは1週間に1日くらいで、基本的に毎日漁に出るそうです。
1軒の家で普通は船を2隻、3隻持っているので、漁に出ても港に多くの船が残るとの事でした。

ナルホド。
2日目の夕食

6時前になったので温泉に入ってさっぱりとします。温泉では愛知県から来たという人と話し込んでしまい、ちょっとのぼせてしまいました。

そのあと仲居さんが夕食を運んできてくれました。
2日目もやはり、「オオ!」、という料理です。
茹でたイセエビ、鯛の活き作り、鯛の塩焼き、その他一杯の料理。
液体燃料の注入量を調整するのに苦労しました。

9時半頃には、昨夜と同じ天国行きの列車に乗っていました。
3日目の朝

5時頃に目が覚め、6時前に散歩に出てみました。
今朝は天気があまりよくありません。
案の定、外に出て30分もすると雨が降ってきましたので、慌てて宿に戻りましたが、かなり濡れてしまいました。

港の周りには島の人が少しいるだけで、観光客は皆無、のんびりした風景でした。
朝食

昨日と同じような朝食ですが、アジの干物、イカ刺し、ジャコの佃煮、サラダ、卵焼き、それに何と言っても鯛のアラが入った味噌汁、これは絶品でした。

お陰でご飯を3杯も食べてしまいました。我ながら呆れてしまいました。

食事後一服をして、温泉に。露天風呂に入ってみました。客は誰もいなくて、今回も独占状態でした。
和具港の市場

温泉から出てダラダラと過ごし、10時前になったのでお勘定を済ませて、旅館の皆さんに2泊のお礼を言って、マイクロバスで和具港まで送ってもらいました。
バスに持ったのは私以外には若い夫婦が1組だけでした。

和具の定期船桟橋の横は小さな市場になっており、この日に水揚げされた魚介類の市が開かれていました。
和愚考から鳥羽まで

定期船は10:10に出航。答志島には全部で15くらいの旅館・民宿があるので、結構な数の乗客がいました。

船内では同じ旅館からマイクロバスに乗った若い夫婦が近くにいましたが、ダンナの方は大事そうに釣り竿を持っていましたので、きっと釣りにやってきたのでしょう。
おとなしそうな夫婦でした。

何となく、上の娘夫婦を思い出してしまいました。
鳥羽・佐田浜到着

ここで船を降りて、鳥羽駅に向かいます。
朝に降った雨も止み曇り空で、気温は昨日より少し低い感じです。

鳥羽駅に行って、近鉄に乗れば1時間弱で鈴鹿に到着です。

ダラッと過ごすための2泊3日の答志島での休暇、徹底的にダラッと過ごすには、もう2〜3泊必要な感じです。

答志島というのは鳥羽から目の先に見える島ですが、陸路はなく船で渡るしかありません。
島は漁業と観光業で成り立っているのでしょう。漁船は殆どが夫婦船で、夫婦で漁に出掛けるそうです。

旅館の仲居さん、旅館の女将さん、それに港で合った漁師の奥さん、氷を食べたお店の奥さん、話しかけるとみんな気さくでいい人ばかりでした。
朝の散歩で出会った漁師の人達も、挨拶をするときちんと返事が返ってきました。いい感じでした。

港で漁師の奥さんと話した時、漁師の後継者の事を聞いてみました。こういう漁業の世界では後継者が不足しているという話を聞いているからです。
すると意外な返事が返ってきました。ここでは後継者にそんなに苦労している訳ではない、と言うのです。

中学、高校を出て親の船に乗るのが普通だそうですが、学校を出て直ぐに乗るよりどこかで仕事をして、そして島に帰ってきて船に乗る子の方がいい漁師に早くなれると言っていました。何となくわかるような気がしました。
そして港の付近を歩いていても意外と20才代の若者の姿が目立ちました。

夏休みをダラッと過ごすために訪れた”答志島”。
港を見て海を見て、ダラッと読書して、ダラッと温泉に浸かり、夜はおいしい海の幸を頂き、ダラッと液体燃料を注入して天国に行く。
昼間は地元の人との触れ合いもありました。
ほぼイメージどおりに過ごすことができました。(娘はどうだったか、わかりませんが。)

2011年の夏休み、いい思い出を残すことができました。

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