10−12−12 鳥羽での忘年会
12月になって気温も下がり、景色も冬らしくなってきました。
12月と言えば日本では忘年会、会社関係、個人的なつき合い、その他手帳は忘年会の予定でどんどん埋まっていきます。11月の下旬からの手帳を見ると、エーッというくらいになっています。

師走を日本で過ごすのは1995年以来で、その時の手帳を開くと、これまたすざましい!当時は電車・地下鉄通勤だったので普段から帰りに一杯というのが頻繁にありましたが、それは記録されておりませんので一体どういう生活を送っていたのか、不思議です。
相差の民宿の前
今でも時々言われるのは、今夜は夕食を家族と食べるのでカミさんが私用の献立を作って待っていると、電話が掛かってきて、「夕食はいらない。」。
するとその献立は娘達とカミさんで平らげた。これが何回あったことか、と。

さて今は田舎工場勤務、会社の帰りに一杯というのは基本的にありません。
ですから外でお酒を飲むというのはこのシーズンにグンと増えるという感じになります。

オハイオでは全くなかった事に泊まりでの忘年会というのがあります。
泊まりの忘年会というのは最近は流行らないそうですが、私の場合それがこれまでに4回ありました。

職場の忘年会、あるグループの忘年会、趣味の仲間の忘年会、昔の仕事の先輩との忘年会でこのうち3つは三重県の南にある鳥羽というところでの泊まりでした。

残りの一つは正確には飲み過ぎて帰れなくなってホテルに泊まっただけなので、厳密には「泊まりの忘年会」、とは言えませんが、ま家には帰らなかった、という事でこのカテゴリーに入れておきます。。

職場の忘年会は半ば仕事みたいなものなのでちっとも面白くありませんが、それ以外の忘年会というのはやはり楽しいもので、かなり節制はしているもののついつい飲み過ぎてしまいます。
鳥羽での3回の泊まりの忘年会、それぞれ会社の保養所、民宿、ホテルでやりました。以下に非常に限られた経験ではありますが、私の主観で比較をしてみたいと思います。
民宿は相差の魚全、ホテルは石鏡の第一ホテル、保養所は私の会社の保養所です。

(費用) ホテル<<民宿<保養所 :ホテルはやはりバカ高いです。
保養所からの眺め、正面の島は菅島
(夕食) ホテル=保養所<<民宿 :民宿にはホテルなどは到底かないません。というかホテルのレベルが低すぎ。

(朝食) 保養所=民宿=ホテル :朝飯というのはあまり差が出ない、これは万国共通です

(部屋) 民宿<ホテル<保養所 :今回のホテルはリニューアルした部屋とはいうもののウ〜ン、という感じでした

(眺め) 民宿<保養所<ホテル :大きな差はありませんがホテルは高台にあったので、それなりに、です。

(風呂) 民宿=保養所=ホテル :ホテルは露天風呂があったので他と同格ですがこれがなかったら格下です。

(従業員の態度) 保養所<民宿=ホテル :民宿が以外と健闘です。保養所は仕方ないですね。ここでホテルが上位にならないのがそもそもおかしい。

(付帯設備) 民宿<ホテル<保養所 :保養所は格安のカラオケルームがあったので


三重県鳥羽というのはかつては伊勢参りの客が少し足を延ばして一泊してゆく、海の幸を堪能できるところでした。
ホテルからの眺め、菅島、神島、伊良湖岬、御前崎などが見えます。
また我が郷土が誇る真珠王、御木本幸吉でも有名なところです。
しかし三重県に24年ぶりに帰ってきてわかったのは観光地としての寂れようでした。

駅前は活気がなく、いずれも11月〜12月の土曜日なのに客が一杯いるという訳でもありません。
何だか昔に比べて元気のない、活気のない観光地になってしまいました。

そのような中、民宿は食い物だけで勝負、と思っていましたが、今回分かったのは大きな風呂も清潔で快適でした。

今回は千葉県から私の大先輩のHご夫妻をわざわざ鳥羽まで引っ張ったのですが、8月の鳥羽国際ホテルと同様、○と行かなかったのは非常に残念でした。

でも久し振りに会ったH先輩、相変わらずお元気で今でも千葉から原宿まで往復3時間の通勤をして勤めて見えるとのこと、いろいろと心からのアドバイスを頂きました。
H先輩の奥様と私もカミさんは初対面でしたが、奥様はきさくな方でカミさんも楽しく過ごす事ができたようでした。

でもこれで鳥羽の普通のホテルには、宿泊する気持ちは全くなくなってしまいました。何だか我が故郷も大きく変わってしまったようです。

そうだよな〜、三重県に帰ってきたの4分の1世紀ぶりなんだよな〜、改めて24年の変化を感じました。
先週は栃木に出張、ここでも忘年会をやってきました。
やったのは元オハイオ駐在の同じ職場の仲間3人、Wさんは駐在7年で2005年に帰国、Yさんは5年で2010年帰国、Hさんは3年で2009年帰国、特にYさんは私より3ヶ月後の10月に帰国で、帰国後始めて会いました。

みんなオハイオの時は一緒に仕事をして、いっしょに悩んでいろいろとやってきた仲なので、大いに盛り上がり楽しい忘年会となりました。
Hさんは息子さんが大学受験で大変そうでした。

Wさんは子供さんがほとんどオハイオ人になっていたようで、すこしイジメもあったようですが、今は元気に学校に行っているとの事でした。
Yさんには私が帰国をする時はいろいろとお世話になり、本当に助かりました。

これにKさん、Tさんが加われば私のオハイオ駐在全期間での、もっとも近い存在の全日本人になるのですが、Tさんは別の職場、Kさんは既に定年で離れた場所に住んでみえるので声をかけなかったようでした。

翌日会社に行ってIさんの顔を見たとき、しまった、Iさんも呼んでもらっておけばよかった!と反省。幹事のHさんは同じ時期にオハイオにいたのですが、Iさんとは接点がなかったので気が付かれなかったようでした。

Iさんは駐在5年で既に帰国して1年半、Iさんが帰国の時は家族をオハイオに残して単身帰国でした。子供さんの高校卒業までに数ヶ月が残っていたからでした。
その娘さん、今はカルフォルニアの田舎の大学で朝から晩まで勉強に没頭しているそうです。

何年もの長い期間オハイオで生活をして、そして3年〜7年間私と一緒に仕事をして帰ってきたこれらの人達、みんな日本でそれぞれの道を歩んでいます。
でもきっと殆どの人が、再び世界のどこかに出て行くことになると思います。

10年後はみんなどこで何をしているのでしょうか、、、がんばれオハイオのOB達!!!
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