6月30日からの7泊9日のイタリア旅行、いつもの事ながらあっという間に終わってしまいました。
2週間(16連休)という今までにない長期の休みが取れたお陰で、グループツアーの日程に合わせる事ができ、行くことができました。
会社などの周りの人から聞かれるのが、「イタリアですか?どこが一番よかったですか?」、という質問です。
答えは実は、観光した各都市はそれぞれがあまりにも個性的で、比較ができないのです。敢えて言うと、ローマ見学がもう1日あればなー、と思いました。1日だけでは殆どピンポイントだけになってしまいました。

ローマは古代遺跡の中に近代社会が申し訳なさそうに住まわさせてもらっている、という感じでした。
フィレンツェ、シエナ、ミラノのような近代的大都会でさえ、中世の建物に囲まれており、それらをまだ使っている、といううところは日本人の感覚からすると驚くべき事だと思いました。
日本で言うと、室町時代とかの建物をオフィスとか商店に使うだけでなく、今も住んでいるという事になります。
lこれは木と紙と泥でできた日本の建物は長持ちしない、石とレンガでできた建物は物理的にいつまでも残る、という違いが大きいのは当然としても、それ以外の要素もありそうな機がします。
イタリア(これはイタリアだけではありませんが)の教会は何百年もの年月をかけて建築され、それが残っています。
日本で教会を対比するとお寺、神社があります。
神社の場合、これの総元締めの伊勢神宮は、20年ごとに内宮と外宮の建物・橋などの殆どを交互に作り替えて、正殿を入れ替えます。
つまり20年ごとに新築を繰り返すのです。日本の神社はあくまでもいつも”新”でなくてはならないのです。

日本は昔から良質な木材に恵まれていたとか、気候風土の違いとかいろいろとありますが、この思想というか考え方の違いは非常に興味深いものがあります。
それとどこの町に行っても町の中心は教会です。
ヨーロッパ人が移住してきたオハイオもこのパターンを引き継いでいます。
町の中心には教会があって、雑貨屋があって、レストランがあって、その外側に住宅があります。そして住宅の外れにお墓があります。
この町のレイアウトの作り方は、誰かが法律で決めたとした思えないくらいどこへ行っても似ています。
イタリアの中世の町が全くこれと同じレイアウトです。
つまりキリスト教文化圏の国では昔も今も教会が人々の暮らしの中心である、という事で、1000年以上変化がないという事なのです。
ですから今回私達が”観光”した教会は過去の遺産ではなく、現在も昔と同じように使われ、生活に密着している、”実用”品なのです。
現在も残っている立派な中世の城壁と、昔の教会をごっちゃにしましたが、教会は遺跡ではない、という当たり前の事に今回の旅行で気が付いた次第です。 |