10−08−11 旅行のリスク
オハイオから帰ってきて50日、連日の猛暑にぐったりしている今日この頃ですが生活は一向に落ち着きません。
これから先の生活のライフスタイルに合った住まいを具体的に決めていかなくてはなりません。

私は仕事は続けるものの、会社では今までとは全く違った立場になり、責任も大きく異なります。
自分の趣味、健康管理などに使う時間がかなり増えます。
つまり自分の時間が増えるので、これをどう使っていくか、そしてその時間の使い方に合った住まいをどうするかというのが目下の最大の課題です。

幾つかのアイデアがあり、いずれも大金が必要で、一旦決めたらやり直しが難しいので、なかなか悩ましいところです。

それと日本に帰ってから様々な仲間から声が掛かって、つき合いが始まっています。会社関連、趣味の仲間、学校の仲間、その他の4つのグループがあります。
そんな中で昨日は会社関連の会合がありました。

メンバーは24年前にいた職場の主としてOBで年齢的には70才のから40代の現役までおり、なつかしい顔ぶれに出会いました。
一応OB会と銘打っての会合で、話を聞くとそれぞれ自分の人生をエンジョイされている様子でした。
やはりみんな健康管理が一番の関心事で、手術をしたり治療中という方も何名も見えました。

会合は居酒屋の2階の座敷、最初は正座をしていたのですが長時間は耐えきれず、立ったり座ったりかなり大変でした。
腰の方はその後順調に回復しているように見えますが、やはり重い物を持ったりしゃがむ作業をしたりすると腰に強烈な違和感が出て、大変です。

いわゆる痛みはないのですが、庭の草取りなども連続で15分が限界です。日本の宴会は座敷でやる事が多く、これからは座敷の場合、しばらくは出席を遠慮した方がいいと思いました。
昨日からのニュースではアメリカのユタ州での観光バスの事故について報道されていますが、事故のあったザイオンは私達も3年前にほぼ同じようなコースで旅行をしており、何だか他人事ではないような気がしています。
ザイオンはラスベガスから始まるこのコースの最初に行くところで、途中でお昼のお弁当をスーパーで買ったのをよく覚えています。

オハイオにいた14年間、最初の7年は自分で車を運転して、後半の7年はパックツアーを利用してあちこちに行きましたが危険を覚えた事が3回ありました。

1回目はSFに行った時で、SFからヨセミテに行くマイクロバスでの事。
SFからヨセミテまではバスで4時間くらい掛かったのですが、このバスの運転手は荒っぽいなんてレベルではない運転でした。
まだ片側4車線のフリーウエーを恐らく140kmくらいのスピードで他の車を右に左に追い越して走りました。

更に運転手はチラチラ横を見ながら客の男性とおしゃべりをしながらの運転で私は気が気ではありませんでした。

この運転手はヨセミテに到着してからも他の事で大いに問題のある行動をしたので、旅行から帰ってJTBに抗議のメールを送りましたが、何の返事もありませんでした。

2回目はイエローストーンに行った時、バスの運転手が居眠りをして大型バスが蛇行をした時です。
この時は運転手は直ぐにハンドルを修正したので大事には至りませんでしたが、運転手の後ろに座っていたガイドさんが一生懸命に運転手の肩を揉み始めたのを覚えています。

そんなに深くはありませんでしたが片側が崖になって川がありましたので、あのままあと数秒居眠りを続けていたらバスは崖から転落は間違いありませんでした。
3回目は今回テレビで報道されている事故があった、グランドサークルのツアーの中でありました。
場所は後半のアンテロープ・キャニオンでの事で、ページという町についてここで只のトラックの荷台に10人くらいが乗せられて、フリーウエーを100km以上で走ったのです。

ドンドンとお尻からの振動でトラックの幌の支柱に必至でしがみついていました。

トラックはフリーウエーをしばらく走ってから砂漠に入り、アンテロープ・キャニオンに向かうのですが、砂漠と言ってももの凄い起伏のあるところで、トラックは空中を飛ぶように走りました。

というのはこの起伏の大きい砂漠の中を運転手は70〜80kmですっ飛ばしたからです。
乗っているみんなは同じく青ざめて柱にしがみついているしかありませんでした。よく一人も振り落とされなかったと思います。

これでトラックが転倒していたら、何人もの人が即死だったのは間違いありません。

この件についても旅行が終わってから正式にJTBに抗議のレターを出しましたが、「調査の結果そういう事実はなかった。」、という事で無視されました。
その時のトラック同乗者の方々とコンタクトをとる手段を持たない私は、これ以上抗議を続けるのを止めました。

オハイオ14年間の旅の中で、他にもひやっとる出来事はいくつもありましたがこの3つは未だに記憶にしっかりと残っていますので、相当なものだったと言えます。

1週間程前にあったスイスの列車事故でも日本人観光客が何人も亡くなっていますが、私達もユングフラウヨッホに登った時に電車に乗りました。
思い返せば山頂から下りて麓の町に向かうとき、急カーブがかなりあり、あそこを減速しないで走ったら脱線していたかも知れないなどと思っています。

旅行に出ると、いろいろな乗り物に乗り、知らない町に入って知らないホテルに泊まります。これも旅の楽しみのひとつではありますが、やはり危険と隣り合わせです。
今まで気が付かなかっただけで危険な目に遭う寸前の事は一杯あったのかも知れません。

私達は今までたまたまラッキーだっただけかも知れません。
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