05−10−18 秋の夜長

秋の夜長。
夜長とは日が早く落ち、夜が長くなったと感じることです。先ず秋で頭に浮かぶのは、西の空に太陽が落ち始め、地面に映った長い自分の太陽の陰を見ながら家に帰る子供の頃(最近この言葉が多くなっている)を思い出します。
その頃は父親といつも嘱託を囲んで、夕食も摂っていたように記憶しています。

今オハイオにいる私はこの秋の夜長を感じる事が少ない生活を送っています。理由は2つ。
先ず一つは、オハイオ自体が日没時間がそれほど早くない地域だという点です。

オハイオはNYとかボストンとかと同じように東部標準時間帯に属しています。しかも東部標準時間帯の一番西に位置しています。11月になっても、空が暗くなり始めるのは5時を過ぎてからという感じです。
秋から冬にかけての日本(東京)は、4時頃には薄暗くなるのと比較すると確実に1時間以上の差があります。

ただ10月の最後の週の日曜の朝に、サマータイムから標準タイムに戻すので、イッキに日没が1時間早くなります。

もう一つは帰宅する時間自体がいつも遅い、という点です。普通の生活をしているオハイオ人は5時前に家に帰りますから11時に寝るとして夜が6時間ある事になります。
しかし普通の生活をしていない、日本人駐在社員は家に帰るのが8時、9時、10時ですから秋の夜長を感じる事はあまりないと言えます。

とは言うものの6月、7月頃の夜の9時を過ぎても空に光が残っている時とは違う気持ちになります。
帰宅が遅いとはいえ、たまには早く帰れる時もありますので、早く食事を済ませて寝るまでの間に少しゆったりと過ごせる時もないわけではありません。

私はテレビはあまり見ません。ナゼかあの画面の前にずっと長時間釘付けになるのがイヤなのです。
もっと別な言い方をすると私は、「ながら族」、なのです。帰宅後の一杯の時も、新聞を見ながら、テレビの音声を聞きながら、カミさんの話を聞きながらとなります。

ですから秋の夜長の楽しみ方も、「ながら族風」、になります。
夜に時間のある時は、なるべく本を読むことにしています。
この時はボリュームを絞ったラジオ(短波放送)を聞きながら、ビールかウイスキーの水割りを飲みながらという、「ながら族」になります。

本は日本に行った時に買いだめしてくる本、それと新刊でどうしても欲しい本があると、日本から送ってもらいます。
時々、以前に買った本を読み返す時もあります。

先日読み返した本に司馬遼太郎著、「アメリカ素描」、という本があります。
1986年4月11日第一版、購入が7月13日となっていますので、新刊を買った事になります。

司馬遼太郎という大歴史小説家が、アメリカの何を見て何を感じたのか、400ページ少しの本に書かれています。正直言って、久し振りに完璧に唸ってしまいました。
そして大げさではありますが、目からウロコ状態になってしまいました。

この本に書いてある内容は、普通の人は毎日の出来事(大きな雑音)にかき消されて、なかなか認識できないアメリカ文明と文化の本質に迫ろうとしている大小説家の鋭い目線をガツンと感じました。内容、具体的な感想はここには書きません。とても書けません。

メグ、サチも機会を見つけて読んで下さい。文庫本で2巻に分割されて、簡単に手に入りますよ。

秋と言えば味覚の秋、液体燃料をこよなく愛する私としましては、堪えられない季節でもあります。
先日三重県にいる退職した会社の先輩から、メールと共に秋刀魚の写真が送られてきました。「秋刀魚は安くて、旨い、酒の肴にもってこい!」、とありました。
実物は送れないから、せめて写真でも、という先輩の気持ちが表れておりました。

コロンバスの日本食材店にも秋刀魚は置いてありますが、生ではなく冷凍物です。冷凍ですから1年中あります。
味はイマイチで、生のあの香ばしい香りは期待できません。
でも贅沢はテキです。冷凍でも秋刀魚があるだけ感謝しなくてはなりません。

先日週刊誌を見ていたら、「東京・居酒屋の四季」、という東京の居酒屋36店の季節の料理紹介がされている本を発見。
800円の送料を払って、日本から送ってもらいました。

送られてきた本は、半分写真集のような本で、見るだけで楽しい本です。
居酒屋の料理ですから、「煮凝り」、とか「なめろう」、とかのちょっと変わったもの以外は普段口にするものばかりです。

写真の撮り方も非常にうまく、「めばるの煮付け」、なんか見ていたらよだれが出ちゃいました。
罪な本を買ってしまいました。でもこの居酒屋メニュー、自分でも作れそうな感じのものも多くあります。一度作ってみようかな?
inserted by FC2 system