10−06−17 さらば、オハイオ
6月17日(木)の朝、いよいよオハイオを去る日です。アパートの最後の片づけをして出発の準備をします。実際に運ぶ荷物はスーツケース4個にPCバッグ2個、それにカミさんの手提げ、これで全部です。
3週間弱のアパート生活で使っていたものは全て廃却です。オハイオでも私達は寝るときはベッドのマットレスの上に日本の布団を敷いて寝ていたのですが、この布団もこの日の朝に捨てました。

アメリカのアパートは段ボール、生ゴミ、プラスチック、金属、電化製品、ゴミというゴミは何でも、どんな大きくても捨てることができます。

テレビでも1台分ドーンとゴミ箱の中に放り込んでおしまいです。ゴミ箱は縦6mX横4m、深さ2.5mくらいあり、これを1〜2日おきに持って行きますから全く問題ありません。便利なものです。

5時半にNさんとYさんが迎えに来てくれ、荷物の積み出しを手伝ってくれ、いよいよ出発です。
6時前のI−270はさすがに走っている車は大変少なく独占状態です。

空港まで25分、この道も何度走った事か、フリーウエーから見えるバッドワイザーの工場が私達を見送ってくれているような気がします。
走りながらカミさんに明るくなり始めたフリーウエーの風景の写真を撮ってもらいます。

空港はいつものとおり4Fのショートタームのパーキングに停め、車からスーツケースを降ろします。ここでも腰の悪い私をNさんとYさんが手伝ってくれ、本当に助かります。
幸いな事にチェックインカウンターは空いており、黒人の職員がチェックインをしてくれます。コロンバスのAAの職員は今まで殆どが非常に感じのいい人ばかりでしたが、この黒人は無愛想。最後なのに少々残念です。

チェックインを済ませ、ゲート入り口横のフードコートの椅子に座って4人でコーヒーを飲みながらしばし雑談です。
Nさん、Yさんとも昨夜は9時頃までTV会議だったとのこと、本当に朝早くから申し訳ありません。

しばらくするとSK、STさんが来てくれ、最後にAさんが来てくれました。
私は出発までにみんなから十分な送別の辞を頂いていたので、空港見送りは限られた方だけにお願いをしたのでした。

7時頃、ゲート入り口の行列は大した事はなかったのですが、ゲートに入る事にしました。
X線検査でスーツケースが引っ掛かり、ビデオカメラを入れたバッグ、PC関連の部品を入れたバッグを取り出し再検査、OK 。

取り出した荷物を再度スーツケースに入れるのは自分でやってくれとのこと、であまり感じの悪い職員ではありませんでした。

手荷物検査後、出口から再度5人を送ります。みんな大きく手を振って見送ってくれています。さようなら。本当にみんなにはお世話になりました。言葉では言い尽くせません。とうとう私も帰国をする事になりました。みんなありがとう。
AA4324便は予定の0810にドアークローズ。出発はいつものとおり33番ゲートからです。飛行機から自分達が住んだダブリンの町が見えるかと思ったのですが9B、9Cシートからは見えず、丁度コースの直下のようでした。

シカゴまでの間、コースによって時々見えるメアリーズビルの町も会社もTRCも視界に入らず、僅かにインディアナ上空でフォートウエインの町が見えたのみで、シカゴの摩天楼横を飛行、シカゴに着陸、G19にゲートインです。

2番ターミナルからシャトルトレインに乗って5番ターミナルまで。JALのチェックインカウンターは行列なしでチェックイン、その後免税店に入ってはみたものの特に買う物もないのでそのままゲートに入ります。
再度荷物の検査がありますが、問題なくパス。

サクララウンジも9時前なのでガラガラです。しばらくするとエンジン工場のYSさんが現れびっくり、一時帰国との事でした。
YSさんもオハイオ13年、オハイオでは最も長い駐在社員の一人なのです。家族は先に日本に帰ってしまい、今は単身赴任です。

ラウンジではオニギリとサンドイッチを食べ、雑誌を読んで時間をつぶします。
11時に搭乗開始、荷物を置き、席に落ち着きます。シカゴから成田のフライト、この14年間で何回やった事でしょうか、最近数年はかなり減ったものの60回は下らないと思います。

今度はいつこのフライトに乗るのか、でも何だか14年の駐在が終わって日本に帰るという気がしません。いつのもの出張のような気がします。でも今日のフライトは出張ではありません。

予定どおり11時30分にドアークローズ、とうとう12時に離陸をしました。飛行機はグングン高度を上げます。窓からはちらとなつかしいシカゴの摩天楼が見えます。

目をつむると14年前の1996年6月12日の朝の事を鮮明に思い出す事ができます。あの時もいいお天気で爽やかな気候でした。

さあ、これからアメリカ駐在だ、心の中は不安と期待で一杯でした。
生活はどうなるんだろう、仕事はうまくいくのか、電気代ってどうやって払うんだろう、そんなとんちんかんな事までぼんやりと考えながらのシカゴ到着でした。

そして2010年6月17日の今日、シカゴを離陸して日本へ。

帰任前の2ヶ月間くらいは本当にいろいろな事がありました。家の売却、家財の整理荷造り・送り出し、電気・ガスから始まって携帯電話などの生活インフラの解約、銀行口座の変更、その他山ほどの手続きがありました。

仕事も最後までガタガタした事があって気を揉みました。
同じ職場の駐在員による送別会、オハイオ人達による送別会、多くの取引先の方々、それに個人的な付き合いの方々との送別会。最後の3週間くらいは連日に近かったような気がします。これら、全ては終わりました。

14年5日間を過ごしたオハイオはとうとう私の第二の故郷になってしまいました。数え切れない、持ちきれない思い出を持って帰ります。

さらばオハイオ! そしてアメリカ!
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