07−09−20 ちょっと慣れない仕事です
今年の日本は相当に暑かったようですが、オハイオも例年より少し暑い感じがします。
9月に入って会社の方ではいろいろと毛色の違う仕事が立て込んでおります。この6月くらいからこれらの毛色の違う仕事をやらされる事になり、ちょっと戸惑う毎日です。

先週から今週はいろいろな会議があったせいか、あっと言う間に過ぎてしまいました。日本出張から帰ってきて数日後から腰痛が再発でちょっと元気が出ません。それに仕事の関係で、ここのところずっとジム通いも御無沙汰しており、これも気になるところです。

先週は日本からの帰りの飛行機で同じだったある方と食事をする機会があり、いろいろと面白い話をお聞きする事ができました。この方は5月まで上海の郊外のある工場の社長さんをやって、先日帰国したばかりで、私が最後に会ったのはこの方が上海に赴任をする5年位前だったと思います。

この方の話を聞いていると中国の北京オリンピックはひょっとしたら失敗するのではないか、失敗しなくても終わった後の反動がどう出るか、想像がつかない点でした。大規模な暴動の可能性はかなり高いと感じました。

中国は一人っ子政策なのに3人も子どもがいる、この一人以外はどうなっているかとか、農村戸籍の人間が都市戸籍を得るために何をするかとか、数年前の中国人民(政府)による日本パッシングの嵐の時の実際の状況とか、賄賂の贈り方のルールとか(賄賂の贈り方にはきちんとしたルールがあるそうです。聞けばナルホドです。)、清潔概念の話とか、聞けばキリのない事ばかりでした。
今週のある会議、この会議には日本から一杯の人が来て行われましたが、イギリスからも2名(3名だったかも知れません)が来ており、会議の翌日も残って私のところのオハイオ人達と何かゴチャゴチャやっておりました。
何の話をしていたのか私は全く興味はないのですが、オハイオ人たちはいつになく一生懸命にこの連中に熱心に付き合っておりました。

さて何日間かの会議ですが私にとってはまだ非常に経験が浅い領域であったので、じっと聞くことが殆どでした。
ただちょっと興味深かったのは「日本人」対「現地人スタッフ」の相変わらずの基本的構図で、これはいつも同じだなーと感じた事でした。

これは対立の構図になりがちなのですが、日本人の方はこれにならないようにかなり意識をしていますが、この構図をドンと正面に公の会議で出してくるのは、最近はオハイオ人の方が多いと言えます。(理由はここでは割愛。)
オハイオ人は基本的にまず「反省」をしない事、これは徹底しています。ですから議題が核心に入っていけない事が多くあります。
しかし問題には原因が必ずあります。この原因の追究が自分の身に迫って来ないように牽制するテクニックは、大抵の日本人の比ではありません。

オハイオ人らが「アウア・サイド」という言葉と「ジャパニーズ・サイド」という言葉を使い出したら、それは対立の姿勢を露骨に出した証で、注意が必要です。
(ジャパニーズ・サイドという言葉は時々日本人の個人的な名前に変わる事もあります。)
この傾向は明らかにある時期からある理由で強くなったのですが、これについては本HPの趣旨に反するので割愛させて頂きます。
このHPをワープロで書いている最中にテレビ(日本語放送のテレビです)から「あめふり」、という童謡が流れてきました。これは5番まである割と長い歌詞の童謡です。北原白秋作詞、中山晋平作曲とありました。歌声をバックにお母さんと幼稚園の子どもが雨の中を歩いていく様子が画面から流れています。

(1番)雨々降れ降れ母さんが、蛇の目でお迎えうれしいな、ピチピチ・チャプチャプ・ランランラン:
学校が終わって帰ろうとしたら、雨が降ってきた、でもお母さんが傘を持って迎えに来てくれた、嬉しいな〜、という事なのですが、テレビではお母さんと子どもがマンションの扉を閉めて出かけるところから始まります。

(3番)あらあらあの子はずぶ濡れだ、柳の根方で泣いている、、ピチピチ・チャプチャプ・ランランラン:
さてお母さんと家に向かって帰っている途中で誰か他の子が柳の木の下で傘を持たないで雨に濡れて泣いている、、、という事なのですがテレビでは柳の葉っぱの上にいる虫(カエルだったかな?)がびしょぬれになって濡れている、それを子どもがじっと見ている、という風景になっています。

(4番)母さん僕のを貸しましょうか、君々この傘さしたまえ、、ピチピチ・チャプチャプ・ランランラン:
その子はお母さんに自分の傘を貸してもいいですか?と聞いてそしてその子に傘を貸す、、、ですがテレビの画面では何とお母さんと子どもはコンビニに入っていきます。

(5番)僕ならいいんだ母さんの、大きな蛇の目に入っていく、、ピチピチ・チャプチャプ・ランランラン:
傘を貸そうとする子に、本当にいいの?と言われたその子はお母さんの傘に入っていくから平気と答える、、、、テレビではコンビニで2人が買い物をしている風景になっていました。

という訳で私は、「エー、エーッ!!」、とこの支離滅裂さに驚くと共に混乱の極みに達したのであります。

ナゼこんな情景になっているのか、ちょっと考えてみました。
学校まで迎えに来れるお母さんは最近では少ない、つまり共働きの家庭が殆どである。来れるお母さんと来れないお母さん、これは格差のハシリである。
来れるお母さんの子どもが来れないお母さんの子(柳の根下で濡れているる子)にカサを貸してありがとうを言う或いは言わせる、そんな差別が行われてはいけない、とかいう理由でしょうかネー、、、、ようわかりません。

私も遥か昔の事、小学生の3年生くらいだったか、やはり母親が学校まで傘を届けてくれた事がありました。中学生になって母が弁当にお箸を入れるのを忘れて、お箸を学校に持ってきた時はちょっと恥ずかしかったなー。

オハイオに来る前の日本にいた時、会社からの帰りで駅を降りたら雨が降っていて、小学生だった下の娘が駅の階段の横で待っていたのに気が付かず、自分だけ自宅のマンションまでタクシーで帰った事もあったなー、、、。
オハイオに駐在していた社員のお母さんが、子どもの学校での事を書いてある記事をある社内ニュースで読みました。かなり上手な文章で読みやすく、興味深く拝読させてもらいました。

その中で小学生の子どもが、先生の指導でイラクにいるアメリカの兵隊に慰問の手紙を出したらイラクからその子に返事が来てびっくりしたという内容がありました。
日本ではインド洋で海上自衛隊が多国籍軍に給油支援を行っており、これの継続について与党と野党で意見が食い違っています。

日本の小学校で、担任の先生が「インド洋にいる国軍(海上自衛隊)の兵隊(隊員)さんに手紙を出しましょう。」、って言って生徒に書かせたら何が起きるか?考えただけでもワクワクします。
誰かそのような事やる骨のある先生の一人や二人いてもいいと思うのですが、どこかにいないの?

という訳で本日のオハイオ日記、かなり支離滅裂な内容になってしまいました。ゴメンなさい。
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