11−04−24 みんな平等
311の後、初めて栃木に出張をしてきました。栃木には私の会社のいろいろな施設があり、1万人以上の社員が働いています。
地震では多くの建物が被害を受け、業務が一時ストップしましたが直ちに県内・県外にサテライトオフィスを設け、現在1000人以上がここで業務を継続するという対応になっています。

サテライトオフィスというのは今から20年くらい前にホワイトカラーの自宅勤務とともに、都心から離れた郊外の市にオフィスを作ってそこに通勤をするという構想が持ち上がり、その時にできた言葉だったと記憶します。
私が埼玉の大きな団地に住んでいたときも、駅の横のビルにサテライトオフィスができて話題になっていました。

出張は水曜日の夕方に東京駅に着き、ここで東北新幹線に乗り換え宇都宮に向かいましたが、東北新幹線は福島止まりでしかも1時間に2本ほどしか走っていませんでした。

名古屋駅で東北新幹線の座席指定を取ろうとしたら、「座席指定は東京到着から1時間近くありません。」、と言われ満席なのかと思ったら、グリーン車以外は全部自由席になっており、普通席での座席指定の列車は極く限られていたのでした。

東京を出た列車は上野で満席、大宮で乗り込んだ人は全員立ち席で座席横の通路はこれらの人で一杯になりました。

翌朝は宇都宮駅前から出る7時30分の会社のバスである事業所に行ったのですが、乗ったのは何と私1人だけ。
大型バスは私を乗せて、とある事業所に向かいましたが、言われていたように今までであれば50分くらいで行けたところが1時間15分掛かってやっと着きました。

宇都宮も地震では非常に大きな揺れがあったにもかかわらず建物の被害は全くと言ってもいいほどになかったそうなのですが、宇都宮を出発して鬼怒川を越えると風景が一変します。
倒壊している家は目に入らなかったものの多くの家の屋根瓦が落下して、青いビニールシートで応急修理がしてありました。
墓地の横を通ったら墓石が倒れていたりして、やはり震度6に見舞われたことを表していました。また会社の連中の話によると、鬼怒川を挟んで東西では地盤が全く異なるので被害の出方が違ったという事でした。

会社での会議は予定どおり12時に終わり、普通であれば昼食を済ませてから駅に向かうのですが、食堂と給食設備が地震で破壊され、昼食を会社の中で摂る事ができませんでした。
ここに勤務している社員はどうしているかと言うと、業者から弁当を届けてもらっているとの事でした。

帰りも東北新幹線は1時間に2本で、宇都宮駅では20分以上待たされました。

東海道新幹線には夕方5時20分に東京から乗りましたが、来るときと同じく一番混んでいる時間にもかかわらず、座席は1/4くらい空席でいつもよりゆったりとした感じでした。

前の週には埼玉県に出張をするために東海道新幹線の品川駅は節電と言うことで、駅の中は最小限の照明になっており、今までとは違う雰囲気でした。

電力の供給は今年の夏が計画停電になるという事になっていますが、これによる日本産業へのダメージは非常に大きく、節電は一律で行うのではなく、コンビニの一部閉鎖、自動販売機の稼働制限、それに一般家庭にももっと節電を課するという方法が議論されているようですが、政治的な思惑が先行してなかなか結論が出ていないようです。

さて5月5日のこどもの日、端午の節句が近くなってきました。この頃が近づくと自分が子どもの頃を思い出します。
5月5日には母親がちょっとした料理を作ってくれ、それを食べたりした事が思い出されます。

端午の節句と言えば大空に泳ぐ鯉のぼり、4月の中旬以降になると男の子がいる家では庭に柱を立てて、鯉のぼりが泳ぎます。
が、ここ鈴鹿ではそれを殆ど見ません。
そうか、、、やっぱり少子化、男の子どもが減ってしまったのかと思っていました。

が、どうも全く別の事情で鯉のぼりがここ鈴鹿では少ない事がわかりました。事情とは「町内会の申し合わせで、鯉のぼりを上げない事になっている地区が多い。」、という事なのです。
そうか、、、鯉のぼりを上げるためにはそれなりのポールが必要だし、強風にあおられると鯉がどこかに飛んでいったり、ポールが倒れたりすると危険なので、安全上の問題を起こさないためにそうなったのかな、等と思っていました。

が、理由は全く違いました。
理由とは、鯉のぼりを上げることができる家と、上げることができない家があった場合、上げることができない家は子どもが惨めな思いをするので、平等の観点からよくない、というものです。
それに鯉のぼり等は嫁の親が準備をするという習慣(ひな祭りのひな人形も)になっており、実家の負担が増えるから等の理由から、町内会で「鯉のぼりは上げない」、と決めたというのです。

確かに鯉のぼりを上げるには、経済的なバックグランドの違い、その前にポールを立てる事ができるスペースが家にあるか、など家庭によって大きく事情が異なるのは事実です。
町内会によってはベランダに小さな鯉のぼりを上げるのはよい、としているところもあるそうです。

これを聞いて私は大きな違和感を感じました。違和感と言うよりり、何か恐ろしい怖いものを感じました。鯉のぼりを上げてやりたい、と純粋に感じている両親、祖父母は多いはずです。

でもその心は無視されて、ここでは恐らく「平等」、という非常にやっかいな言葉でくくられて,、鯉のぼりは上げてはいけない事に決めたのでしょう。多分、これを守らないとその家は陰湿な村八分の制裁を受けるのだと思います。
何かおかしい、というレベルを超えた、恐ろしいものを感じます。

もう三重県鈴鹿市は既に正常な感覚では考えられない決めごとが横行しているのか、住み始めて10ヶ月の私にはまだわかりません。

そのうち、子どもの着る物、履き物、いろいろな持ち物、イヤ、毎日の食べ物まで、「町内会で決める。」、事になるのでしょうか。
「僕は昨日の夕食で、すき焼きを食べた。」、という子どもと、「僕はメザシを食べた。」、という子どもが一緒の学校にいるのはメザシを食べた子どもが惨めな思いをするので、子どもにはすき焼きを食べさせない、って感じになるのかな?

私が子どもの時は、鯉のぼりは上げてもらえない方でした。
でも私は画用紙を買ってきて自分で鯉のぼり作り、それを笹の枝に取り付けて、テラスの柱に縛り付けて、それを見上げて満足でした。

日本全国から鯉のぼりがなくなる事のないように祈るばかりです。

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