09−03−06 やってはいけない質問

オハイオもさすがに3月になると気温が緩む日が出てきます。金曜日もそんな日で、日中は10℃を超えていたと思います。
でも3月、時には4月になっても雪が結構降ることがあるので、本格的には4月下旬から5月にならないと暖かくなった〜、という実感は沸きません。

今週は火曜日の早朝のフライトでワシントンDCに出張。前日の月曜日は日曜日に降った雪のせいで飛行機の便がメチャクチャに乱れており、車で行こうかという話も出たほどでした。コロンバスからワシントンDCまでは600kmくらいで6時間ちょっとで行けるところです。

出発時間は07:30なので5時15分に家を出て、チェックインを終えてゲートに入ったのが6時15分。この日も気温は−8℃くらいだったと思います。
手荷物検査のところで、日本から出張していたOさんとバッタリ。これから日本に帰るという事でDC行きで一緒に行くAさんと3人でしばし雑談。

私はDCには観光で4回ほど行っているのですが仕事で行くのは始めてで、しかも飛行機で行くのも始めて。飛行機はコロンバスを出て1時間で空港(ドナルド・レーガン・インターナショナル・エアーポート)に到着。飛行機からは遠くに国会議事堂とか、ワシントンモニュメントが見えるという便利な位置。空港直結の地下鉄に乗って20分でドーンとDCのど真ん中に行けます。

地下鉄に乗りながら、今年の春はポトマックリバーサイドの桜を見に来ようと思っていたのですが、車で行くより飛行機の方が便利かな〜、やっぱり今までと同じように車かな〜、な〜んてDCの花見の事を考えておりました。

DCでは会社の会議室で夜の9時ちょっとまで、いろいろと打ち合わせをやり、結構疲れました。ホテルの予約でちょっとしたミスがあり、予定していたホテルに泊まる事が出来ずオフィスのビルの地下にある地下鉄にのってXXXまで行くというハプニングがこの日の最後にありました。Aさんも、もう一人の同行者であるオハイオ人のMさんもうんざりでした。

翌日は午前中は、ある政府機関のオフィスに行って報告・打ち合わせをやりました。自分が何日もかけて作った何年も前の資料を初対面のアメリカ政府の人間が持っていて、その中身の質問をしてくるって正直、なんか不思議な気持ちがしました。

報告・打ち合わせは、ずしっと宿題をもらって1時間半ほどで終了。アーア、です。
でも肌で感じる役人の雰囲気というか、何とも言えない威圧的な態度というのは日本もアメリカも同じでした。

今までDCは私にとって博物館とかがある観光地の一つでしたが、今回は仕事をする場所に変わり、ちょっとだけ別の印象を持ちました。

DCの地下鉄は基本的にボストンとかNYの地下鉄と同じです。車内は掃除が行き届いてうなくて汚いし、ホームは遠くの人間の顔が見えないくらい聡明が暗いのも同じでした。
宿泊したホテルはペンタゴンの近くで朝はオッサン、オバサンの軍人さんの通勤姿を結構見掛けました。

帰りの空港までの地下鉄で隣に迷彩服の小柄で体格のいい女性が座っていたのでAさんに、「この隣の女性兵士、階級は何だと思う?」、と聞いたところAさんはちらと見て、「ウン、こりゃ新兵さんだね。」、という返事。
スニーカーを履いて、地下鉄の座席にちょこんと座っている若いオネエサン、少佐の階級章を付けておりましたっけ。

空港に入り、ゲート横のテーブルでAさんとオハイオ人のMさんと私の3人でサンドイッチを食べながら時間を潰しているとMさんが、「Aさん、今度はホテルの予約私ががやります、、、。」、とぼそっと言ったので私とAさんは大笑い。実はホテル予約のちょっとした手違いの原因は、Aさんにあったのでした。

そう言えば昨日は昼がサンドイッチ、夜は遅すぎてレストランが閉まっており、ホテルのラウンジでピザとビール、今朝は寝坊してコーヒー1杯、昼はサンドイッチ、夜は空港でサンドイッチ。何か、この2日間、サンドイッチばっかり食べています。これじゃ健康に悪いよなー、、、。
でも仕方ありません。忙しいときはこんなもんです。
今日の午前中はある取引先部品メーカーの7名の方と会議でした。7名の内訳は日本人4名、オハイオ人3名。
こちらからは日本人2名、オハイオ人3名という出席者です。

会議の中身は結構面倒な内容の費用に関する交渉、決済です。
詳細の事前内容確認は2週間ほど前に取引先の日本人とやってあり、私は中身は十分に承知しています。最近は希ですが、日本と同じように本会議の前に事前整合と称して、日本人だけで打ち合わせをやる事があります。

これは日本社会で一般的に言うところの”根回し”というもので、実はオハイオ人の多くは日本人のこのやりかたをよく知っており、かつこれが日本人の間ではスムーズに物事を運ぶ事も知っています。

でも自分たちの知らないところで、自分たちのが知らない事を話し合っているというのは、彼らにとってはいい感じはしないのは事実ですから極力やらないようにしていますが、やはり状況・内容によってはやることもあります。

会議は10時30分に始めて、予定より1時間オーバーの午後1時半に終了しました。
1時間遅れた理由は事前の打ち合わせになかった内容に私が触れて質問をしたからです。取引先の方とは決定の方向性はこれでいこう、という事で合意をしてありましたが、別の切り口であえて質問をしてみたのです。

「、、、、とはこういう事ですか。」、「、、、、はこういう解釈でいいのでしょうか。」、という質問というより確認に近いものでしたが、「、、、、、、、、、」、答えがないのです。
私が確認した内容は予め方向性が定めてある結論から逆算すれば、答えは難しくないのですが、みんな黙って返事をしません。
取引先の方々は恐らく社長の決裁をもらってそれを持ってみているので、日本人もオハイオ人もその決裁とは違う結果になるのを恐れたのか、全く検討がされていなかったのか、それとも決まっている内容に質問・確認をした私が悪かったのか、30分くらいゴタゴタもめました。

「、どうですか、これはこういう事ですね。」、と答えを導いたのですが、「、、、、、、」。最後には、「イヤー、これは私が言うことではないのですが、XXXというお答えであればいいのですがネー。」、とまで言っちゃいました。
やはり事前に大筋を決めた事を蒸し返すような可能性のある質問はしない、という日本的ルール(多分)を破った私が悪かったかも知れません。

オハイオ人は会議はガチンコ相撲(議論し尽くす)をする場と捉えおり、会議は案件を決定する唯一の場”と解釈しています。
これに対し日本人はどこかで決定された結果を報告する場”、になっている場合が多いのです。

私の会社でも会議で案件の議論を始めたら、「なんだ、まだ決まっていないのか。決めてからもって来て欲しい。」、とはっきり言う人もおりました。

この日米の違いと溝はなかなか埋める事ができません。確かに重要な事を会議で決めないで、別室で決めるというやり方が一時期はびこって、この不透明性に意義を唱えたオハイオ人トップがおりました。

私がオハイオ人の立場であれば、同じ事を言うかも知れません。
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