06−05−12 トロントにて |
今週後半は水曜日からカナダへの出張でした。日本からカナダを見るとアメリカと同じように見えるかも知れませんが、アメリカからカナダを見ると、やはり外国です。いろいろと細かいところで、アメリカとは違っています。 先ず言葉、アメリカは英語だけですがカナダは英語とフランス語。特にカナダはケベック州へ行くとフランス語一色になります。度量もアメリカはヤード・ポンドですがカナダはメートル・グラム。しかし何と言っても違うのは人、です。 アメリカ人とカナダ人ははっきり言って、一般的に仲がよくありません。つまらない、細かいところでよく対立します。 アメリカ人は多くの場合こうしよう、ああしよう、と当然のようにカナダ人に同意を求めますが、カナダ人はそれを1回で受け入れる事は稀です。大抵の場合一旦は反対の意見を表明します。 ![]() 確かにアメリカ人は世界一強引な人種で、何でも自分が一番正しいと思っている厚かましい連中です。カナダ人はこのようなアメリカ人をかなり意識的に牽制している雰囲気があります。 アメリカとカナダの関係を、日本と某国の関係に例える人がいますが、これとは全く別です。(某国のやっているのは非常識な挑発行為。) さて10日の朝のフライトでコロンバスからトロントに向かいます。40人乗りの小型機で約1時間15分のフライトでトロント到着です。 トロントは20年以上前に通算で6ヶ月間くらい出張で滞在した経験があり、非常に懐かしいところです。 人口300万人の大都会で、雰囲気も洗練されている感じがする国際都市です。 この日は同行したオハイオ人2名ともう一人の日本人のHさんの4人で、先ずカナダ工場(トロントの北100kmくらい)の近くのホテルで会議。その後カナダ工場に移動してLAとのテレビ会議に参加、結局このTV会議が終わったのが夜の9時でした。 案の定この日の会議でも、カナダ人はアメリカ人の事をチクチクやっているのが私の英語力でもわかりました。 会議が終わって明日から2日間会議が行われるトロントのホテルまで車をすっ飛ばしてチェックイン。時計を見ると10時半。それから遅い食事をみんなで摂り、結局部屋に入ったのは夜中の12時近くという、忙しい1日でした。 |
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11日はこのホテルにて終日会議。会議には日本から20人くらい、アメリカ・カナダから15人弱、それ以外から10人くらいの出席者で行われました。 ちょっと困ったのが通訳。最初の数時間、通訳者が慣れていなかったせいなのかプレゼン、質疑応答内容の30%くらいしかお互いに伝わっていなかった点でした。 このような会議の場合、アメリカ人・イギリス人の多くは話す内容をしっかりと区切って、通訳が確実にされている事を確認しながらしゃべる人が多いのですが、逆に日本人はこれをやる連中が殆どいない、というのがいつもの特徴です。どうしてこうなるのかわかりません。 それとアメリカ人が不思議に思う事の一つにプレゼンをしても、日本人からは質問がほとんど出ない事です。今回も私と同行したアメリカ人があるプレゼンをしたのですが、「何か質問ありますか?」、に対して一切の質問がなく、彼は非常に不満な様子でした。 ![]() 質問がないのは極端に言うと、その内容を無視をして聞いていないのか、又は関心がないのかという事を意味します。 またこの場合日本語で言うところの「質問」ではなく、「感想」でもいいのですが、これも普通は日本人はあまり発言しません。 朝8時30分から始まった会議、夕方の5時にはこの日の議題をこなして予定どおり終了しました。 その後は6時から懇親会です。ここのホテルはかつては日系ホテルの経営でしたので日本レストランが付属しており、ここのレストランで懇親会を行いました。 オハイオ人に言わせると、「カナダに来て何で日本レストランで晩飯なんだ!」、という事になるのですが、日本主催の会議でもあり、出席者の3分の2は日本人なので仕方ありません。 トロントはオハイオあたりの田舎と違って、おいしいカナダのレストランが山ほどあるので、私個人としても日本食よりこちらの方がよかったのはオハイオ人と同じ考えでした。 とは言うものの、ここの日本レストランは純粋日本式ではなく、例の紅花スタイルの日本レストランなので、最初から期待はできませんでした。 紅花スタイルとは独特の格好をしたシェフが、客の前で鉄板の上で肉とか野菜を焼く形式のものを言います。大体がナイフとかを振り回して、踊りながら肉を焼くパフォーマンスを披露します。 今回のシェフは皿を手から滑らして、客のビールのコップを割ってしまうというパフォーマンスを披露してくれました。 その後ホテルのラウンジで2次会。久し振りにウイスキーの水割りを何杯も飲んでしまい、部屋に帰ったのは11時を過ぎていました。 |
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2日間の会議では日本の状況とか、他の国の状況がよくわかり非常に有効な会議でした。但し、いつもの事ながら一つだけ残念な事がありました。 それは会議が議論の場としてではなく、どちらかと言えばプレゼン主体の会議になっていたことです。 1日目の会議の後オハイオ人と話をしましたが、彼の意見は、「プレゼン主体の内容であれば、それは資料を配布すればいいのでは?」、というものでした。確かにそのとおりだと思います。 「世界各国のみんながいろいろな事をやっている。うまくいっている事もあれば、そうでない事もある。今の課題は何か、問題は何か、解決の方向性は何か、これをもっと討論したかった。」、というのが彼の強い意見でした。 ![]() それとアメリカ人とかが作ったプレゼン資料と日本人が作ったプレゼン資料の違いもいつもの事ながら、非常に興味深いものがありました。 日本人の資料は極端に言うと、説明を聞かなくてもいいくらいに詳細が詳しく書かれています。 とにかくプロジェクターで映される資料は細かい文字がびっしりです。 ですから少々説明が下手でも、内容は大体理解できる場合が多いのです。 説明者の内容理解度・プレゼンテクニックの上手下手に依存しない資料の作り方になっています。 これに対してアメリカ人の資料は、具体的内容に対しては詳細さに欠ける場合があります。この場合アメリカ式のプレゼンは話を聞かないとよく理解できない事になります。 ですから説明者は中身をきっちりと理解している人でないと普通はできません。説明者のスキル依存タイプの資料と言えます。 まあ、仕事の事はともかく、実はこの国際会議をやったホテル、9年前にカミさんと下の娘がオハイオに来たばかりの夏休みに泊まったホテルでした。 日本からオハイオに来て2月も経っていないカミさんと下の娘を連れて、ナイアガラで1泊、そしてこのトロントで1泊をした思い出のホテルでした。 旅行の楽しさよりカミさんと下の娘は、始まったばかりのオハイオ生活に不安そうな顔をしていたなー、、、、、、。 あれから9年かー。本当に月日の経つのは早いものです。 |
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