08−12−26 メキシコ旅行−2
メキシコは先住民文化、最初の征服者のスペイン文化、ほんの少しのフランス文化、そしてその後の征服者のアメリカ文化の4つが入り交じった独特のものです。
1日目はメキシコシティーと古代都市テオティワカンの観光です。限られた時間で効率よく回るために日本語で行われるグループツアーへ参加をしました。

朝食はコーヒーショップでパンとコーヒーを買って簡単に済ませました。コーヒー2カップとパン2個で60ペソ、約4ドルですから安い感じです。

ツアーの人数は全部で15名くらい、大型の観光バスにこの人数ですから、ガラガラでゆったりです。

先ずレフォルマ通りを通って独立記念塔の前でちょっと下車、旧市街を通ってソカロ広場に向かいます。

メキシコのクリスマスは12月25日だけではなく1月6日まで続くそうで、町の中はバケーションの真っ盛り。お金持ちはアカプルコとかカンクーンに出かけているそうです。

街中を見て最初に気付くのは警官がやたら多い事です。どこに行ってもメキシコシティーは警官、警官、警官です。どうしてこんなに警官が多いのかガイドさんに聞いてみたら、失業対策で政府が雇用しているからだそうです。

メキシコではイタリーと同じく警察もいろいろとあって交通警察、観光警察、刑事警察、経済警察、憲兵、防衛警察などがあって、どれがどの警官なのか直ぐにはわかりません。

女性の警官も多く体格のいい人が目立ちます。主要な建物のあちこちには自動小銃を持った警察(軍かもしれませんが)がうようよ立っています。

警官がこれだけ多いから街の中は至極安全と思ったらこれが大間違いで、メキシコでは警官は最も信用できない危険な連中だというのです。

ワイロを要求するとかは序の口で、強盗に早変わりするのがしょっちゅうあるので、連行されそうになったら即お金を渡して釈放してもらわないと大変な事になるケースがあると言っていました。

でもメキシコの名誉のために付け加えますと、メキシコ防衛連邦警察だけは超精鋭部隊で現在メキシコ国内の麻薬組織と血みどろの闘いをやっており、警察幹部も何人か虐殺されています。

そんな訳で日本も現在失業者問題で悩んでいるのでメキシコのように失業対策で思い切って警官の人数を増やして治安回復に努めてはどうかなー、なんてメキシコのお巡りさんを眺めながら思ったりしておりました。もちろん汚職ワイロに汚染された警察では元も子もありませんけど。
メキシコシティーはスペイン人が征服するまでは大きな湖があったところで、そこに浮島(?)を作ってアステカ帝国の首都が栄えていました。つまり今のメキシコシティーはこの湖の水を抜いて、そこに都市を造った訳で深刻な地盤沈下に見舞われています。
バスの車窓から見える古い建物はいずれも例外なく傾いており、オイオイ大丈夫かい?という感じです。

建物自体が3mくらい沈下して地盤そのものが2mくらい沈下しているところもあり、2階が地面の高さになっている建物もたくさん見る事ができました。

ですから道路とか土地全体もあちこち波打っており、平らなところで生活する事に慣れている我々にとってはかなり違和感があります。

市内は16世紀から18世紀までメキシコを支配していたスペイン人によって建てられた壮大な建物が目立ちます。
バスを降りてゆっくりと見学して写真を撮りたいのですが、スケジュールがタイトなのでそうはいきません。

クリスマス休暇中なので市内の交通はかなりスムーズで名物のスモッグもありません。

今回のグループツアー1日目のガイドさんは吉田さんという40代後半くらいの方で、説明も知識も抜群でした。

今までオハイオに来てからいろんな国のグループツアーに10回以上参加しました。
2回を除いてAAAのガイドさんばかりで、みんな知識豊富でテキパキとやってくれました。

2回のランクCCCは案内はそっちのけで、夜のオプショナルツアーの販売に専念したガイド、もう一つは予め予約してあったツアーのキャンセルをさせ、自分が個人的に手配してるツアーの売り込みを当日の朝にやったガイド。
いずれも悪質でした。ツアー会社のJTBには抗議のメールを出しましたが、曖昧な返事を受け取ったのみでした。

メキシコは1520年にスペイン人によってアステカ帝国が滅ぼされて植民地になりその後1820年に独立をしますが、今度はアメリカが占領、テキサス、ニューメキシコ、カルフォルニア等を取られて、次はフランスに占領され、20世紀の初頭に何とか安定政権になった、という日本人にはわかりにくい歴史があります。

これらの歴史をよく知っておかないと、いろいろな名所・旧跡を見ても殆ど意味がなくなる訳ですが、残念ながら私も行く前に一生懸命頭にメキシコの歴史を詰め込んだものの、悲しいかな中途半端でツアーの価値半減でした。

なぜヨーロッパの各国はかくも植民地を得ようと世界中を荒らし回ったのか、日本はナゼこの嵐にかろうじて巻き込まれなかったのか、そして明治維新はナゼ起きたのか.、、、。

そういうところの歴史が頭の中で整理されていないとせっかくの高価なツアーが只の物見遊山に終わってしまう、というのを今回は痛切に感じました。

付け刃の知識と、ガイドさんの説明で改めてわかったのですが、スペイン人(ヨーロッパの国々)がメキシコを征服した方法は、”弓と槍”だけではなく、”聖書”と一体になって行われたという点です。

この武力とキリスト教の組み合わせでメキシコを始め、中南米を征服していったという事実、私もは頭でわかっていたのですが実際に深くは考えた事がなかったので、今回の旅行で、「そういう事か、ガッテン!」、という次第でした。

わかりやすく言えば、「これらの国は軍隊と宣教師を巧みに組み合わせて、物理的、精神的に他民族を支配していった」、というのが歴史上の事実です。

日本も15世紀から16世紀にかけてこの危機に見舞われたのですが、当時の為政者であった織田信長、豊臣秀吉、徳川家康は、肌でキリスト教の危険さを感じてこれを徹底的に排除した歴史はきちんと知っておくべきだと思いました。

それとメキシコの先住民の事を”インディオ”と言いますが、これは蔑んだ言葉だそうで、無知無教養・貧乏人の代名詞で、逆に”白人”という言葉は褒め言葉で、白人じゃない人にもお世辞を言う場合は”白人さん”と呼びかけるそうです。これは正直、全く知りませんでした。
ツアーの後半は古代都市ティティワカンに行きました。ここはメキシコシティーからバスで1時間くらいで、有名なピラミッドが2つある事で知られています。
この古代都市遺跡の手前でまず食事です。ガイドさんが言うには、いろいろなところに日本人観光客を連れて行ったけど、腹痛を起こしたり、イマイチののところが多かった、いろいろと探したところ今から行くところが、一番問題が起きていないところです、という説明がありました。

そんな訳でこぎれいなレストランに案内され、ここでバイキングスタイルの食事をしました。
バイキングスタイルのレストランなので、飛び切り上等な食事という訳にはいきませんが、まあまあ食べることが出来ました。

メキシコの3代食物とはトウモロコシ、とうがらし、インゲン豆だそうで、これにあえてもう一つ加えるならトマト。

動物性タンパク質は牛、羊の肉で、海岸地方の人たちは魚もよく食べます。残念ながらクジラを食べるという話は聞いておりません。

さてビールで流し込んだメキシコ料理、ここから5〜6分でティオティワカンに到着です。
説明によると1世紀から7世紀まで栄えてピーク時には人口20万人以上の都市になっており、その後急に人がいなくなって今のような姿になったとされています。

この文化は文字を持たなかったため、いろいろな詳しい事を調査するにも非常に難しいそうです。
まあ文字といえば日本人も文字を持っていなくて、中国から漢字が伝わって、その後に仮名が作られた訳で、やはり文字を持つ文明というのはすごい事だったと思います。

移籍の周りには復元された当時の建物とかがあり、堅牢な造りであった事がよくわかります。
肝心のピラミッドは2つあり北には月のピラミッド、南には太陽のピラミッドがありそれそれ数百メーター離れています。

私達は月のピラミッドの途中まで登ってみました。途中までというのは、頂上まではナゼか途中でロープが張られ、上まで行くことができなくなっていたからです。

結構暑く、湿度が低いので汗をかくという訳ではありませんが、喉が渇きます。ホテルからペットボトルを持ってきたのは正解でした。

メキシコは水道の水は飲めません。飲めない事はないのですがすごい硬水なので飲まない方がベターという事のようでした。

ピラミッドの上(正確には途中)から南を見ると死者の道がずっと続いており、なかなかの眺めです。死者の道とは、後になってアステカ族がここを発見した時にこれらの遺跡を王の墓と思ったこと、それに付近から多くの遺体が発見された事によるそうです。

ここはメキシコシティーから近いという事もあり、訪れる観光客も多いところでこの日もかなりの人が来ておりました。言葉は殆どがスペイン語、たまに英語が聞こえる程度でした。

これだけのものを作って、人口20万人以上もの都市があったのにナゼ急になくなったのか、本当に不思議です。
太陽のピラミッドにも登ろうと思ったのですが、集合時間の関係で下から見上げるのみで済ませました。

太陽のピラミッドから東に道があり、これを通ってバスの駐車場に向うと道の左右にはずらっと観光客目当ての土産物屋が並んでいます。

1件の店に入ってブレスレットを物色してみたところ390ペソ(30ドル弱)とあります。店のおばさんが満面の笑みで近寄ってきて、買え買えと言います。

冷やかしで入った店なので、「ありがとう」、と言って店をでようとすると後ろから、「10ドルでどうだ〜?!」、と大きな声でそのオバサンが叫びました。
イッキに3分の1の値段の提案でした。交渉すれば5ドルくらいにはなったかも知れません。
ティオティワカンの見学を終えて再度メキシコシティーに向かいます。目的地はメキシコ国立人類学博物館で、宿泊しているホテルから1kmも離れていないところにありました。
ここに来ただけでメキシコに来た甲斐があったなー、と感じるくらいに大規模で見応えのある博物館でした。

ただし展示説明はスペイン語のみで英語のないものも多く、また事前の知識がないと誰かが言うようにファニーな石ころが並べてあって、石像の顔を見てプッと吹き出すだけの博物館という事になってしまいます。
やはりこういうところはガイドさんがいるツアーのいいところで、ポイントだけを1時間という短時間でさっと連れて回ってくれました。

マヤ文明とか、メキシコの歴史、文化の成り立ちなどについてある程度予備知識がないと、それぞれを理解するのは難しいところですが、眺めていろいろ想像するだけで飽きない場所でもありました。

入り口にはやはり観光警察がおり、金属探知器を使って持ち物を検査していましたす。入り口の外側には自動小銃を持った警官が警備していました。

ここの博物館は展示品の多分100%が”メキシコで見つけた”、歴史的・学術的に価値のあるもので、アメリカとかイギリスとかの博物館とは根本的に違うと思いました。

アメリカの博物館は確かに立派です。私はボストン、ニューヨーク、シカゴ、ワシントンDCの主要な博物館・美術館は全部回りました。

でも展示品はどっかからかっぱらってきたもの、騙して盗んできた物、つまり略奪の成果を陳列している訳で、その国から合法的に文化財持ち出しの許可を得て展示しているという事では決してありません。(彼らは購入してきた、と言いますがそうでない事はスミソニアンにある膨大な日本コレクションを見れば一目瞭然です。)

ま、それはともかくゆっくりと全部を見るとなると丸1日は必要ではないかと思える規模でした。

この日のツアーはここで終わり、ホテルに帰ったら夜の6時30になっておりました。充実した1日目の観光でした。
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