10−07−17 日本帰国1ヶ月(その1)
オハイオから梅雨真っ盛りの日本に帰ってきて丁度1ヶ月が経ちました。
オハイオを出る前の慌ただしい日々、日本到着後も忙しい毎日であっという間の1ヶ月間。まだまだやる事は山積みですが、キリのいいところで帰国後の感想の一部を簡単にまとめてみる事にしました。

14年前に日本からオハイオに行く時は、外国に行って生活をするという”不安”とそれ以上の”期待”があり、新しい世界への憧れ、のようなもので一杯でした。
そして今度は自分の故郷へ帰るという安堵感、同時にしかしオハイオ生活に慣れきった身体と考え方を日本に"合わせる"という、ちょっと面倒な感じのする気持ちが支配的になっています。

シカゴを飛び立ったJAL009便は12時間後の6月18日金曜日の午後2時半、無事成田に到着しました。そして更に成田からセントレア空港、そこからは高速艇で津まで、津駅前のホテルに着いたのは夜の9時半過ぎ、オハイオのアパートの鍵を閉めてからホテルの部屋の鍵を開けるまで28時間が経っていました。

この夜から翌週の日曜日にチェックアウトするまでの9日間をホテルで過ごし、6月27日からようやく自分の家に移り住みました。
会社にはホテル住まいを始めた3日後の月曜日から出勤、早速転勤に伴う面倒な手続きを開始しました。何をやるにも頭ではわかっているつもりですが、今までのオハイオの時とは勝手が違います。
それに毎日の雨、雨、雨、更に30℃近くの高温、家の中はジメジメ、何もかもベトッとした感じで不快この上なしです。

今までこの季節に何度も日本に出張をしていますが、こんなに酷かったかな〜、、、今更のように日本の梅雨の不快さにぐったりしています。
1.帰国の実感は食い物から

オハイオは日本食に苦労はありませんでした。まともな日本食レストランと、小さいながらも日本のスーパーがありました。
でも幾つか食べることのできないものがありました。その中の一つにカツオの刺身がありました。
そんな訳で到着の翌日、早速居酒屋でカツオの刺身を頂きました。良心的な店で、1人前でかなりの量の生カツオの切り身が乗った皿を持ってきました。

一切れ、二切れ、ウーン、、、オレは日本に帰って来た!!舌からの実感でありました。

2.田舎国際都市

鈴鹿市というのは市の中心部というのがはっきりしない不思議な市なのですが、住民票を取りに市役所に行って驚きました。
市役所は15階建ての鈴鹿市で一番高い、近代的なビルだったからです。15階には展望台まであって、そこにも行ってきました。全ての建物は目線より下にあった、というより地面に張り付いていました。

私は24年前に鈴鹿の住民から埼玉の住民になりました。
24年前の鈴鹿市役所は質素な建物でした。これだけ立派な建物を建てたのだから、24年前に比べたら住民サービスなんか100倍くらいよくなっていると思います。大いに期待であります。

ちなみに1階の住民への窓口あるフロアーにはブラジル人(多分)、シナ人・半島方面人(多分)が相当数来ておりました。鈴鹿市みたいな田舎にも多くのガイジンが住むようになっているようです。
ひょっとしたら、これらガイジンさんのためにこのビルを建てたのでしょうか。

3.14年を実感しました

この14年間日本のテレビはあまり見ませんでした。オハイオではテレビJAPANというNHKのBS2をベースにした放送は見ておりました。
ですから民放は見る機会はありませんでした。この1ヶ月間いろいろな番組をざっと見てみました。

名前・顔を知っている俳優・女優、みんなえらい歳をとっています。みんなおっさん・おばさん、又はおじいさん・おばあさんになっています。
あらためて、「そうだよな〜、、、14年間顔を見ていなかったもんな〜、、、。」、そうです!14年ぶりに皆さんにお会いしているのです。
14年という年月をこれらの人の顔を見ながらあらためて感じています。(もちろんこの自分も含めてその変化を認識ですが。)

4.仕事の効率(1)

会社で出張精算などのためにある銀行のある特定の支店で口座を開くように言われました。
なぜこの銀行のこの支店でなければならないのか、説明を受けた総務担当の女子社員に質問をしたら、「はあ〜あ?」、という例の最近はやりの語尾を上げる声を出されて、何でそんな質問するんや?という態度に出られてしまいました。

これはさておき、この銀行は既に別の支店の口座を持っていたのでこれの解約に行きました。いろんな紙切れに一杯書かされて印鑑をベタベタ押しまくって待たされる事40分、手続きは完了しました。
ところが翌日銀行から電話がかかってきて、間違いがあったので訂正が必要、ついては銀行に来て欲しい、という連絡がありました。

40分も書類をいじくり回した挙げ句、間違いがあったので支店に来い、これにはカチンときました。
「そのうち暇になったら行きます。」、と返事だけはしておきました。
この件を銀行勤務経験のある友人に話したところ、「後で間違いが見つかったら、来いではなく、基本的に銀行から出向くのが基本。」、という事でした。

日本って効率のいい社会だと思っていましたが、この出来事はそのイメージを崩されました。
まあ例外だとは思いますが。ちなみに銀行名は第三銀行といいます。

5.仕事の効率(2)

会社に行き始めて1週間くらい経った頃、ガソリンスタンドに行って給油、ついでに洗車をしてもらいました。
スタンドには自動洗車機があるのですが、自分でやらせてくれません。スタンドの社員が洗ってくれます。そして洗った車の隅々を雑巾のようなもので丁寧に手でふいてくれます。

室内の清掃も頼んであったので、これも掃除機できれいにやってくれます。作業が全部終わるまで15分以上かかります。これでお代は525円です。

オハイオでは自分でお金を入れて自分で自動洗車機に入れて、室内は自分で掃除をするのが一般的なので、あらためてサービスの良さに感激。
でもどこでもここと同じようなサービスなのかしらん、まだよくわかりません。

ガソリンの値段は日本はオハイオの2.2倍くらいですが今のところ走る距離が少ないので、あまり実感はありません。ちなみに通勤距離はオハイオでは毎日往復100kmちょっと、今は20kmです。

06.会社にて

日本の会社というのは細かい規則が山ほどあります。これを総務の担当から一杯聞かされ、その後仕事をする部門の管理課長から一杯聞かされました。「随分いろいろあるね〜。」、「はい、まあ決まりですから、仕方ありません。」、という返事でした。
特に機密管理はオハイオの会社よりかなり徹底しています。ちょっと窮屈ですが、これは大義名分がありますから仕方ありません。

仕事の状況は大体把握できました。仕事というのは、”それが仕事である”、と決めた瞬間から仕事になります。やっている本人は何の疑いもなく、日々その”仕事”をやります。
いろいろと疑問だらけの職場です。

難しい話はともかく、会社の食堂で食べる昼食はやはり非常においしい。
オハイオでの昼食は修行に近いものがありました。食べ物を口に運ぶたびに怒りがこみ上げてくる、と言った感じの時もありました。日本の社員は感謝すべきです。
私は日本で車の運転をするのは実に24年振りです。オハイオに行く前の10年間は埼玉県在住で電車・地下鉄通勤だったので車は持っていませんでした。
オハイオから日本に出張したときに例外的に何度か運転はしましたが、その時はちょっと緊張をしたものです。

帰って約1ヶ月間の運転の感想はやはり道路・駐車場の狭さと自転車・歩行者の飛び出しには本当に気を使います。運転のマナーはオハイオと同じくらいの悪さで、今のところあまり違いは感じません。

一般の生活面ではゴミの分別が大変細かく決まっているのには驚きます。オハイオの生ゴミ・プラスチック・金属、壊れたテレビ、壊れたVTRでも、とにかくゴミ箱に入る大きさであれば何でもドーンと一緒に捨てる事自体が異常な世界だったと思います。

とにかくこういう環境の違いには少しずつ慣れていくしかない訳ですが、北米からの帰国経験者に聞くと少なくとも半年、長い人だと1年くらいかかった人もいるという事です。
私の場合1年コースになりそうな雰囲気なので、じっくり焦らず気長に慣れていこうと思います。
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