10−02−27 日本との違い |
2日目(25日)の朝、朝食を電話で注文。ヨーグルト、果物、ジュース、それに小さな小さなソーセージを2個。果物、ジュースは残しました。食欲は全然ありません。 |
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午後に3時にセラピストが再度やってきて、歩行練習。今度は歩行補助器なしで歩きます。やはり薬を飲んだせいか、痛みはあまりないのですが、気分は全く優れません。 夕方4時頃にトイレに行こうとしましたが、今度は立てない程の激痛が下肢を中心に襲ってきました。トイレは部屋の中にあるので片道10mくらい。もうトイレで立っているのが精一杯。それに猛烈な悪寒、歯がガチガチなっております。これに加えて肝心のおしっこが出ないのです。 尿管が腫れているのか、どうなっているのかわかりません。この苦しさ! 夕食は殆ど摂れず。6時に傷口のガーゼの取り替えです。看護婦さんの話では傷口は異常はないとのこと。 寝ていても腰と下肢全体が猛烈な痛みに襲われています。本当に耐え難い痛さです。看護婦さんを呼んで、痛み止めをもらいます。 痛み止めを飲むと痛みは軽減されるのですが、切れ始めの頃に再度痛みと強烈な何とも言えない不快感が襲ってくるのには参りました。 ![]() 看護婦さんに頼んで明日のドクターの回診の時にテレビ通訳の依頼をしました。 この病院は24時間TVによる通訳サービスを受ける事ができるのですが、看護婦さんはこれのテストをやってくれました。 病室は個室で、通訳のための専用テレビが据え付けられているのでした。 夜の10時にトイレ、もう殆ど死にものぐるいです。耐え難い痛み、歯の根が合わない程の悪寒、それにおしっこが出始めるまでに1分以上かかるのです。もう立っていられません。殆ど気絶状態です。 このあと翌日の朝までは思い出すだけでも恐ろしいものでした。 数時間ごとに痛み止めを飲むのですが、腰と下肢の耐え難い痛み、これを地獄と言わずして何というのでしょうか。 「ドクターはいつも何時頃くるのか?」、と聞くと朝の6時半〜7時半には来ると言います。 「私はもう1日、入院させてもらおうと思っています。この状態で退院なんてとてもムリ。」と言うと、「わかりました、ドクターに相談して下さい。」、という返事でした。 看護婦さんは夜中でもいろんな薬をもってきます。痛み止め、便通剤(痛み止めを飲むと便秘になる)、化膿止め、その他、ウンウン苦しんでいてもこれらを飲ませます。 ドクターは予定より大幅に遅れて回診に来ました。昨夜のからの状況は、看護婦さんが報告してくれてあったようでした。「もう1日このままいてはどうですか?」、ドクターはあっさりと入院を1日延長する事を提案してくれました。 この時点で、手術後約50時間でした。 (結局TV通訳システムは使いませんでした。) |
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この日の午後(26日、手術は24日)、看護婦さんが来て、「便は出ていますか?」、と聞きます。まだ入院して1回も出ていないと言ったら、座薬をドーンと入れられて、小地獄を作ってくれました。 つまり、ものすごい効き目の高い座薬を入れたため、それから数時間の間に3回もトイレに行かなくてはならなくなってしまったのです。 ![]() 固形物を殆ど食べていないので、よく考えたらそんなに便は出る訳がないのです。 夕食はミートボールの入ったパスタ、フルーツ、ジュースという、やっと食事らしい食事を摂ることができました。 しかし夜になると腰の痛みと下肢の痛みはやはりひどく、付き添いで来ていたカミさんがオロオロするほどでした。 この日はまたセラピストがやってきて、今度は階段の昇降の練習をしましょうという事で、3階と4階の階段の使って練習をしました。 何でこんなにせっかちに歩かせるの?何だか悔しさみたいなものがこみあげてきました。 27日、とうとう退院の日がやってきました。日本で同じ手術を受けたHさんの話によると、日本では手術後1週間は安静、退院は”4週間後”だったそうです。 ここオハイオでは手術後普通は”48時間後”で退院、私の場合でも”72時間後”で退院なのです。 退院の日は退院後の注意がびっしりと書かれたメモと、痛み止めの処方箋をもらいました。 強烈な悪寒と、腰と下肢の耐え難い痛み、おしっこが出ない、という状況の中、会社のAさん、Sさん、それにYさんの助けを借りて午後2時頃自宅に帰りました。 自宅療養の開始です。 |
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