09−03−21 送別の風景

4月は人事異動の季節です。オハイオは私の会社でも世界中で一番駐在社員の多いところで、何名かの方が日本に帰任、そして日本から赴任してきます。
昨日の金曜日の夜もエンジン工場に勤務していた、Nさんの日本帰任の送別会がありました。

Nさんは私が来てから2年少ししてからオハイオに見えた方で、足掛け11年のオハイオ勤務を終えて日本に帰る事になりました。この間ずっと単身赴任、恐らく海外単身赴任で11年間近くというのはさすがにあまり例のない事だと思います。

送別会の場所はエンジン工場近くのゴルフ場のクラブハウスを借りて行われました。私の事務所から70km程離れたところにあり、高速道路を使えないので行くのに1時間ほどかかります。
私のところからはAさんと私の2名が参加、Nさんの長年のオハイオ勤務のお礼をさせて頂きました。

この日はNさんと同時にHさんという若い方も帰任されるので、2名の送別会でしたが、Hさんは2004年に赴任をして5年弱で帰任するという、駐在社員としては標準的な長さのオハイオ勤務をされた方でした。
2004年と言えばほんのこの間じゃん、その人が帰任?!エーッ、
そうか2009年マイナス2004年は5年だもんなー、そうだよなー、、、と、「光陰矢のごとし」、を実感したりしたのでありました。

送別会はエンジン工場の皆さんの手作りでいろいろと工夫されており、ちゃんと日本式に大きな垂れ幕とかご本人の経歴、オハイオでの振り返りなどはプロジェクターを使って紹介されるという、手の込んだものでした。

また後半にはお二人の不要品(とは思えない高価なものもあった)のオークションがあり、売り上げは日本人学校(日本語補習校)への寄付として理事のUさんにその場で現金が渡されました。

Nさんには10年間いろいろとお世話になりましたが3月31日で会社を退職、ある関連会社に転籍をされその会社のオハイオの現地法人の社長としてまた見えるという事になっており、日本には退職手続きと新しい会社への入社手続きに行くため、という忙しいスケジュールのようでした。
という事は引き続き、オハチョン(オハイオ単身生活)が続く訳です。

もう一人の帰任者のHさんは2004年当時オハイオ勤務を命じられて、「エー! 英語も得意じゃないし、、、」、と上司に不安を言ったところ彼は、「心配無用、行けば何とかなる。」、と言われて来たそうです、
でも実際来てみると、「何とかならなかった。」、そうで最初は苦労をされたと言って見えました。

Hさん、まだ30代なので日本に帰るのは”リフレッシュ”みたいなもので、直ぐにまた海外に出られる事でしょう。
行き先は再度のアメリカ以外に、カナダ、中国、タイ、どこでもありまっせ、と早くも次の候補地の話が出ておりました。

今日の朝は私のところに見えるHさんが、朝7時15分のフライトで日本に帰国する日だったのでその見送りに行ってきました。
朝7時15分のフライトという事は、1時間半くらい前には空港に行っていなくてはならないので、4時半に起きて、5時10分くらいに家を出て、空港に。

空港のチェックインカウンターのフロアーに行って驚きました。人でごった返しております。そうか〜、来週1週間は学校が休みなので、みんな子どもを連れて旅行に行くために空港に来ているのでした。
会社で私の隣に座っているオハイオ人のDさんは昨日の金曜日から来週1週間の休みをとり、奥さんと息子3人を連れてワシントンDC、ボストン方面に旅行をすると言っていましたっけ。

Hさんは会社でもつき合いが広く、また日本語補修校の理事もやっていた関係でそれを通じてのつき合いも広く、たくさんの方が見送りに来て見えました。

こうやって見送りに来たお陰で私も久し振りに青を合わせる人も何人もおり、「やあ久し振り!」、なんて挨拶を交わしておりました。

久し振りに会った人の中でSGさんは私が日本の工場にいたときに1981年度の新入社員で入社してきた人で、確か2年ほど前にオハイオに来たのでした。

SGさんは今から家族を連れて、サンディエゴで行われているWBCの試合の応援に行くのだという事で、”侍ニッポン”とか書き込んだ、でっかい日の丸の旗を持ってみえました。”

同じ職場のNさんは、今年はいろいろと超多忙になるので家族サービス、という事で見送りのあとラスベガスに行くと言ってみえました。

「わかった!一財産稼ぎに行くのかい?」、とからかってやったら、「小学生と中学生を連れてギャンブルはできません。」、という返事でした。

それ以外にTNさんに会ったのもひょっとしたら1年ぶり?という具合でした。
雑談をしていたら私のこのHPの話になり、「SHINさん、ドイツ旅行の件ですけどドイツのワインは甘いほど高級なのです。」、という事を教えてくれました。

確かにヨーロッパ旅行記でリューデスハイムで試飲したワインは「甘いものばかり」、というコメントを入れました。
そうか〜、それは知らなかったなあ。ちなみにTNさんはドイツに駐在をしていてそこからオハイオに転勤をしてきた方でした。

そんな事をやっているとやがて時間になり、Hさんと家族の4人は見送りに来ていたみんなにご挨拶をされ、セキュリティー検査の方に向かわれました。Hさん、オハイオ勤務ご苦労様でした。
私のPCは約8年以上前に自作をしたものです。CPUはP3ーIGHZ、メモリーは1GBという代物でタワー型のケースに組み込んだものでした。ディスプレーは何とブラウン管タイプで14インチ。

皆に言わせると’化石’PCという事になります。
そんな訳で昨年の暮れにDELLのノートPCを買いました。DELLにした理由は一番安かった、それでけでした。現在非常に快適に動いています。

カミさんのPCも同じく8年以上前に自作したPCでこれはセレロン500MHZ、メモリーは512MBと言う代物です。
これは自分のPCを自作しているうちにいろんな余計な部品を買い込んでしまい、じゃもう1台作ってしまえ、という事でいつの間にかできたPCです。OSはWINDOWS−MEです。

このPCが最近エラーが頻繁に出るようになりました。それで思い切ってこれもノートPCに切り替える事にしました。

12月に買ったノートPCをカミさんにプレゼントし、新しく買うノートPCは私が使うという事でカミさんとは交渉が成立しました。
PCは3週間ほど前にDELLにオンラインで注文、先週自宅に届きました。

OSはXPとVISTAの両方が付属しており、XPを使う事にしました。と言っても予めインストールしてあるので。何もする事はなく、日本語に切り替えるためにチョコチョコと設定をいじくったのみでした。

ところがトラブルが出ました。

トラブルとはオーディオが外部スピーカを使った場合、蚊の泣くような音量でしかならない事でした。12月に買ったPCはばっちりです。
いろいろとやってみましたが、結局はジャックにオーディオが出力されていないという単純な電気回路のトラブルと判断しました。

さ〜て、、、と。このPCを返品しなくてはなりません。別なものに交換という事も考えましたが、ちょっと仕様を変更したい点も見つかったのでこれは一旦返品をして、再度新しく別な仕様で注文をする事にしました。
返品の手続きは妙にトラブッっても困るので、職場の通訳のMさんにお願いをしました。

「SHINさん、返品って簡単にできるのですね。」、とあっという間に手続きを終えてくれました。
フリーダイアルで言うのは、「返品したい。」、それだけだそうで、直ぐに返品受付のナンバーを教えてくれ、同時にメールでUPS(アメリカで最も有名な宅急便の会社)の住所ラベルが送られてくるので、印刷してそれをはさみで切って、PCの元箱にぺたっと貼ってUPSの窓口に持って行くだけなのです。

返品先の住所を書いたり、何だかんだする必要は全くありません。今日のお昼頃この箱を近所のUPSの窓口に持っていくとさっと受け取って、それでおしまい。
送料の支払いは?送料は着払い(保険も含まれている)なので、私は何も払う必要はありません。

しかし簡単ですね。DELLから返品のお金が振り込まれたら、新しく再度注文をしようと思っています。
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