11−05−28 最近読んだ本
オハイオではできなくて日本でできる事はいっぱいありますが、その中の一つに本屋に行って立ち読みをして気に入った本があれば買う、というのがあります。
オハイオには日本の本屋がなく、これをやろうとするとシカゴとかNYに行かなくてはなりませんでした。
そんな訳で帰国してからは買い物のついでなどで10分とか15分ほど立ち寄るのも含めると、1週間に1回は必ず近所の本屋に寄ります。

それと私は出張で栃木県宇都宮によく行きます。宿泊は宇都宮駅の西口にあるホテルですが、一人で夕食を摂るときはその前に本屋に行きます。
そこで気に入った本又は雑誌を2〜3冊買います。

そして居酒屋に入ってカウンターに座り、買ってきた本又は雑誌を読みながらチビチビと液体燃料を注入します。これはオハイオにいて日本に出張した時からずっと変わっていません。
普段は出張先では誰かと夕食を一緒にする事が多いのですが時々ぽっかりと一人になる事があり、その時はこのパターンになります。

一人で居酒屋のカウンターに座って何もしないで液体燃料注入・食事をするというのは実に味気ないのですが、こうやって本を読みながらの液体燃料注入は、注入量の時間配分も適切になり大変好都合です。

連休で行った和歌山県太地、ここは古式捕鯨で有名なところで、くじら博物館に行ってきました。
その中で明治11年の'大背美流れ'という大事件があった事を知りました。事件は鯨を追って300人余りが出漁した時の事です。
くじら博物館には、悪天候と沖に出すぎて黒潮に乗ってしまい約100人の溺死者、餓死者を出したという事件 という簡単な紹介しかありませんでしたが、私は少々興味を持ったので少し調べてみました。

調べる中でこの事件について史実に基づいた"深重の海(津本陽)"という長編小説がある事を知り、是非読んでみたいと思いamazon.comで調べてみました。見つかったのは古本のみで新品はありませんでした。何冊かの中から程度のよさそうなのを選び、注文してみました。

私はamazon.comで本を買うのは初めてで、クレジットカード決済、1日で自宅に届くと言う便利さとスピードには驚きました。

早速読んでみました。文庫本ではありますが全部で450ページ以上、かなりの長編です。
本が届いた夕食後に読み始め読み終わったのが翌々日の夕方5時頃でした。
2日目は歯科通院があったので会社を休んでおり、ずっと読んでいました。

私はどちらかと言うと小説はあまり読まない方で、読んだとしても史実に基づくドキュメンタリーが中心です。
ズバリ、今回は久しぶりに夢中になって読んでしまいました。食事と風呂と液体燃料注入以外は2日間、ずっと読んでいました。それくらい夢中にさせる小説でした。

舞台が和歌山県太地という事で先日行ったばかりのところで、また何十年も昔の少年時代に熊野市に住んでいた事があって太地を身近に感じたからも知れません。
それに話の中に出てくる捕鯨の様子などがくじら博物館で見た古式捕鯨に関する展示等と重なり合って様子がリアルに目に浮かんだりしました。

古式捕鯨と言う男の中の男の世界とはどういうものであったか、それがどのように滅んでいったのか、また舞台となった太地とはどういうところだったのか、興味の尽きない文章に吸い込まれました。
更にこの話の裏には実は大きな歴史としてのアメリカの捕鯨と日本の江戸時代の終焉(明治開国)などの流れと関係があり、今まで自分が持っていた知識がさらに整理されました。

(太地の沖では1840年頃から鯨が捕れなくなっており、アメリカ・ロシア・イギリスによって西太平洋から日本近海の鯨を根こそぎ捕ってしまったのが原因で、ここから太地400年の古式捕鯨滅亡の歩みが始まっている。彼等はかくも勝手・自己中心的な連中かと、近年における彼等の捕鯨禁止の動きを見ていると感じざるを得ない。)

5月連休で訪れた太地は、天気が悪かったのでくじらの博物館の周辺だしか行くことができませんでした。小説に出てくる灯明崎とか梶取崎などの重要なところへの散策は計画を断念せざるを得ませんでした。
ですから太地そのものは町全部を廻った訳ではありません。この小説を読んでもう一度、できればこの秋にでも再度太地を訪れ太地の町を全部廻ってみようと思います。

会社を休んで2日半寝るのも惜しんで450ページを読み切ったというのは、久し振りの経験でした。
10〜15人前後の勢子が乗り込んだ三十尺足らずの鯨舟が30艘、総勢300人が巨大な鯨に挑み掛かり、何時間も格闘をして仕留める様子が書かれている11章、血湧き肉躍る表現には吸い込まれてしまいました。

東北地方を襲った311、2万人以上の死亡・行方不明と10万人以上が未だに避難中の大惨事で復興は順調なのか、未だによくわかりません。新聞とかテレビの報道を見ていても何がどういう計画でやられているのか、やられようとしているのか全く見えません。
先日の宇都宮出張でいつも立ち寄る本屋に行ってみたら、かなりのスペースで震災関連の本のコーナーが作ってありました。
その中から一冊の文庫本を買ってきて読んでみました。"三陸海岸大津波(吉村昭)"という本です。

内容は明治29年、昭和8年、そして昭和35年の青森・岩手・宮城を襲った大津波に関する記録です。読んでみてこれらの過去3回の津波があまりにも今回の311と同じ状況である事に驚きました。
正確には昭和35年の津波は三陸沖の地震によるものではなく、チリで起きた地震による津波が地球半分を超えて伝わって襲ってきたもので津波の原因は違います。
しかし人々にとっては"津波"は”津波”である事に変わりはありません。

地震の前の異常な鮪の豊漁、更に津波が来る直前の海上のい戦慄すべき大異変、沖合からの大砲を撃つような音響、これが2回の津波の全くの共通点、そして過去からの言い伝えとの共通点でした。
三陸沖の津波は主な記録だけでも1585年から1894年の約300年の間に17回も起きているのです。これは17年に1回の割合で三陸沖は津波に襲われている事になります。

吉村昭はそれらの記録を調べ、そして明治29年、昭和8年、昭和35年の3回については津波の体験者に会って話を聞くという事を何年にもわたって行ってこの本を書いています。
明治29年の津波は15mに達しており、それが山を駆け上って50mの高さにある家まで押しつぶしたとある事など、今回の311と全く同じ状況のように思えました。

またいずれのケースも津波で無法地帯になったところに多くの窃盗事件が発生し、あちこちからかき集められた警官が夜も寝ないで取り締まったとありました。今回の311でも窃盗事件がたくさんあったようですが、今に始まった事ではなく昔からあった事がわかります。
とにかく出てくる地名は全て今回の311の被害を受けた地名と全く同じで、本を読んでいて一瞬「あれ、これって今回の津波の事なのか?」、と思ってしまうほどでした。

心を打たれたのは昭和8年の津波で生き残った尋常小学校の子ども達の作文で、20ページにわたって書かれていました。
「私は、私のお父さんもたしかに死んだだろうと思いますと、涙が出てまいりました。
下へおりていって死んだ人を見ましたら、私のお友だちでした。私は、その死んだ人に手をかけて"みきさん"と声をかけますと、口から、あわが出てきました。」


これは今でいうところの小学校3年生の女の子の作文の一部です。この部分はあまりに悲しい様子が子どもなりの文章に現れており、何度も何度も読み返してしまいました。

解説を書いている高山文彦は田老に築かれた巨大な防波堤を見て、「20メートルを超える高さで押し寄せる大津波をこの防波堤がすべてくい止める事ができるはずがない。海に生きる人びとは、津波の来襲をを拒めない、、、、」
記録を客観的に読むとこういう結論になるのですね。

この本は記録文学者としての吉村昭の精神の全てが凝縮されているような本といえるような気がします。
初版は今から20年以上前ですが新鮮さを感じる一冊です。

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