05−11−21 久し振りにのんびり |
法事で帰国した日本。仕事抜きでの日本滞在というのは、やはり気持ちもゆったりとして、リラックスできます。 20日には直系の親族だけが集まって、法要を営み父の冥福を祈りました。 日本は思ったよりずっと暖かく、日中の最高気温が15℃もあり、外を歩く時でもコートは全く必要を感じませんでした。そんな日本の一時帰国、スナップショットで紹介します。 |
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近所の町並みと紅葉 母の住む家から父の墓まで歩いて5−6分で、その途中は全て住宅地になっております。 日中は車も少なく、人通りもあまりありません。 やはり11月の末、いくら暖かいと言っても街路樹は紅葉をしており、きれいな姿を見せておりました。 このようなところをトボトボと歩いていると何故か、「やっぱり日本っていいなー。」、と思ってしまいます。 どうしてだろう。 |
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お墓の掃除です 父が亡くなってからお墓を新しい墓地、つまり今の母が住んでいる家の近くに移しました。 新しい墓地なので、ちょっと殺風景ですが、仕方ありません。 それでも来る度に少しずつ増えてるので、この付近の団地の人がお墓を建てているのでしょう。 法要の前日にお墓をきれい掃除しました。 |
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公園−1 母の家とお墓の中間にちょっとした公園があります。 行くときはこの公園で15人くらいの熟年・老人の方々がゲートボールをやっていました。 帰りにも立ち寄ってみると、丁度終わったところで、皆さん帰り支度の最中でした。 本当に穏やかな晩秋の風景です。 |
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公園−2 気温があまり低くなってないせいでしょうか、完全な紅葉にはなっていない感じです。 でも赤と緑のコントラストが非常にきれいで、オハイオのような黄色主体の紅葉とは違います。 田舎のせいか空気もきれいで、騒音もありません。この辺りはのんびりと住むには、悪くはないところです。 |
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法要をした部屋 お盆の法要も、全てこの部屋に御坊さんを呼んで行いました。 父は亡くなる寸前までこの部屋で寝起きしており、昼間は隣の洋間でソファーに腰を掛けてテレビを見たり、本を読んだり、横になったりしておりました。 そしてこの部屋から病院に移った1週間後に亡くなってしまいました。 その父の最後を看取ったドクターが今は1週間に1回、母のところに往診に来ております。 |
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スーパーマーケット−1 帰省中は特にする事もないので、カミさんの買い物についていきます。外出がてら母も連れ出します。 車の運転は私がやります。 日本のスーパーでいいなー、と思うのはお総菜がいろいろと売られている点です。しかもみんな結構おいしそうです。 こんなのが売っているのだから、日本では単身赴任も全然楽だろうナー、とかそんな事を考えてしまいます。 |
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スーパーマーケット−2 カミサンが日本に行っている時などは、私もオハイオで自炊します。今回も来る前に1週間ほどやりました。 それで近所の日系スーパーでの、ダイコンの値段を覚えていました。確か半分に切ったやつで3ドルくらいでした。 ここのスーパーであまりに立派な、そしてきれいなダイコンが100円で売られていたので、思わず写真を撮っちゃいました。 |
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スーパーマーケット−3 ちょうどこの日は魚売り場のところで、マグロを捌いており、立派なカマがデーンと置かれていました。 売られている刺身の短冊の値段は、オハイオとあまり変わらないか、少し高い目の感じがしました。 日本にいるときはスーパーなんか絶対に来なかった私ですが、何故かオハイオに行ってから(日本に帰った時)スーパーに行くカミさんについて来るようになりました。 |
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娘と姪達 私の娘も、姪もみんな殆ど年令は同じです。学校を出て それぞれ社会人1〜4年生で23才から27才です。(歳言うと嫌がるかな?) なかなかこのように一同に会するという機会はありません。きっと父がみんなを呼んでくれているのだと思っています。 やはり職業が服装に現れるような気がします。1人だけちょっと違う。さて誰の事かな??? |
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故郷では本当は会いたかった友人等がもっともっとおりましたが、残念ながら限られた日数の滞在なので、誰とも会わずじまいでした。 今回は故郷では4日間を過ごし、殆どを実家とその周辺を行き来しただけで過ごしましたがこれでよかったと思います。 本当に心身ともリラックスできた4日間でした。さて、今度来るのはいつかなー、、、、、、、。 |
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