07−04−29 今年も行ってきました
日本はゴールデンウイークの真っ只中、今日はコロンバスの南東150kmにあるアッセンズ Athens というところに用事があり行ってきました。

日曜日の朝8時前、道路を走っている車の数も少なく、アメリカでは1週間の中で一番静かな時間です。
アッセンズという名前はギリシャの首都アテネと同じスペルでギリシャからの移民が多かったところかなーと思っています。

(日本の移民が多い地域にTOKYO、とかOSAKAとかいう地名を付けることができたか?というと絶対にできなかった訳ですが、この辺の話題はまた別途。)

アッセンズは人口20000人、何の変哲もない小さな町で、ここにはオハイオ大学のキャンバスがあります。用事の方は1時間くらいで終わったので、オハイオ大学に行ってみる事にしました。

オハイオ大学は桜で有名なところで、本当は今頃ではなく4月初めに来れば桜を見る事ができます。

オハイオはコロンバス周辺より北は、ほんの少しのなだらかな丘があるだけで真平らと言っても良い地形をしています。しかしオハイオも南部に行くと北部に比べると起伏が大きく、まともな丘のようなものを見ることができます。
アッセンズはこの起伏の中にあり、大学のキャンパスも平地から丘の上に建物が点在していました。

日曜日のキャンパスというのは世界共通、どこの大学も同じで、学生の姿はあまり見えず非常にのんびりしています。
キャンパスはアッセンズの町の一部であり、特に囲いとか塀がある訳ではなく、キャンバス内を通り抜けする車も結構多い感じがしました。

初めて入ったオハイオ大学のキャンパス、私達は適当なところに駐車をして中を歩いてみる事にしました。
図書館とか寮とか講堂が並んでいる通りをブラブラと歩きます。キャンパスは車で廻る必要はなく、歩いて廻れる範囲でした。

ここには日本人学生も何十人かいるそうですが、この日は東洋人の学生の姿は見ることはできませんでした。
それと気が付いた事の一つに、見かけた学生が圧倒的に女子学生が多かった点です。どうして?

キャンパスの美しさで全米トップ10に入るアッセンズのオハイオ大学、その通りの美しさでした。。
アッセンズからコロンバスへの帰る途中のフリーウエー、大きなアンティックのフレアーマーケットがあったので、入ってみました。

何百台もの車が駐車しており、きちんとした建物の中でアンティックを売っている専門業者から、露天でテーブルの上にガラクタを並べて売っている個人レベルまで、様々です。

オハイオ人の多くはこれらを買うでもなく、ただブラブラと歩きながら見て廻っている人が殆どです。
いろいろな置物とか、飾り物、食器とかの実用品(とはいうものの実際は飾り物にする)がそれこそ無数に売られています。

これらのいろいろなアンティック・ガラクタ品の特徴の一つは、実はメイドインUSAが結構多いという事です。
例えば近所のスーパーとかデパートに行って装飾品でも、服でも、靴でも、カバンでも、電気製品でも、何でもいいからメイドインUSAを探して下さい、と言われたらそれこそ探すのは至難の業です。

イエ、ひょっとしたら全く見つける事ができないかも知れません。メイドインUSAはそこで買い物をしているオジサン、オバサンくらいかも。
それくらい今のアメリカは物を作らない国になってしまったのです。(実は今ではメイドインJAPANをアメリカで探すのもかなり難しくなっています。)

ところがこのようなアンティックのフレアーマーケットで見かける物はメイドインUSAが主役です。

置物のカワイイお人形もメイドインUSA、綺麗な彫刻の入ったフォーク・ナイフのセットもメイドインUSA、70年以上前のレースのドレスもメイドインUSAです。

アメリカ人はアンティックが好きです。日本ではアンティックは「骨董品」という言い方で何となく、いわゆる「かび臭いもの」、「年寄りの趣味」、みたいなマイナスイメージがありますがこちらではそういう見方はないと言えます。

オハイオではアンティックは、10代の高校生は別として20代以上の人の、割と一般的な趣味になっている感じがします。

アンティックは単純な装飾目的と同時に、これらを身近に置いて古き良き時代をしのぶ、そして歴史を身近に感じる、という意味があるように感じますが、ちょっと考えすぎですかねー、、、。
さて日本では今、ゴールデンウイークの真最中、日本のテレビを見ると新幹線も、高速道路もそして成田国際空港も人で一杯だと報道しています。
海外の行き先は東南アジア・中国が人気のようでアメリカ本土は観光の対象にはなりにくいようです。

先日会社の机の奥を整理していたら、1991年〜1996年の手帳が出てきました。5月のゴールデンウイークのところを見ると、毎年7連休〜9連休になっていました。
1991年をみると小学生だった娘2人を連れて家族4人で千葉県の鋸山まで行ったという記録がありました。

当時埼玉県新座市に住んでおり、神奈川県久里浜まで行ってフェリーに乗って行ったのを思い出しました。1996年を見ると荷物整理以外は特に書いてありません。オハイオ赴任1ヶ月前だったので、家でのんびりしていたのでしょう。

ゴールデンウイークで私もこんなに休みをもらっていたなんて、遠い昔の出来事のような気がしてなりません。
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