10−08−05 帰国を実感しました
日本に帰ってからこれまでに2回ドルのチェック(小切手)が送られてきました。いずれもオハイオで売却した家に関するもので最初に来たのがローン支払いの精算に関するもので約500ドルのバンクチェックでした。
オハイオにいたときはこのようなチェックは会社のクレジットユニオン(銀行)に持ってゆくと即座に私の口座に振り込んでくれ、手続きは通常1分以内で済みました。

日本でアメリカの銀行振り出しのチェックの処理は初めてで、地銀の百五銀行に問い合わせてみました。担当者の返事は「預からせてもらいます。」、という返事でした。
つまりアメリカの銀行からそのチェックによる支払いを受けるまでは、私の口座にはお金は払い込まれないという事で、処理に1月以上かかるという返事でした。

そこである支店にこのチェックを持って処理を依頼に行きました。すると外国小切手何とか依頼書という用紙を持ってきて、「これに記入をせよ。」、と言います。
用紙には小切手の支払いの理由という欄があったので、受託ローンの精算による、と書くと窓口担当者は、「???」、の顔になり、「あの〜、これではわからないのですが、つまりですね、支払いの理由なのですが。」、と言うのでもう一度説明をしました。

するとちょっと待って下さい、という返事を残して誰かのところに行って延々と話し込んで、「すみません、免許証のコピーを下さい。」、との事。ここの銀行には口座があるのに、何でそんなものがいるの?という感じです。
最後に手数料として2500円を下さいと言われました。
500ドルのチェックの処理に30ドルの手数料か、、、まあいいいか〜、という事で現金で2500円を払いました。

家に帰って一服していると銀行から電話です。

「あの〜、先ほどの小切手の件なんですが、もう一度お尋ねします。何の小切手でしょうか?」
「何のとはどういう事でしょうか。」
「何の支払いの小切手なのか、お尋ねしているのですが。」
「ですからさっき言いましたように、家を売ったのでそのローンの精算です!」


銀行の中でもめているのかな〜、あんなチェック1枚で。
先週にまたオハイオからチェックが届きました。今度は2000ドル(約17万円)、これは固定資産税の精算で、家を売ったのが6月なので半年分が戻ってきたのです。
今度は百五銀行ではなく、外国為替に慣れていると思われる三菱東京UFJ銀行に行ってみました。

ここに行ったもう一つの理由は、私はこの銀行にドル口座を持っているからです。今はレートが何となく悪いのでドルのまま口座に持っておこうと思ったからです。
銀行は四日市駅から歩いて12〜3分、銀行の2階で担当者にお願いをするとやはり小切手何とか依頼書に記入をせよ、というので記入をします。

支払いの理由を記入する欄があったので、意地悪く書かないで出すと、
「すみません理由を書いて頂けますか」、という依頼。
「エー、こんな事書くの?」、再び意地悪く言うとその担当者は、「そうなんです、決まりなんです。」、という返事。

百五銀行と同じような様式だったので、恐らくこういう手続きは国の指導によって行われていると見受けました。
用紙には”住宅売却による固定資産税の払い戻し”、と書きました。
手数料は5000円だと言います。エーッ、5000円!百五銀行の2倍ではありませんか。2000ドルのチェックの処理に60ドルの手数料か〜。

この2000ドルは円ではなく、計画通りそのままドル口座に振り込んでもらうようにしました。ちなみにドルから円への切り替えの為替手数料は1ドル1円だそうです。
将来円安になった時に円に替えます。でもいつかな〜、1ドル360円になるのは。
(そんなレートになるわけないでしょ!!)
本日午前中健康診断の結果を聞きに病院に行ってきました。日本の社員は50才、55才で"節目検診"とかを受けるように会社が指示を出しており、帰国して会社に行ったら早速受けるように言われ、今日はその中の脳のMRIの結果を聞きに行きました。
会社の節目検診は3カ所の外部の病院に委託しており、私はS川病院に行って受けました。肺と心臓の結果は受けた日に聞かされ、全く問題なし、という所見でした。

病院の受け付けに行くと脳神経外科に行くように言われ、1分ほど待つとSKという脳神経外科のドクターに呼ばれました。
この病院の受付横には全ドクターの氏名、生年月日、卒業学校・年次、専門分野、資格などが詳しく写真とともに掲げてあります。ドクターSKは1951年生まれとあります。

部屋に入るとPCの画面にMRIの結果を映しながら説明をしてくれます。まあ今は問題ないが今回が初めてなので、1年〜1年半後に再度検査を受けて変化を見た方がよいでしょう、と言われました。

検査結果の説明が終わるとドクターSKは、
「ところでどちらにお勤めですか。」、「定年のようですが、もう働かないのですか。」、「子供さんはいるのですか。」、とか検査結果とは関係のない事をいろいろと聞いてきました。

部屋を出てSK、、、SK、、、どこかで聞いたような名前です。家に帰って高校の同窓会名簿を見ると、ドクターSKとは同級生のSK君でした。同じクラスになった事はありませんが、あのSK君でした。何だ、そうか。
どうもSK君は薄々私の事に気が付いていたような感じでした。一言、言ってくれればいいのに。

その名簿を見て再度びっくりしたのは3年生のクラスの時のSK君の次の席次がS川A子さん。つまりS川病院の創立者の娘で、今はこの病院の理事長。
SK君は高校卒業後40年経った今、同じクラスのS川A子さんが理事長を務める病院に勤務をしているのでした。

こういう事がわかるって地元に帰ってきたからですよね。日本帰国を実感した出来事でありました。
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