08−07−19 東京での暇つぶし

今回の日本滞在、いろいろな目的があります。実は一番の楽しみは帰国休暇。これは私の会社の海外駐在社員に認められた1年に1回の日本での休暇の事ですが、大体2週間くらいが目安です。
2週間とは言うものの、やはりそれだけ休むという訳にいかず、日本に行くとそうしても会社のあちこちに顔を出して雑用を済ませる事になります。

結局は仕事のスケジュールの間に休みを頂く訳ですが、どうしても動かせないプライベートの用事とかはもちろんそちらを優先します。
今回も主な滞在先は東京になってしまい、ぽっかりと1日、又は半日が空いたりする事があります。そういう場合は私は躊躇なく、7つ道具を持って東京ぶらり旅に出掛けます。7つ道具とは次の道具です。

・携帯電話:これは日本では職場で借りたりしていましたが、最近は空港で借ります。国際電話も使えるように契約をしておきますが、みんなの前で使うのが恥ずかしいくらい相当なボロ電話です。

・携帯ラジオ:AM/FM/TV(音声のみ)が聞ける超小型ラジオ。イヤホーンを耳に入れてFMのおしゃべりとかニュース、音楽を聞きながらブラリブラリします。

・デジカメ:2月ほど前にリニューアルをしました。ポケット型のIXY95ISという、なかなかの優れものです。これで何でも気になったものは撮影してしてしまいます。予備のバッテリーは必須です。

・IC録音機:これも超小型です17時間も録音できます。何を録音するかと言いますと、自分の声です。つまりメモ代わりに使います。紙とボールペンを引っ張り出さなくてもメモがとれます。便利です。

・文庫本:東京ブラリ旅にふさわしい、故杉浦日向子女史とか石川英輔さんとか、たまに小沢昭一さんとかが書いたエッセー集とかです。この手の本はびっくりするくらいに一杯あります。

・地図と地下鉄路線図:これはホテルのカウンターでもらったものです。カウンターでお願いすると、結構便利な詳しい都内の地図をくれます。

・その他:メモ帳・ペン、予めWEBなどで調べ物をした場合はこれの画面コピーなど、ティッシュ、ハンカチ、チューインガム、行く場所によっては小型双眼鏡。あとは少々の現金とクレジットカード、以上です。

何の事はない、7つ道具とは普段使っているものばかりです。これらを小さなバッグに入れて肩に引っかけます。服装はだらっとした格好はダメです。ちょっとした店に入っても違和感のない服装にしておきます。
重要なのは靴で、革靴とかはいけません。裸足、サンダルもダメです。かなり厚手の靴下をはいて(これが重要)ウオーキング用のスニーカーをはきます。

以上です。この日は深川方面に行ってきました

朝飯からスタート

ホテルの朝食ではなく、この日は牛丼屋でこのようなメニューを頂きました。(写真は別の日に撮影)
これで500円ですから文句なしにお得です。
きょうは軽くてイイカなー、と思ったときは喫茶店でコーヒーとサンドイッチを食べます。
日本の特徴として注文してから出てくるまでがメチャ早い!
この牛丼屋、何人かのお客を時計で計ってみましたら、全て注文から2分30秒前後でテーブルにドーンと出ていました。
しかも店員はたった2人!これで注文を聞いて、作って、持ってきて、レジもやります。オハイオから日本に来ると、こういう事まで新鮮に見えますから不思議です。
地下鉄半蔵門線、清澄白河駅

何だか長ったらしい名前の駅です。土曜日ですからごらんのようにがらんとしています。

しかし日本の地下鉄って何でこんなに清潔で明るく、きれいなのだろう。
ボストンもNYも地下鉄は薄暗く、乗り心地もよくありません。

切符の自動販売機、乗り越し自動精算機なども本当によくできています。
でも席が狭すぎます。最近は一人のスペースを制限するようにお尻の部分が凹んだシートになっていますが、重箱にお団子を押し込むという感じのスペースです。
深川江戸資料館(1)

先ず深川江戸資料館に行ってみます。街並みは明らかに下町雰囲気を感じることができます。
道順がわからなくなったので、通りがかりの奥さんに聞いてみました。親切に教えてくれました。
朝の9時半頃、静かな通りです。

しかし暑い。この日は最高温度が34℃、湿度が80%という事で、オハイオから出てきた私にとってはかなりハードです。
深川江戸資料館(2)

建物を入ると待合室になっており、前のカウンターで入館料300円を払います。
この待合室にはいろいろな資料が置いてあって、入館する前に椅子に腰掛けて、資料を少し読んでみました。

資料館ノートというのが1月に1部のペースで発行されており、それぞれ何かのテーマについて2ページでまとめられています。
テーマは自体は大きく取り上げられており、それが江戸時代の江東地区とどう関係があるか、という視点で書かれていました。
深川江戸資料館(3)

中は3階までの吹き抜けで、江戸時代の深川が再現されています。
感じとしては両国にある江戸東京博物館の一部の展示に似ていますが、規模は20分の1くらいでしょうか。
江戸東京博物館との違いは町の朝から夜までを25分に設定して、照明を変化させたり音で表現したりしている点です。

夏休みのせいもあって、小学生とか中学生が親(ナゼか母親が多い)に連れられて来ている姿が目立ちました。
深川江戸資料館(4)

建物中は当時の様子が再現されています。これは畳が敷いてあるし、立派な台所ですからちょっとした商人の家の再現です。

私が子どもの頃(昭和30年代半ば)、近所のうんと古い農家などに行くとこういう囲気が何となく残っていたのを覚えています。
ですからこういうものを見ても、全く自分とは断絶した世界のもの、という感じはしません。

当時は相当な家でも内風呂ではなく、みんな銭湯に行っていたそうで、風呂場はどの家にも再現されていません。
深川江戸資料館(5)

江戸時代の長屋の再現です。ちゃんと「留吉」とかの名前も入り口の障子に書いてあります。この奥に厠(トイレ)もあります。
もちろん汲み取り式で、これの所有権は大家さんにあったそうです。
つまり当時は人糞は貴重な肥料で、百姓が買いにきたそうです。究極のリサイクルです。

ヨーロッパでは同じ時代はオマルに用を済ませ、それを窓からジャーと道路に捨てていたのとは大違いです。
深川江戸資料館(6)

長屋の職人の住まいの再現です。どこの家にもちゃんと神棚がありました。
簡単な台所と土間、それに3畳の部屋、というのが標準だったそうです。
当時の(江戸の)人が一体何を食べていたか、私はいろいろと調べてみました。
大人の米の消費量は1日5合で、これはとてつもなく多く感じますが、宮沢賢治の「アメニモマケズ、カゼニモマケズ、、」、の中にも、「一日玄米四合と、、、」、というのが出てきますから、副食の更に少なかった江戸時代の5合というのは納得できます。

1日に5合(つまり2日で一升)食べるとどうなるか、誰か挑戦してみて下さい。
深川江戸資料館(7)

館内にはこのような展示室もあり、生活の様子などを説明してあります。

子どもがどうやって大人になっていくか、という中で「7才で寺子屋にあがり、10〜11才で職人とか商家に奉公に出て、、、」というのがありました。
つまり今で言うと、小学校1年生から3年生で修了、4〜5年生の年で奉公を始める訳です。

私達の親の世代でも、12才まで(小学校6年まで)学校に行き、その後奉公に行く子どもも結構あったそうですから、その頃と大きな違いはないと思います。
深川飯

深川に来てこれを食べないで帰る訳にいきません。資料館の近くにあった、ちょっと感じのいい飯屋に入ってみました。
深川飯には炊き込みご飯スタイルと、とぶっかけ飯スタイルの2種類があります。

ちゃんと両方が食べれるメニューがありましたので、躊躇なくこれを注文。
先ずアサリの佃煮がアペタイザーで出てきます。ビールでも飲もうかなー、と一瞬考えましたがまだ日が高いので止めました。
結構なボリュームでお腹一杯になりました。この後ところてんのデザートも出てきました。
さて何でしょう?

旅館?喫茶店?土産物屋?

いいえ公衆トイレです。先日のヨーロッパ旅行以来、トイレには敏感になっています。

さすが我が祖国ニッポン!!江東区が設置した公衆トイレなのです。
清掃中だったので中には入れませんでしたが、お金を払って”おしっこをさせて頂く”国とは違います。

ちなみにこの先200mくらの公園の横にも公衆トイレがありました。
霊厳寺(1)

公衆トイレから少し歩くと、エライ立派なお寺があります。この東京の下町にあって、これだけの敷地を占めているとは相当なものです。
とにかく境内に入ってみる事にします。霊厳寺、という名前のお寺である事はわかります。
中に入って看板を見ると、ここは松平定信の墓所となっています。

ヘーッという感じで本堂の方に向かってみました。境内にはお婆さんが一人見えるだけで誰もいません。お婆さんは境内の隅にある無縁仏に向かって静かに手を合わせておりました。
霊厳寺(2)

境内の左側には立派な菩薩像とか、これまた立派な法然上人の幼少の頃の像とかがあります。
その中で小さな掲示板を見つけました。

すみません、この一言が争いを解き、

ありがとう、この一言がやわらぎを与え、

おかげさま、この一言が人生を豊かにする

そのとおりです。しばらく看板の前でいろいろと考えておりました。
霊厳寺(3)

松平定信公の墓です。本堂の横にひっそりとありました。
松平定信は八代将軍吉宗の孫として生まれ、幕府の老中として寛政の改革を実施、江戸幕府体制の立て直しをはかったという事で有名な人です。(旗本、ご家人の救済、江戸市民の救済、他)

看板をみると老中になったのは29才、35才でその職を辞しています。寛政の改革の断行者松平定信は、今で言えば青年であったわけです。

享年は71才とありましたから、当時としてはやはり非常に長寿であったと言えます。
霊厳寺(4)

暑かった、本当に暑かったのですが境内は蝉が鳴くのみで静寂としていました。

数人のきちんと喪服を着た若いご婦人と、そのお母さんでしょうか、かなり年配の方が本堂の裏の墓地の方に行かれました。
本堂の中も入ってみましたが、何組かの方方々が法要のお経をあげてもらっていました。

ぶらりと立ち寄ったお寺、意外な発見でした。
工事現場

更にブラブラと歩いて行くと道路を掘り返している工事現場に行き当たりました。50mくらいの区間でしょうか、工事車が2〜3台来ています。

工事の横を通り抜けながら工事の様子を観察してみました。
先ず警備員が5人います。私が通り抜けると、ていねいにお辞儀をしてくれました。穴掘りの現場には7人がいます。
が、穴を掘ったり、穴の中に入っているのは2人だけです。残りの3人はそれを取り囲んで様子を眺め、2人はタバコを吸っています。

ああ、これぞニッポンの土木工事、さすがです。
清澄庭園(1)

工事現場横を通り抜けると、「清澄庭園」、という看板が見えます。
そうかー、何かで聞いたことはありますがここがそうなのかー。
という事で中に入ってみる事にしました。

しかしそれにしても暑い、先程水を飲んだせいか汗がダラダラ出てきます。
清澄庭園(2)

ここは東京都が管理しており、150円の入場料を払う必要があります。かなりの広さで、パンフレットによると8100u、イメージとしては300mX300m弱という事ですね。

中に入ってみると人影は殆どありません。遠くに数人見えるだけです。

ここは大名の下屋敷だったものを明治になって岩崎弥太郎が社員の慰安や貴賓を招待する場所として作ったそうで、明治の庭園を代表する様式だそうです。
(パンフレット抜粋)
清澄庭園(3)

散歩している人に出会ったのはわずかに8人。(こういうところを数えるのは私のクセ。)

なかなか良い眺めです。これは晩秋から初冬にかけてくれば最高のところかも知れません。

夕方に来てコートのポケットに手を突っ込んでブラブラして、日が西に傾き始めた頃に外に出ます。
そして先程見つけてある、ちょっと気の利いた小料理屋で熱燗を一杯、、、。

既にストーリーは出来上がっております。
清澄庭園(4)

錦鯉です。
ちょび髭を生やし、良質のダブルの背広を着ているオッサンがいます。
但し足元は下駄をはいています。
手には鯉のエサを持っており、池の鯉にエサをばらまいています。
このオッサン、声はでかく田舎的センスなのですが、ナゼか人を引きつける魅力があります。

誰の話?そう、我が国の元総理大臣の田中角栄の事でした。
私はこういう庭園で錦鯉を見ると、ナゼか田中角栄大先生を頭にイメージしてしまいます。
さーて、帰りますかねー

深川付近、もっとぶらつけばいろいろとありそうですが、何せこの暑さ。
半分オハイオ人になている私はついにギブアップ。

軽食レストラン兼喫茶店に入って一服です。
やはり日本の喫茶店に入れば迷うことなく、”アイスコーヒー”です。
周りを見ると事務所勤めのかなり(イエ、相当かな?)トウの入ったOLさん達が、コーヒー飲んで休憩していました。
隣では乳母車持った若いお母さんが、ビールを煽っておりました。

これもブラリ旅で見る事のできる風景であります。

この日は10時前にホテルを出て帰ってきたのが4時前。お寺にあったベンチで15分も20分も座っていたり、喫茶店では30分もねばってみたり、全く時間を気にしないでブラブラ旅でした。
部屋に帰ってきてシャワー浴びたら急に眠くなってそのままベッドにバタンキュー。そう、時差ボケがまだ強烈に残っていますから。
目が覚めたら7時になっています。これをやると時差ボケがなかなか取れないのはわかっていますが、どうしようもありません。お腹もかなり空いています。窓の外明るさは残っているもののもう既に夏の夜です。

新しいIXY95ISはモニターの画面も大きく、見やすいのでこのカメラを持って食事に行きます。つまり今日撮った写真を眺めながらチビチビやろうと言うわけです。これだけでは一人でチビチビは間が持ちませんので、文庫本をも一冊持って行きます。

どこかの居酒屋でイヤホーン耳に入れて一人でチビチビやりながら、デジカメの画面を見たり文庫本を読んでいるオジサンを見掛けましたらそれは私です。

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