11−04−27 アマチュア無線再開 |
私はかつてラジオ少年でした。ラジオ少年というのはラジオの製作に夢中になった少年の事で、私の10才くらい前の世代から20才くらい後の世代まで、ごく普通に周りにいました。 ラジオの製作は簡単なものから始めて少しずつ複雑になり、受信の対象も中波放送から始めてその後短波放送を聴く、というのが一般的な進化のパターンでした。 短波放送が何とか聞こえるようになったのが小学6年生から中学1年生になった頃で、真空管3本の受信機で布団の中でも一生懸命に聞いていました。 短波を受信するようになってハム(アマチュア無線)というものを知り、免許をとれば自分で電波を出して、外国の人と話ができるというのを知ったのもこの頃でした。 ![]() ハムの免許ってどうやってとるのか、雑誌とかで調べて親に内緒でこっそりと願書を出したのが中学2年生の3学期、試験は平日に名古屋であり、学校を休んで受験に行きました。 名古屋駅では平日に中学生がうろうろしているという事で、家出少年と間違われたりしました。 そして2ヵ月後に合格通知を受け取ったときは天にも昇る嬉しさでした。 受験したのは電話級アマチュア無線技士という資格で、無線工学の基礎が10問と電波法規の概要が10問、全て記述式でした。 その半年後に同じような試験とモールス信号の送受信試験を受けて、電信級アマチュア無線技士という資格をとりました。 それから送信機と受信機を作り(自分で部品を集めて!)、電波を出したのが4ヵ月後でした。 このようにして始めたアマチュア無線、その後オジサンになってからも何となく続けており、無線機をいじる時の心の中は昔のラジオ少年のままでした。 免許も中学生で取得した初級免許からその後、運転免許でいうと普通免許相当のものも取得しました。 自分で無線機を作り、アンテナを作り、そしてモールス信号で知らない国の人と交信をする、これが私のハムの原点でした。 (無線機とかアンテナはその後あまりにも高度になり過ぎて、最新のものは作れなくなってしまいましたけど。) 1996年にオハイオに行った時も着いた2ヵ月後にFCC(アメリカの電気通信局)の免許もとりました。そしてラジオ少年のココロで真空管とかいろいろな部品を集めたりしました。。 |
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日本に帰ってきていろいろとやりたい事の一つにこのハムがありました。今までは仕事も忙しく、時間的な余裕もなかったのでなかなか思うようにできなかったのです。 |
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やはり私にとってのハムはラジオ少年のハムなのです。私はVHF/UHFのアンテナを2ヶ月で撤去しました。(UHFは会社の仲間・友人との交信用のみ、これには小さなハンディートランシーバー1台で十分! |
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