10−07−18 日本帰国1ヶ月(その2)
私は鈴鹿には自分の家があります。、鈴鹿を出てから24年間、この家は会社に社宅として借り上げをしてもらっていました。
この家を建てたのは1979年、つまり31年が経過しており、私達が住んだのは7年だけで、あとはずっと他の人が住んでいた事になります。
懐かしい家です
オハイオから帰ってきたのでこの家に住もうと思いました。
しかし元々が安普請、31年間社宅として最低限の修理はしてあったもののあちこちの痛みが激しく(特に外周り)、相当な費用をかけて修理をする必要があったため、ここに住むのは断念しました。

それでも会社は社宅扱い打ち切りにあたり、トイレ・台所の流し・洗面所を新品に交換、畳・襖なども新しくしてくれてありました。
担当者の方の話によるとかなり長い間、誰も住んでいなかったようでした。

帰ってきて2週間目後の7月2日、会社の担当者立会いのもとに家の引渡しを受けました。
庭の雑草はきれいに刈ってあり、庭に植えてあった木も枝が払われていて家の周りはこぎれいになっていました。

家は小さな団地の中の東南の角地に位置しており、各家は60〜70坪くらいの土地で、周りの道路は6mあるので雰囲気は24年前とそれ程変わっておりません。それでも当時のままの家で住んでいる人は1軒のみで、みんな増改築をするか、古い家を壊して新築をするなど風景は変わっておりました。
小さかった娘達の顔を思い浮かべてしまいます
24年振りに家の中に入ってみます。あちこち少し痛んでいるものの昔のままです。壁も、床も昔のままの色です。この家を買った時、私達ははまだ20歳代、上の娘が生まれたばかりでした。

私は転職をして今の会社に入り、1年ちょっとの頃で、私たち家族の生活はこの家で始まったと言っていいのです。

各部屋を見て回ると当時の思い出が一気によみがえってきます。ここで食事をして、この辺りには娘の机があって、、、そうそう娘は階段からよく転げ落ちたっけな〜。
そして7年後私は本社に転勤になり、この家を後に埼玉に移ったのでした。

たった7年間でしたが4人で暮らしたこの家、毎月のローンは重くのしかかり、家族旅行なんて夢のまた夢、ボーナスで何かを買ったとか外食をしたという記憶もない、そんな生活でしたが夢があったあの時期。

4DKの家、決して広くはありませんが、夫婦2人と小さな子供2人の4人家族には十分でした。この家が実質的に私たちの出発地点となった家なのでした。
住む事に決めたのは私のこの家から6km程離れたところにある母親の家で、リフォームもしてあり、普通に住むには十分な家です。しかし問題はオハイオから送った荷物の収納です。荷物は先ず航空便で5箱、船の1便で179個、2便で33個あります。これ以外に14年前にカミさんの実家に預かってもたっら荷物が10個あります。
狭いのですが仕方ありません
つまり全部で227個のダンボール箱の荷物を受け取り、そして中身を整理・収納しなくてはなりません。航空便の5箱は私達の日本到着後数日で届きました。ダンボールの箱は3つのサイズがあり、この5個は中サイズです。(3辺が各々50cm)

これだけでも6畳の部屋に入れて中身を引きずり出すと結構な量です。これがあと200個送られてくると思うと気が遠くなりそうです。

そこで送られてきた荷物の2/3を私の古い家を倉庫代わりにして、ここに入れる事にしました。7月2日、通関を終えたコンテナを積んだ大型トラックがやってきました。

運送会社の作業員は運転手を含めて4人。120個近くのダンボール箱を私の家に運び入れ、残りを実際に私達が住む家に運び込みました。

約60個のダンボール箱だけでも2部屋が一杯になりました。オハイオで日本に送る荷物の整理をした時、カミさんは相当な量の物を捨てたり、人にあげたりしたそうです。それでもこの量です。

これらの荷物には冷蔵庫、電子レンジ、テレビなどの電化製品、それにダイニングテーブル1セット以外の一切の電気製品・家具は含まれておりません。
6畳も物を置かなければいいのですが、、、
どうやってこれを整理していくか、1月や2月でできるとは思えません。実は227個のダンボール箱のうち70個くらいは私の趣味の物(本なども含む)で、一般的に言うところの家財道具ではありません。

残りの160個が多いか少ないか、北米から帰った駐在経験者に聞いてみると、極端に多いという訳ではないようです。

しかしダンボールの個数は誰がこれを梱包したかによって大きく変わってきます。梱包を業者に頼むと個数がぐっと増えます。
業者による梱包は'中身が壊れないようにする'というのが第1条件で、次に1個当たりの重量をあまり重くしない、というのが第2条件で梱包を行うからです。

私たちの場合、95%は自分で梱包を行いましたが、何個かを引っ越し業者にお願いをしました。
見ているとクッション材を超ふんだんに使って一つの箱に余裕を持って詰めていきます。
極端な話、大きな箱に人形2つ、なんて梱包を平気でやります。壊れないようにするためです。

荷主である我々は壊れた場合これを補償してもらうため全ての荷物の明細を書き、保険に入ります。でも業者は'壊れないように梱包する'が先ず最優先のようでした。
日本について1週間くらい経った時、4月に8年のオハイオ駐在を終えて日本に帰ったKさんに会社で会いました。
本社から出張で鈴鹿に来ていたのでした。
Kさん本人は4月に帰任しましたが娘さんの学校の都合で奥さんと娘さんはオハイオに残り、私と同時期に日本に帰ったというファミリーです。

Kさん曰く、荷物は全部で290個あったそうで、これを4LDKのマンションに押し込んだというのです。私は第1便の179個がどういうものであるか体験していますので、俄には信じられませんでした。
Kさんは奥さんと娘さんたちがやっと帰ったものの、単身赴任で頑張ってみえます。

日本からオハイオ、さらにイギリスに転勤になったWさん、この方にも荷物の事を聞くとやはり200個近くあったのではないか、と言ってみえました。
皆さんに共通なのは、日本に持ってきた荷物で3年も4年も開かないものが結構あるという点です。実は私も日本からオハイオに持って行き、14年間開梱をせず、再び日本に持って帰ってきた、というダンボール箱がいくつかありました。

このような物は捨てるべきなのか、、、でも捨てられないのですね〜、これが、、、。
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